アメリカン サイコ ネタバレ。 映画「サイコ(1960年) 」ネタバレあらすじと結末・みんなの感想

映画『アメリカン・サイコ』ネタバレ感想 殺人鬼ベイトマンの苦悩

アメリカン サイコ ネタバレ

アメリカン・サイコって本当にクリスチャン・ベールが演じる殺人鬼のことだけなのか? 周りの人間も十分にアメリカン・サイコの素質はあったりする。 そこが怖い。 1980年代のNY。 パトリック・ベイトマンは投資銀行に勤めるエリートサラリーマン。 豪華なマンションに住み、婚約者もいて、何不自由ない裕福な暮らし。 秀でた頭脳に完璧なルックスと美しい肉体。 もちろんそのためには肌の手入れや筋トレを欠かさない。 しかし、彼にはもう一つの顔があった。 そう、彼は人を殺さずにはいられない性癖をもっていたのだ…。 友人も弁護士もパトリック・ベイトマンや被害者ポールの名前と顔を一致させて覚えていないことが終盤のシーンで明らかになっています。 具体的にはまず 1, ポールと殺害日以後にロンドンで一緒に食事をしたとの友人の証言 2, パトリックはポール殺害後にロンドンに行っていないという事実、 3, 証言をした友人はパトリックの名前を誤っている(そのうえ、誤りに気がついてもいない)ことから、友人はポールを誰か別人と勘違いしていたことが(観客に対しては)ラストで明らかになります。 弁護士は関わりたくないので、パトリックの殺人の告白には聞く耳を持とうとしません。 友人の証言の誤りは写真を見せるなどして調査すれば明らかになるだろうと思われるのにバレないのは探偵のいい加減な捜査の現れでもあるのでしょう。 しかし、友人や弁護士がパトリックの名前を誤っていることの説明がつきません。 全部妄想なら、何度も出てくる名前を混同するシーンは不要だからです。 また、ポールのマンションを再訪するパトリックをマンションの管理人の女性が事件なんて何もなかった、と言って追い払うシーンが「妄想説」の根拠にされますが、それは違います。 実はここにも無関心の病理が働いています。 管理人にとっては不動産の価値が下がるような事実…その部屋が実は殺人があった部屋であること…が知れたら、一等地の超高級マンションの価値が下がります。 新しい買い手に買い叩かれるでしょうし、今の入居者からも不満が出かねません。 裁判になって、賠償金を請求されるかも。 殺人事件があったことは、彼女としても詮索されたくない、葬るべき事実なのです。 女性の背景で、壁から床まで全てをはがして塗り直しや壁紙の張り直しをする作業員が映っています。 単なる転居後の掃除でそこまでするでしょうか。 また、「二度と来ないで」という言い方は普通、友人の住所を訪ねて来ただけの者に対して言うセリフではありません。 殺されたポールに関係する人物がやってきて新しい入居者に真実が判明することは好ましくないので、きつく言い渡したのでしょう。 以上から、やはりポールの部屋が殺人現場であったことが推察されます。 友人の無関心、弁護士の無関心、探偵の無関心、マンション管理人の無関心が絡まって、ポール殺害事件をはじめとする一連の殺人事件は闇の中ということになったのでしょう。 あり得ない?でもこれはキツイ社会風刺コメディなので、そういう結末でもいいのです。 何年か前に見て以来、私の中でベスト5に入る面白い映画です。 この映画について、クリスチャン・ベイルが二重人格の殺人鬼と解説されていることが多いですが、単にそうではないところが面白いです。 彼は本当に殺人を犯していても周囲は彼を罪人にしてくれない。 それが正にアメリカンサイコ。 アメリカって、あっちこっちで戦争をしたり、矛盾した自己中心的な行為で色んな国を蹂躙したとしても、許されてしまう。 パトリックはまさに「アメリカ」そのものだな。 と感じました。 80年代のポップスを真剣に語る辺りとか滑稽だし、友人との会話にもバブリーな風刺がたっぷり入っていて、コメディータッチに描かれてますよね。 かなり面白い映画なのに、この映画について語り合える人が周りにいなくて、何年もモヤモヤしてます。 コメントありがとうございました。 たなかさんのコメントは『アメリカン・サイコ』に対する適確なご意見だと思います。 クリスチャン・ベール演じるパトリックは二重人格者ではありません。 殺人を犯さずにはいられないパトリックは自らの罪に対して十分に自覚的です。 だからこそ、罪悪感にさいなまれる彼は自分を誰かが捕まえてくれることをどこかで期待していた。 彼の犯罪は「なかったこと」にされただけ。 パトリックの名前をうろ覚えで他人と勘違いしている友人たちが、本当に興味のあるのは美しい名刺や仕立ての良いスーツ。 外見や服装、他人からどう見られるかには異常な関心を示す人々。 音楽雑誌の批評を暗記したかのようなポップスの批評を語るパトリックも例外ではありません。 しかし、その中身は空っぽです。 連続殺人の衝動にかられるパトリックは十分に異常な人間ですが、それ以上に、周囲の人々や社会環境が病んでいる。 ブラック・ユーモアが胡椒のようにピリッときいていて、お洒落でかつ、そら恐ろしい気分になる映画ですね。 もっと評価されてしかるべき映画だと思います。 ある程度の映画好きでないと、知らない映画、というのではもったいないですね。 コメントのお返しが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。 また、感想等お寄せください。 ありがとうございました。

