石井 琢朗 巨人。 石井琢朗・巨人コーチ就任へ 古巣横浜にはもう戻らないのか(NEWSポストセブン)

石井琢朗

石井 琢朗 巨人

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] 小学生で前川バンビーズ、中学時代は越谷リトルシニアに在籍。 時代の1996年に、に出場(ともに2回戦で敗退)。 は高校時代の同級生で、当時は三浦がエースを務め、石井が4番を打っていた。 にてから4位指名を受け入団。 横浜時代 [ ] は5月にジュニア月間MVPを獲得したが、7月に右足の腫瘍を手術し、残りは治療に専念した。 から一軍で活躍し始め、プロ初を放ち、規定打席には到達しなかったが打率. 328を記録した。 しかし守備難が問題視され、三塁手としては、の加入もあってしだいに出場機会を失う。 オフ、・とのトレードでとともに西武ライオンズへ移籍した。 西武時代 [ ] はの不調で、シーズン後半にとして出場機会を増やし、規定打席不足ながら打率. 304を記録した。 2ndステージ第5戦では、6回表一死満塁に代打で登場、から左翼フェンス直撃の逆転適時二塁打を放ち、リーグ優勝に貢献した。 は6番・でプロ9年目にして初の開幕スタメンを掴むと、高木浩之の離脱での定位置を掴んだ。 開幕から好調な打撃を発揮し、5月のに輝いた他、交流戦では4割を打ち、交流戦首位打者にも輝く活躍を見せた。 プロ入り初の出場も果たす。 8月27日、が9回まで無安打無四球を続けたものの、味方も無得点だったために延長へ突入し、10回表に安打を打たれてを逃した試合で、10回裏にから適時打を放って西口に白星をつけた。 初の規定打席到達で3割打者となり、打率はリーグ4位の. 312、. 391という好成績を残した。 も9番・二塁手で開幕スタメン出場したが、5月に左足裏痛で降格し、に二塁手のレギュラーを奪われた。 の離脱で3番打者が不在になり、復帰した石井は8月1日から3番に抜擢され、中島の穴を埋めた。 規定打席には到達しなかったが、打率. 312の好成績を残す。 はが不振に陥るとで、片岡が離脱するとでの起用が増えた。 4月後半には1・2番打者が決まらず、高い出塁率を見込まれて起用された(1番13試合、2番9試合)。 打率は. 250付近から上昇せず、守備でも6失策と精彩を欠いた。 最後まで中村との併用が続き、レギュラー確保はならなかった。 オフに結婚、挙式した。 は中島が北京五輪のために離脱した際は、片岡が遊撃手に回って二塁を守り、が指名打者となり、石井が一塁手として起用されることも多かった。 終盤はブラゼルの離脱もあって一塁手のレギュラーに定着した。 では5試合中4試合にスタメン起用され、15打数8安打4打点と好成績を残した。 日本シリーズでは第5戦で先制打と勝ち越し適時打を打つなど、通算で16打数4安打2打点の結果を残した他、アジアシリーズでは決勝戦の9回裏にで出塁後、の左中間への安打での緩慢な守備を突き一塁から一気に本塁に生還した。 は規定打席には届かなかったが、退団したブラゼルに代わる5番・一塁手のレギュラーとして自己最多タイの125試合に出場した。 粘り強い打撃で打率. 300の好成績を残して打線の重要なつなぎ役となり、中村剛也との勝負を避けられない場面を増やし、中村の本塁打王獲得に貢献した。 左投手には打率. 136と弱かったが右投手には打率. 310で、本塁打・打点は全て右投手から挙げた [ ]。 一塁守備でも3失策と安定感を示した。 のシーズン当初は、相手の利き腕に合わせてとの併用が続き、6月にのが加入すると先発出場が激減。 対右投手相手での「代打の切り札」となり. 293の打率を残す。 また、対戦数は11打数と少なかったが、苦手の左投手相手にも. 273の打率を残した。 オフの契約更改では保留を繰り返したが、3度目の交渉で初回提示から上積みなしの現状維持でサインした。 は出場機会を増やすためににも挑戦したが、若手起用のチーム方針や自身の打撃不振もあり12試合の出場に留まった。 に戦力外通告を受け 、11月24日にを受験。 にへの入団が決定した。 巨人時代 [ ] はに一軍登録されると、に移籍後初安打となるを記録。 に登録を抹消されたが、再昇格後のに古巣の西武相手にでを決め移籍後初打点を記録した。 主に対右投手の代打として起用され、代打打率. 405(37打数15安打)、得点圏打率. 444を記録するなど代打の切り札として勝負強さを発揮し、チームの優勝に貢献した。 中日とのファイナルステージ第5戦では9回裏一死満塁のチャンスで代打()の代打で登場。 抑えのからサヨナラ安打を放ち、同シリーズのMVPに選ばれた。 この年はプロ入り後初めてチーム内に同姓の選手がおらずスコアボードの表記が「石井」となった。 は、前年のような結果を残す事ができず、翌年のもわずか7試合の出場にとどまった。 同年10月25日に球団から戦力外通告を受け 、10月27日に現役引退を発表。 現役引退後 [ ] ・は独立リーグのへの新規参入球団・の打撃コーチを務め 、よりにあるの社員として勤務する傍ら、同社野球部()の顧問を務め、部員への指導も行っている。 限りで退団。 1月の野手総合コーチに就任し、9月17日をもって退任した。 プレースタイル [ ] 打撃 [ ] の構えから、広角に打ち分けるバットコントロールが特長。 「 打撃の天才」とも称される天性のバッティングセンスは高校時代より注目されており、高校日本代表の一員として渡米した際にはのスカウトの関心を惹いた。 には「をののように使える選手」と評された。 ではに「 赤いバットのテクニシャン」「 麗しの広角打法」と呼ばれた。 2005年にはインボイスSEIBUドームで「 俺たちの首位打者」とアナウンスされていた(なお、その年の首位打者は)。 は、自他共に苦手と認めている。 守備 [ ] 2012年から在籍した巨人では代打での途中出場が主だったが、そのままに入ることも多かった。 5月28日の戦では4年ぶりにを務めている。 詳細情報 [ ] 年度別打撃成績 [ ] 10 18 17 2 4 1 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0. 235. 235. 294. 529 41 61 58 6 19 3 0 1 25 6 1 0 0 0 3 0 0 9 3. 328. 361. 431. 792 53 81 67 7 19 5 0 0 24 8 0 0 0 1 13 0 0 16 2. 284. 395. 358. 753 22 23 20 2 5 1 0 0 6 1 0 0 1 0 2 0 0 7 0. 