くさび 形 文字。 ローマ字(アルファベット)の歴史、フェニキア文字(22字、フェニキア)から発達したギリシャ文字(24字、ギリシャ)に由来する世界的なローマ文字(26字、イタリア)、とは(2012.5.8): 歴史散歩とサイエンスの話題

くさび

くさび 形 文字

楔形文字の呼称 [ ] 楔形文字 cuneiform という名称は、の cuneus ()と、forma (形)からなる造語であり、1712年の『』の中で使われてから一般でも使用されるようになったとされている。 のうち、この文字を使用した文明・文化の研究は、一般に「」と呼ばれる。 楔形文字というのはあくまで文字の形状に注目した名称であり、実際には起源・系統の異なる多様な文字体系を含む。 文字の種類としても、代表的な・の文字はとの組み合わせであるが、はであり、はである。 歴史 [ ] 期()にによってとしての性格が強いが発明されたが、長期間繰り返し使われるうちに、次第に単純化・抽象化されて、初頭()には約1,000文字のシュメール文字になり、青銅器時代末期()には約400文字()から約200文字( ())になった。 ()はに用いられる他、( ())、()、()、に借用され、また()や()などに独自の文字の発達を促す役割をはたした。 文字の歴史 [ ] 最初期の象形文字は、板の上に縦の枠を設け、、すなわちで作り先を尖らせたで書かれた。 やがて文字は横書きになり、また先を楔形にした尖筆を粘土板に押し当てて書くようになった。 楔形文字の粘土板は長期記録用にで焼くこともでき、また残す必要がないなら再利用することもできた。 考古学者が発見した粘土板の中には、粘土板のあった建物が戦乱で焼かれ、結果的に固く焼成されて保存されたものが多くある。 楔形文字は、本来人によって記録のために発明されたもので、全域で3000年にわたって用いられた。 しかし、次第に近隣の他の民族に借用され、、、、、で楔形文字はそれらの民族固有の言語を書くのに用いられた。 とはいえ、シュメール人が磨き上げた楔形文字本来の的な性格は、などの言語話者には使い勝手のよくない仕組みだった。 この事実に多くの言語学者が促され、シュメール文明が再発見される以前から、バビロニア文明に先立つ文明の存在を仮定していた。 シュメール楔形文字の後世の借用は、少なくともシュメール文字のいくつかの特徴を保存している。 文献は、シュメール語のを表す音節文字と一語にまるごと対応するを含んでいる。 楔形文字の多くの文字が、音節と意味の両価を示している。 楔形文字がを書くのに借用されたとき、アッカド語の表語文字的な書き方が加えられ、その結果多くのヒッタイト語の単語が表語文字的に書かれたため、その音価を今日推定することはもはやできなくなった。 音節文字と表語文字の複合した筆記システムの複雑さは、の筆記システムの複雑さと比べることができる。 日本語が漢字で書かれる場合は、ある文字は表音的で、ある文字は表意的に用いられ、文脈によって音価がまちまちに取られる。 また、漢字から発展した純粋に表音的なカナもまた用いられる。 楔形文字で書かれたヒッタイト語もまた同じような表記体系を持っていたのである。 楔形をしてはいるが、シュメール・アッカド文字と系統の異なるいくつかの表記体系が存在する。 は()で、各文字の画数はアッシリア文字よりはるかに少ない。 頻繁に使われる「神」や「王」といった語は表意化されている。 は楔形文字的方法で書かれた、標準的なセム語形式の文字()であった。 現在知られている楔形文字の最後の例は、紀元後に書かれた天文学上の記録である。 解読の歴史 [ ] 、は、の碑文の写本を利用し、の解読に努力した。 ()の解読には、に発見されたの(磨崖碑文)が、によってに再発見され、利用された。 ローリンソンはイギリス陸軍の士官で、のベヒストゥンの崖でベヒストゥン碑文を発見し、そのいくつかを写し取った。 碑文はの治世下(-)に刻まれており、ペルシア帝国の三つの公用語、()、( ())、( ())で書かれた同一のテキストであった。 ベヒストゥン碑文がアッカド語楔形文字に果たした役割は、が解読に果たした役割に相当する。 