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映画『アメリカン・サイコ』のネタバレあらすじ結末と感想。動画フルを無料視聴できる配信は?

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ブレット・イーストン・エリス作(1991年)発表時は批評家や世間でかなり叩かれたらしい。 映画「アメリカン・サイコ」の結末が2種類考えられるというレビューに驚いて原作を読んでみました。 結局よく分からなかった・・・。 原作者もはっきりとさせたくなかったのでは?(頭の中では結末はあると思いますが。 ) 原作も仲間とのダラダラと続くおしゃべりのシーンと、殺人のシーンが交互に出てきますが、映画で表現されなかったシーンにはベイトマンの家族やベイトマン本人を知る ヒントが出てきます。 (財産の分与について父親の会計士らに勧められて会う。 )弟は遊び人っぽい。 (ベイトマンがティーンエイジャーの頃に写り、母親は写っていない。 家族の存在は映画では触れられていない。 意図的に隠したのか(映画の内容として必要ないから)、または時間的に描ききれないとして割愛したのか・・疑問です。 」 ・ケンブリッジ(大学?)時代の恋人や知り合いも殺してしまいますが、この時代に 何かあったかのような台詞「良心を捨てた」があります。 殺人を初めて犯した事でしょうか? ・彼は会話の中に「ホモ」という言葉を乱発します、実は潜在意識に願望があるか、過去にトラウマになる事件があったのではないでしょうか? ・また原作では ベイトマンが立ち直ろうとするシーンも2,3ヶ所あるのですが映画では無視されています。 (違うバージョンではそのシーンが入っているとか、いないとか・・。 作品自体が意味の無いような雑談や、錯乱した主人公の心の中の表現でいっぱい。 しかも映画化して質も雰囲気も落ちたり変わったりしていない。 (私が クリスチャン・ベールのファンだからという事は関係してるんだか、してないんだか・・とにかく彼のお陰で出会えた映画です。 ) 結末が「殺人は全部ベイトマンの心の中の狂気が作り出した物だった」としても「殺人は実際にベイトマンがやった」としても救いようのない話ですね。 主人公の今後を考えてしまう・・。 この主人公は病院に入院するか、誰もいない所で1人で暮らすかをお勧めしたい。 (「メメント」の時もそう思ったー。 4 recent comment.

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アメリカンサイコ解説、パトリックベイトマンという男

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個人的には、全てが現実であった、と理解しています。 所々にベイトマンの妄想も入っていますが。 その区別は曖昧ですが、概ね殺人を犯していたのは現実だと。 役名を忘れているので俳優名で書きますが、 ジャレット・レトの部屋が片付けられていて、女性管理者が「訳は聞くな」というような警告(?)を発します。 これは実際この部屋で誰かが殺害を犯したが、次の売り手のことを考えてもみ消しにかかっている、ということ。 また、カードを入れようとしたときに、「ネコを入れてください」というのは妄想ですが、 オバサンを銃殺し、逃走したのは現実。 パトカー追撃は妄想。 アパートで「スミスさん」と呼んだ警備員を殺害したのは妄想 (実際には「スミス」という姓は少ない=実際にはあり得ない) というように、観客も、パトリック・ベイトマンと同じように虚像と現実の区別がつかなくなっています。 だだ、ラストの弁護士への告白と、翌日対面してからのやり取りではっきりします。 弁護士はベイトマンを別人と勘違いしていますし、 それより「面倒なことには関わりたくない」という姿勢がありありとうかがえます。 そこで先のジャレット・レトのアパートの一見と照らし合わせても、 「表面上はスマートに見えるトレーダーたちは、まさに表面上だけのことで、その中身は空虚なまま」 というメッセージを発していると思います。 そのように私は理解しました。

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