250. 318. 300. 618 8 12 12 0 5 2 0 0 7 2 0 0 0 0 0 0 0 4 0. 417. 417. 583 1. 000 58 169 138 22 42 9 0 2 57 16 1 1 1 0 30 1 0 24 4. 304. 429. 413. 842 125 471 414 48 129 25 3 6 178 38 7 5 1 1 51 3 4 74 9. 312. 391. 430. 821 67 213 186 32 58 10 0 3 77 16 3 0 2 1 23 1 1 35 1. 312. 389. 414. 803 92 296 260 26 66 14 0 2 86 17 7 0 4 3 29 0 0 53 2. 254. 325. 331. 656 108 335 306 31 85 21 1 4 120 29 0 1 0 4 25 2 0 53 2. 278. 328. 392. 721 125 422 383 48 115 17 3 6 156 39 3 2 5 1 30 1 3 73 7. 300. 352. 407. 760 98 261 222 28 65 8 0 6 91 22 0 0 2 5 31 4 1 35 5. 293. 375. 410. 784 12 20 19 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 6 0. 105. 150. 105. 255 51 64 54 4 17 2 0 0 19 14 0 0 1 2 7 0 0 9 0. 315. 381. 352. 745 62 70 64 1 13 0 0 0 13 2 0 0 0 0 6 1 0 18 0. 203. 271. 203. 475 7 6 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 1 0 0 3 0. 250. 333. 250. 583 通算:16年 939 2522 2224 257 645 118 7 30 867 212 22 9 18 19 252 13 9 421 35. 290. 362. 390. 754 年度別守備成績 [ ] 年 度 試 合 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 1997 - - 6 2 2 1 1. 800 - 2000 - - 11 4 19 0 0 1. 000 - 2001 - - 19 6 22 4 2. 875 - 2002 - - 2 0 0 0 0. --- 1 0 0 0 0. --- 2003 - - 5 1 5 0 0 1. 000 - 2004 - 37 63 75 5 10. 965 7 3 6 0 0 1. 000 - 2005 - 76 111 173 3 29. 990 39 19 49 3 5. 958 - 2006 - 13 16 19 0 7 1. 000 32 21 44 6 1. 915 - 2007 - 29 49 53 2 7. 981 56 39 82 4 7. 968 - 2008 35 238 12 2 16. 992 16 23 39 2 10. 969 5 3 7 0 0 1. 000 - 2009 102 802 56 3 69. 997 - 12 4 7 0 0 1. 000 - 2010 73 473 25 3 33. 994 - 11 9 15 0 0 1. 000 - 2011 3 8 1 0 1 1. 000 - - 3 2 0 0 0 1. 000 2012 20 55 2 0 6 1. 000 3 0 0 1 0. 000 - - 2013 12 25 2 2 1. 931 1 0 0 0 0 ---- - - 通算 245 1601 98 10 116. 994 175 262 359 13 63. 979 205 111 258 18 16. 953 4 2 0 0 0 1. 000 表彰 [ ]• :1回 (野手部門:2005年5月)• MVP:1回 () 記録 [ ] 初記録• 初出場:1997年9月25日、対24回戦()、7回表にに代わりとして出場• 初打席:同上、8回裏にの前に凡退• 初先発出場:1997年10月7日、対21回戦()、8番・として先発出場• 初安打:1997年10月8日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、4回表にから一塁内野安打• 初盗塁:2000年7月15日、対17回戦()、4回表に二盗(投手:、捕手:)• 初本塁打・初打点:2000年9月8日、対広島東洋カープ22回戦(横浜スタジアム)、4回裏にの代打として出場、から右越3ラン その他の記録• 出場:1回 (2005年) 背番号 [ ]• 53 (1997年 - 2002年)• 40 (2003年)• 32 (2004年 - 2007年)• 5 (2008年 - 2011年)• 33 (2012年 - 2014年)• 88 (2015年 - ) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• - スポーツ報知(2014年8月7日)• スポーツニッポン新聞社 2009年11月1日. 2018年6月14日閲覧。 スポニチ Sponichi Annex 野球 2008年11月17日. 2017年5月22日閲覧。 - 日刊スポーツ(2010年12月22日)• - スポーツニッポン 2013年5月25日閲覧• - スポーツニッポン 2011年12月6日閲覧• - 日刊スポーツ(2012年10月22日)• - 日刊スポーツ(2012年10月22日)。 - Yomiuri Giants Official Web Site 2014年10月25日• - 日刊スポーツ(2014年10月27日)• - 東京新聞(2014年11月29日)• スポニチ Sponichi Annex 野球 2017年2月23日. 2017年5月22日閲覧。 - 読売ジャイアンツ オフィシャルウェブサイト(2011年12月6日)• - スポーツニッポン• スポーツニッポン 2012年5月24日. 2012年6月2日閲覧。 - 日刊スポーツ(2012年5月28日) 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - NPB. jp 日本野球機構• 選手の各国通算成績 、.