ローリンソンはまず古代ペルシア語の解読に成功した。 これとは別に、アイルランド人のもまた解読に貢献した。 古代ペルシア語を翻訳した後、ローリンソンとヒンクスは次の解読を始めた。 が1842年に都市を発見したことで、二人は大いに助けられた。 によって発掘された宝物のうちには、アッカド語楔形文字に覆われた焼かれた粘土板数万点を有する王家の文書庫、の遺跡があったのである。 までに、ローリンソンとヒンクスは200のアッカド語を読むことに成功した。 ローリンソンとヒンクスはほどなく、新たに二人の異なる解読者と協同するようになる。 ドイツ生まれの若い学者と、学識に富むイギリス人である。 1857年には4人がロンドンで会合し、解読の正確さを試す有名な実験を行った。 の書記が、4人それぞれに、最近発見されたアッシリアの皇帝の治世下に書かれた、碑文の写しを渡した。 翻訳中は4人の情報交換は禁止された。 そして学識経験者からなる審判が集まり、4人の翻訳結果を精査し、その正確さを評価した。 4人が行った翻訳はすべての主要な点で、「ここは間違いないだろう」と自信を持った所は他の翻訳者と一致した。 「もしかしたら違うかも知れない」と思った所は些細な異同があった。 4人のなかでは経験の浅いタルボットは多くの間違いを犯し、オッペルトの翻訳は英語に不慣れなことから来る、幾つかの意味が取りにくい部分を含んでいた。 しかしヒンクスとローリンソンの翻訳はほとんど同一であった。 審判は結果に満足したと発表し、またアッカド語楔形文字で書かれたの解読は達成されたと宣言した。 この後、ある壷に描かれていたアッカド語楔形文字とが、全く同じ意味である事が発見され、解読達成の裏づけとなった(これが、楔形文字を研究するの公式な成立とされている)。 代にはアッカド語をツールとして、(シュメール語)楔形文字で書かれたの解読も開始され、代に ()により解読された。 しかし、 ()で書かれたの解読は代から行なわれているが、今日に至るも比較対象の資料に乏しく、さらに研究が継続されている。 翻字 [ ] 楔形文字の翻字については「」を参照 楔形文字には専用の法がある。 楔形文字は多価であるため、翻字により、情報落ちが発生するどころか、元のテキストよりも情報量が増える。 例えば、ヒッタイト語テキストの文字DINGIRはヒッタイト語の音節 anを表すことも、アッカド語の語句の一部の ilであることも、元来のシュメール語の意味であるを表す表意文字であることもありうる。 Unicode [ ] 楔形文字は 5. 0に含まれている。 以下の領域に次の文字(982文字)が収録されている。 Kaempfer, Engelbert 1712. 331-334. "Inscriptionem exhibet, expressam characteribus peregrinis, formam habentibus cuneolorum;" hathitrust• 1998. "The Elamite Language". Documenta Asiana IV, Consiglio Nazionale delle Ricerche Istituto per gli Studi Micenei ed Egeo-Anatolici. 関連書籍 [ ]• Jean-Jacques Glassner translated and edited by Marc Van De Mieroop and Zainab Bahrani, The Invention of Cuneiform: Writing in Sumer, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2003. ・川崎康司・山田雅道・小野哲・山田重郎・鵜木元尋『歴史の現在 古代オリエント』山川出版社、2000年。 『シュメル 人類最古の文明』中央公論新社〈中公新書〉、2005年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 外部リンク [ ]• - 楔形文字のUnicodeフォント free.

次の

「形」がつく熟語や用例・慣用句・名詞など:無料の漢字書き順(筆順)調べ辞典

くさび 形 文字

古代文字というと現代の生活には縁のないもののように思えます。 しかし、私たちが毎日読んだりタイピングしたりする漢字は古代中国の象形文字「甲骨文字」が起源ですから、実は日常生活に深く関わっていると言えるでしょう。 古代文字を起源とする文字として、漢字は世界で最も長く使用されていると言われています。 また、歴史で習ったメソポタミア文明の楔(くさび)形文字や、よく知られているエジプト文明のヒエログリフなども象形文字の仲間です。 今回のエキストラ特集では、漢字とヒエログリフを中心に、知って楽しい古代文字の歴史や雑学をご紹介したいと思います。 絵文字と象形文字の違い 絵文字 絵文字の例:古代マヤ文字の絵文書(メキシコ南東部周辺・紀元前3世紀頃) 絵文字は「文字」とされているものの、単語として文章を成さず、現代の標識のように単にそのものを指している文字のことを言います。 しかし、明確には何を指しているか分からず、「読み」がありません。 絵文字は、完全な文字ではないが意味を表している図像(ピクトグラム)なのです。 また、このような絵文字で書かれた文書は、絵文書(コデックス)と呼ばれています。 象形文字 象形文字とは、物の形をかたどって描かれた文字のことで、それ以前に使われていた絵文字が発達したものと言われています。 象形文字は文字が単語として書かれることで文章を成します。 「ヴィンチャ文字」とも呼ばれるこの文字は、なんらかの情報を持つ記号に近いものでした。 ギリシャ、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、セルビアなどの遺跡発掘で、土器に刻まれたものが多数見つかっています。 初めは簡単なシンボル 人類史上初めて文字が出現したのは、紀元前80世紀頃、旧石器時代のヨーロッパ南東部一帯と言われています。 「ヴィンチャ文字」とも呼ばれるこの文字は、なんらかの情報を持つ記号に近いものでした。 ギリシャ、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、セルビアなどの遺跡発掘で、土器に刻まれたものが多数見つかっています。 初めは簡単なシンボルだった古ヨーロッパ文字ですが、徐々に複雑になっていきました。 ルーマニアのタルタリアで発掘された紀元前70世紀頃の粘土板には、記号が行となって文章のように描かれています。 しかし現在のところ、記号の意味はほとんど解明されていないといいます。 ancient-wisdom. htm 賈湖契刻文字 中国の河南省では、紀元前8000年頃に賈湖契刻文字(かこけいこくもじ)という単純な幾何学模様の文字が使われていたと考えられています。 2003年、亀の甲羅に彫り込まれたものが、埋葬された人の骨と一緒に発見されました。 下図は賈湖契刻文字の例です。 「目」や「日」のような文字があることから、漢字の起源となった甲骨文字の前身なのではないかと言われています。 エジプトでは、紀元前33世紀頃にヒエログリフの起源となる「原ヒエログリフ記号体系」が確立しました。 インダス文明(現在のインド、インダス川流域に発祥)のインダス文字は、紀元前31世紀頃に原文字として出現し、紀元前20世紀に起こったインダス文明の衰退まで古代文字として発達しました。 また、漢字は紀元前61世紀、後期新石器時代の中国で発生した原文字が発祥で、紀元前16世紀頃、殷王朝初期に甲骨文字から漢字に発達したという説があります。 そのため、ファラオ(王)や神殿、軍などに仕え、ヒエログリフの読み書きができる書記は大変尊敬されていたと言います。 ヒエログリフの読み書きを体得するのはとても難しいものでしたが、書記の社会的地位を保つため、最初のヒエログリフから数百年をかけ、書記の地位を保つため、さらに難しくされていきました。 ヒエログリフがいつから使われ始めたかははっきり分かっていませんが、原始王朝時代以前、紀元前41世紀の壷に描かれた記号がヒエログリフに似ていることが知られています。 