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石井琢朗・巨人コーチ就任へ 古巣横浜にはもう戻らないのか(NEWSポストセブン)

石井 琢朗 巨人

年度 所属 試合数 本塁打 打点 盗塁 打率 打数 安打 二塁打 三塁打 三振 1989 大洋 17 0 0 0. 400 5 2 0 0 2 1990 大洋 2 0 0 0. 000 1 0 0 0 0 1991 大洋 10 0 0 0. 500 2 1 0 0 0 1992 大洋 69 3 23 4. 269 219 59 3 3 33 1993 横浜 121 5 36 24. 266 414 110 19 5 64 1994 横浜 130 3 40 10. 251 451 113 21 2 66 1995 横浜 124 2 41 23. 309 444 137 22 2 63 1996 横浜 129 1 29 45. 282 496 140 19 3 76 1997 横浜 132 10 44 23. 319 521 166 23 1 58 1998 横浜 135 7 48 39. 314 555 174 34 5 69 1999 横浜 131 8 58 39. 292 537 157 24 3 81 2000 横浜 134 10 50 35. 302 546 165 19 5 83 2001 横浜 140 8 36 26. 295 580 171 34 4 81 2002 横浜 140 8 49 19. 274 569 156 29 2 95 2003 横浜 115 6 26 20. 231 415 96 12 1 53 2004 横浜 131 10 43 11. 295 535 158 26 6 85 2005 横浜 146 8 40 18. 255 612 156 22 2 77 2006 横浜 146 6 32 12. 288 604 174 30 0 99 2007 横浜 108 2 13 6. 275 360 99 11 0 39 2008 横浜 98 2 18 1. 262 279 73 7 0 47 2009 広島 89 2 18 2. 227 211 48 10 3 33 2010 広島 74 0 20 1. 318 148 47 5 1 20 2011 広島 61 1 4 0. 250 92 23 2 2 13 2012 広島 31 0 2 0. 167 42 7 1 0 4 計 2413 102 670 358. 282 8638 2432 373 50 1241.