現在のところ、上エジプトの遺跡から見つかった紀元前33世紀頃の粘土板「ナルメルのパレット」に刻まれた文字が最古のヒエログリフとされています。 初期のヒエログリフ(紀元前33〜31世紀頃) 楷書のヒエログリフ、行書のヒエラティック 紀元前31世紀頃になると、ヒエログリフに加えて「ヒエラティック」という神官文字が登場します。 ヒエログリフは神聖文字と言われ、神や、神と同等の立場のファラオを称える墓、石碑、神殿などに刻まれました。 漢字に置き換えると「楷書」に当たります。 一方で、パピルスに手書きで書かれる際はヒエラティックが使われましたが、これは漢字の「行書」に当たります。 ヒエラティックの書体 庶民は読み書きできないよう、故意に複雑化 古代エジプトでは、文字は王朝の文化、学問などがどれだけ発展しているかを表すものでした。 特にヒエログリフは重要な文字とされ、ヒエログリフを学習できる人は限られた高い地位にある人々のみでした。 また、一般庶民には読み書きができないよう、文字や文法はわざと複雑化されました。 第19王朝のファラオ、セティ1世の墓碑に刻まれたヒエログリフ 簡略化が始まる エジプト中王国時代(紀元前2040年〜紀元前1782年)には、ヒエログリフを簡略化するための改革が行われました。 文字の数を約750字にし、一定でなかった単語の綴りも統一されました。 中王朝時代は、古代エジプト語が、より細かなニュアンスを表現できる中エジプト語に移行した時期でしたが、この変化はヒエログリフを簡略化へ導いた要因の1つでした。 同じ時代、古代オリエントでも使用する楔形文字の文字数を減らす改革がありました。 デモティック(民衆文字)の登場と ヒエログリフの衰退 末期王朝時代、紀元前650年頃のエジプト第26王朝時代に入ると、ヒエラティックが簡略化された草書体で、民衆文字とも呼ばれる「デモティック」が登場します。 古代ローマ帝国がエジプトを統治すると、徐々にギリシャ文字が浸透し、紀元後4世紀頃、ヒエログリフはついに姿を消してしまいます。 最後のヒエログリフは、フィラエのイシス神殿内にある礼拝所の壁に書かれたデモティックで、「紀元後394年8月24日」と日付が記されています。 ヒエログリフでも日本語の発音表記が可能 ヒエログリフは、左右どちらから書き始めてもよく、日本語のように縦書・横書療法で書くこともできます。 読む方向は、動物や鳥の形のヒエログリフの頭がどちらを向いているかで判断されますは、文頭は頭が向いている方向になります。 また、絵のように美しい象形文字のヒエログリフですが、実は表意文字よりも発音を表す表音文字が多くあります。 そのため、日本語の発音をローマ字で表せるように、ヒエログリフの字体でも日本語や英語など、他の言語の発音を表すことができます。 パソコンやスマートフォンでもフォントがあり、自分の名前をヒエログリフで書いてくれるサイトなどもありますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。 その後、トークンを保存する丸い粘土製容器「ブッラ」の表面にトークンを押し付け、農産物などの個数を表示するようになりました。 そして紀元前41世紀末頃には、トークンと同じ模様を粘土板に描くため、先の丸い尖筆を違う角度で粘土に押しつけ、数を記録するようになりました。 筆は尖端が尖ったものへ変化していき、数を示す記号はより細かな原文字へと進化していきました。 先の丸い尖筆と尖った尖筆の文字は、紀元前2700〜2500年頃の200年間で楔形の尖筆で書かれた文字へと進化しました。 その頃の楔形文字は表語文字だけでしたが、紀元前2800年頃には表音文字も出現し、紀元前2600年頃にシュメール語の音節を表すようになったことで、楔形文字は表語、音節、数字を表する文字体系として確立しました。 この楔形文字体系は、紀元前2500年頃からアッカド語、フルリ語、ヒッタイト語などの他の言語表現にも使われるようになりました。 ハラッパー語を書いた文字と言われていますが、現在約400文字しか発見されておらず、文章も二語以下で印章のように短いものが多いため、ほぼ解読されていません。

次の

記号などの特殊文字を文字一覧から入力する

くさび 形 文字

楔形文字の呼称 [ ] 楔形文字 cuneiform という名称は、の cuneus ()と、forma (形)からなる造語であり、1712年の『』の中で使われてから一般でも使用されるようになったとされている。 のうち、この文字を使用した文明・文化の研究は、一般に「」と呼ばれる。 楔形文字というのはあくまで文字の形状に注目した名称であり、実際には起源・系統の異なる多様な文字体系を含む。 文字の種類としても、代表的な・の文字はとの組み合わせであるが、はであり、はである。 歴史 [ ] 期()にによってとしての性格が強いが発明されたが、長期間繰り返し使われるうちに、次第に単純化・抽象化されて、初頭()には約1,000文字のシュメール文字になり、青銅器時代末期()には約400文字()から約200文字( ())になった。 ()はに用いられる他、( ())、()、()、に借用され、また()や()などに独自の文字の発達を促す役割をはたした。 文字の歴史 [ ] 最初期の象形文字は、板の上に縦の枠を設け、、すなわちで作り先を尖らせたで書かれた。 やがて文字は横書きになり、また先を楔形にした尖筆を粘土板に押し当てて書くようになった。 楔形文字の粘土板は長期記録用にで焼くこともでき、また残す必要がないなら再利用することもできた。 考古学者が発見した粘土板の中には、粘土板のあった建物が戦乱で焼かれ、結果的に固く焼成されて保存されたものが多くある。 楔形文字は、本来人によって記録のために発明されたもので、全域で3000年にわたって用いられた。 しかし、次第に近隣の他の民族に借用され、、、、、で楔形文字はそれらの民族固有の言語を書くのに用いられた。 とはいえ、シュメール人が磨き上げた楔形文字本来の的な性格は、などの言語話者には使い勝手のよくない仕組みだった。 この事実に多くの言語学者が促され、シュメール文明が再発見される以前から、バビロニア文明に先立つ文明の存在を仮定していた。 シュメール楔形文字の後世の借用は、少なくともシュメール文字のいくつかの特徴を保存している。 文献は、シュメール語のを表す音節文字と一語にまるごと対応するを含んでいる。 楔形文字の多くの文字が、音節と意味の両価を示している。 楔形文字がを書くのに借用されたとき、アッカド語の表語文字的な書き方が加えられ、その結果多くのヒッタイト語の単語が表語文字的に書かれたため、その音価を今日推定することはもはやできなくなった。 音節文字と表語文字の複合した筆記システムの複雑さは、の筆記システムの複雑さと比べることができる。 日本語が漢字で書かれる場合は、ある文字は表音的で、ある文字は表意的に用いられ、文脈によって音価がまちまちに取られる。 また、漢字から発展した純粋に表音的なカナもまた用いられる。 楔形文字で書かれたヒッタイト語もまた同じような表記体系を持っていたのである。 楔形をしてはいるが、シュメール・アッカド文字と系統の異なるいくつかの表記体系が存在する。 は()で、各文字の画数はアッシリア文字よりはるかに少ない。 頻繁に使われる「神」や「王」といった語は表意化されている。 は楔形文字的方法で書かれた、標準的なセム語形式の文字()であった。 現在知られている楔形文字の最後の例は、紀元後に書かれた天文学上の記録である。 解読の歴史 [ ] 、は、の碑文の写本を利用し、の解読に努力した。 ()の解読には、に発見されたの(磨崖碑文)が、によってに再発見され、利用された。 ローリンソンはイギリス陸軍の士官で、のベヒストゥンの崖でベヒストゥン碑文を発見し、そのいくつかを写し取った。 碑文はの治世下(-)に刻まれており、ペルシア帝国の三つの公用語、()、( ())、( ())で書かれた同一のテキストであった。 ベヒストゥン碑文がアッカド語楔形文字に果たした役割は、が解読に果たした役割に相当する。 ローリンソンはまず古代ペルシア語の解読に成功した。 これとは別に、アイルランド人のもまた解読に貢献した。 