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石井琢朗の娘(さやか)は青学?現在の嫁と元妻と有働由美子の関係は?

石井 琢朗 巨人

提供 コーチとしてセ・リーグ3球団を渡り歩くことになる石井琢朗氏(写真:時事通信フォト) 今季限りでヤクルトを退団した石井琢朗コーチが、来季は巨人の1軍コーチとして指導に当たると各スポーツ紙で報じられている。 石井琢朗は、1998年に横浜を38年ぶりの優勝に導いたリードオフマンであり、球団史上最多安打数を誇るベイスターズの顔だった。 しかし、38歳の2008年に不振に陥ると、球団から引退勧告を受ける。 石井はそれを拒否して広島へ移籍。 4年間、現役を続けて2012年限りで引退した。 その後、広島でコーチに就任し、2016、2017年の優勝に大きく貢献した。 昨季からはヤクルトの打撃コーチに。 今季は高卒2年目の村上宗隆が36本塁打、96打点を挙げるなど、若手育成の手腕が高く評価されている。 その敏腕コーチを巨人が獲得することとなった。 石井はコーチとして、セ・リーグで3球団を渡り歩くことになる。 今年、ヤクルト退団が報じられると、横浜ファンから復帰を望む声も挙がっていたが、古巣へ戻ることはなかった。 野球担当記者が話す。 「遺恨が残るような退団の経緯でしたからね。 その後の他球団での貢献ぶりから考えると、石井が指導者として在籍していれば、横浜は今より強くなっていたかもしれません。 チームの顔がフロントと折り合わずに移籍して、そのまま移籍先で指導者になり、元の球団に戻ってこない例は多々あります」(以下同) 1977年、南海ホークスの野村克也選手兼任監督は解雇を言い渡されると、オフにロッテに移籍。 最終的には西武で引退した。 9年間に及ぶ解説者生活を経て、1990年にヤクルトの監督に就任。 4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝き、長きにわたって低迷していたチームを立て直した。 その後も阪神、楽天の監督を務めたが、古巣であるホークスにカムバックすることはなかった。 「野村監督の退任した翌1978年から1997年までホークスは20年連続Bクラスでした。 その間、ホークスの顔だった野村氏がヤクルトの黄金時代を築いたことは皮肉でした」 ファンからすれば、生え抜きとして活躍したスター選手が監督やコーチとしてチームを率いる姿が望ましいだろう。 しかし、球界では最終的に引退した球団で指導者になるケースは多いが、古巣に戻る例は意外と少ない。 「横浜では金城龍彦も引退勧告の末にFAで巨人に移籍し、今年は2軍の打撃兼外野守備コーチでした。 巨人がよく戦力外になったベテランや峠の過ぎた選手をFAで獲得するのは、引退後を見越してのことでしょう。 昨年オフに獲得した、メジャー経験者である中島宏之や岩隈久志は、今シーズン活躍できませんでした。 来シーズンもどれくらい成績を残せるか不透明です。 しかし、仮に選手として上手くいかなくても、将来指導者として豊富な経験を伝えてくれればいいと球団は考えているのではないでしょうか。 巨人の補強は批判されることもありますが、将来のことまで視野に入れている。 巨人で、功労者が遺恨を残して移籍するケースがないとは言いませんが、少ないほうでしょう。 もちろん選手としても、巨人ブランドのまま引退したいという思惑はあるかもしれませんが、12球団の中では功労者を無下にしない部類に入ります。 今年の阪神の鳥谷敬や楽天の嶋基宏のように、球団史に残るような活躍をした選手には、本人が納得いくまで、その球団で現役をやらせてもいいと思います。 将来を見越した時、優秀な人材を他球団に流出することになり、結局球団が損をすることになるからです」 将来、石井琢朗がコーチ、あるいは監督として、横浜に復帰する日は来るだろうか。

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