古代ペルシア語を翻訳した後、ローリンソンとヒンクスは次の解読を始めた。 が1842年に都市を発見したことで、二人は大いに助けられた。 によって発掘された宝物のうちには、アッカド語楔形文字に覆われた焼かれた粘土板数万点を有する王家の文書庫、の遺跡があったのである。 までに、ローリンソンとヒンクスは200のアッカド語を読むことに成功した。 ローリンソンとヒンクスはほどなく、新たに二人の異なる解読者と協同するようになる。 ドイツ生まれの若い学者と、学識に富むイギリス人である。 1857年には4人がロンドンで会合し、解読の正確さを試す有名な実験を行った。 の書記が、4人それぞれに、最近発見されたアッシリアの皇帝の治世下に書かれた、碑文の写しを渡した。 翻訳中は4人の情報交換は禁止された。 そして学識経験者からなる審判が集まり、4人の翻訳結果を精査し、その正確さを評価した。 4人が行った翻訳はすべての主要な点で、「ここは間違いないだろう」と自信を持った所は他の翻訳者と一致した。 「もしかしたら違うかも知れない」と思った所は些細な異同があった。 4人のなかでは経験の浅いタルボットは多くの間違いを犯し、オッペルトの翻訳は英語に不慣れなことから来る、幾つかの意味が取りにくい部分を含んでいた。 しかしヒンクスとローリンソンの翻訳はほとんど同一であった。 審判は結果に満足したと発表し、またアッカド語楔形文字で書かれたの解読は達成されたと宣言した。 この後、ある壷に描かれていたアッカド語楔形文字とが、全く同じ意味である事が発見され、解読達成の裏づけとなった(これが、楔形文字を研究するの公式な成立とされている)。 代にはアッカド語をツールとして、(シュメール語)楔形文字で書かれたの解読も開始され、代に ()により解読された。 しかし、 ()で書かれたの解読は代から行なわれているが、今日に至るも比較対象の資料に乏しく、さらに研究が継続されている。 翻字 [ ] 楔形文字の翻字については「」を参照 楔形文字には専用の法がある。 楔形文字は多価であるため、翻字により、情報落ちが発生するどころか、元のテキストよりも情報量が増える。 例えば、ヒッタイト語テキストの文字DINGIRはヒッタイト語の音節 anを表すことも、アッカド語の語句の一部の ilであることも、元来のシュメール語の意味であるを表す表意文字であることもありうる。 Unicode [ ] 楔形文字は 5. 0に含まれている。 以下の領域に次の文字(982文字)が収録されている。 Kaempfer, Engelbert 1712. 331-334. "Inscriptionem exhibet, expressam characteribus peregrinis, formam habentibus cuneolorum;" hathitrust• 1998. "The Elamite Language". Documenta Asiana IV, Consiglio Nazionale delle Ricerche Istituto per gli Studi Micenei ed Egeo-Anatolici. 関連書籍 [ ]• Jean-Jacques Glassner translated and edited by Marc Van De Mieroop and Zainab Bahrani, The Invention of Cuneiform: Writing in Sumer, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2003. ・川崎康司・山田雅道・小野哲・山田重郎・鵜木元尋『歴史の現在 古代オリエント』山川出版社、2000年。 『シュメル 人類最古の文明』中央公論新社〈中公新書〉、2005年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 外部リンク [ ]• - 楔形文字のUnicodeフォント free.

次の