ヒト 科 ヒト 属。 ヒト(ホモ・サピエンス)|最高の知能を持つ動物 | 動物図鑑

●ボノボ 哺乳綱霊長目ヒト科チンパンジー属に分類: 流れて来た縄文人

ヒト 科 ヒト 属

北部の成人(左)と(右) LEAST CONCERN Ver. 1 2001 : : : 階級なし : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ヒト H. sapiens , 亜種• sapiens• (不確実) ヒト( 人、: human)とは、広義には()に属するの総称であり 、狭義には現生の(現在生きている)(学名 : Homo sapiens)、 ホモ・サピエンス・サピエンス( ホモサピエンスサピエンス、 Homo sapiens sapiens)を指す。 人間(にんげん)ともいわれる。 「ヒト」はいわゆる「」の上のである。 生物学上のとしての存在を指す場合には、カタカナを用いて、こう表記することが多い。 本記事では、ヒトの生物学的側面について述べる。 現生の人類(狭義のヒト)に重きを置いて説明するが、その説明にあたって広義のヒトにも言及する。 なお、を含めた広義のヒトについてはも参照のこと。 ヒトのについては「 」および「」の項目を参照のこと。 概説 [ ] ヒトとは、いわゆる人間のことで、が Homo sapiens(ホモ・サピエンス)あるいは Homo sapiens sapiens(ホモ・サピエンス・サピエンス)とされている動物のである。 Homo sapiens は「知恵のある人」という意味である。 古来「人は万物の霊長であり 、そのため人は他の動物、さらには他の全てのから区別される」という考えは普通に見られるが、生物学的にはそのような判断はない。 「ヒトの祖先はである」と言われることもあるが、生物学的には(的には)、ヒトはサル目ヒト科ヒト属に属する、と考えられており、「サルから別の生物へした」という説を証明する決定的な証拠はまだなく、依然としてサル属の一種と見なされている。 の一種であるとされ、生物学的に見ると、ヒトにもっとも近いのはヒト以外の大型である。 ヒトとその他の大型がを構成している。 では、生物学的な方法だけでヒトとその他の類人猿の区別ができるのかと言うと、現生のヒトと他の類人猿は形態学的には比較的簡単に区別がつくが、DNAの塩基配列では極めて似ており、また早期の猿人の化石も他の類人猿とヒトとの中間的な形態をしているため、線引き・区別をするための点は明らかではない。 結局のところ、「ヒト」というのは、を行うこと、およびヒト特有のを持っていることで、他の類人猿と線引き・区別しているのである。 つまり、実は生物学的な手法・視点だけでは不十分で、結局、他の視点・論点も織り交ぜつつ区別は行われている。 分類学上の位置について言うと、現生人類はに分類されるが 、ホモ・サピエンスには現生人類以外にもも含まれる。 なお現生(つまり、現在地球上で生きている人間)はすべてこの種(ヒト)に分類されている。 ヒトの身体的な特徴のかなりの部分(が上肢に比べて大きくて強い、の幅が広くて大きい、等)は、直立二足歩行を行うことへのの結果生じた形質である。 直立二足歩行によって、ヒトは体躯に対して際立って大きな頭部を支える事が可能になった。 結果、の発達をもたらし、極めて高い知能を得た。 加えてが自由になった事により、道具の製作・使用を行うようになり、身ぶり言語と発声・発音言語の発達が起き、文化活動が可能となった。 分布は世界中に及び、もっとも広く分布する生物種となっている。 ヒトは能力が高く、その行動、習性、習慣は非常に多様で、、、によっても大きく異なるが、同時に一定の類似パターンが見られる [ ]。 また外見などの形質も地域に特化した結果(・・等)と形容されるグループに分類される。 しかし全ての人種間で完全な交配が可能であり全てヒトという同一種である。 統一的な説明はなかなかに難しいため詳細はそれぞれの項目を参照されたい。 特徴 [ ] まず、他の哺乳類や類人猿などとの区別を成立させて述べる。 二足歩行 [ ] ではヒトのみがを行う。 コミュニケーション能力 [ ] ・が発達しており、(だけでなく)()・や()によるを図れる。 音声による会話能力を獲得した年代はの発生以降で、25万年以上前とされている。 この研究は、、などの学問と関連する。 ヒトには、の能力が生得的に備わっていると考えられており、脳のに損傷を持たない人間は幼児期の短期間に発話の能力を獲得する。 一方で文字の発明はとされており、生物学上の人類史ではごく最近である。 しかもが普及し多くの個体が能力を得るようになったのはこの100-300年程度であり、など本来文字が存在しなかった文化・文明もある。 アメリカ大陸のは現代まで一万年にわたる口述伝承をしてきたともされる [ ]。 そのため文字認識の能力は個体差が大きく、発話と同時期に文字の理解能力を得る個体から、成人後も文字の読み書きに困難を抱えると呼ばれる個体までいる。 音声による会話、視覚による文字とも、時代を経るごとに情報量が増え、表現も多様化・複雑化し、適応した個体と適応していない個体にの差が生じる。 (ヒト以外の、特にのコミュニケーション能力については の研究が詳しい。 ) 総体 [ ] 細かくは後述を参照すべきだが、全体として「大型」「群れる」「中速度で長距離を移動する」「された質の良い、多様な食物を食べる」「など自分の体から離れたものを利用する」ことが動物としてのヒトの特徴・生態的地位といえる。 この節のが望まれています。 外観的特徴 [ ] としては極めて大型の種。 これより大きいものにとがあるが、いずれもサル目としては群を抜いて大きい。 なお、動物一般には頭部先端から尻、または尾までの長さを測定するが、ヒトでは尾に該当する部位が退化しており標準の大きさとして直立時の高さ()を測定することが多いので、他種との直接の比較は難しい。 体長は雄の成体でおおよそ160〜180cm、は50〜90kg程度。 基本的な体の仕組みについて、サル目に共通の特徴、に共通の特徴以外に、ヒトに独自の特徴としては、以下の点が挙げられる。 完全に直立の姿勢を取れる。 頭が両足裏の間の真上に乗る位置にある。 乳幼児を除いて、ほとんどの場合二足歩行を行う。 前足の付け根が背中面の位置に近い。 後ろ足が手(他種でいう前足)よりも長く、かかとがある。 体表面のほとんどの毛が薄く、ほとんどの皮膚が露出する。 以下、各部分について説明する。 頭部 [ ] 頭頂部が非常に大きく丸い。 これはのうちが発達しているためである。 には、、、、後脳、、がある。 はほぼ垂直、あごの先端がややとがる()。 顔面には、2つの・、一つの・がある。 顔面の上から後ろにかけて毛()が密生する。 頭髪に覆われる部分以外は肌が露出することが多いが、雄は顔面下部に毛を密生することがある()。 目の上、まぶたのやや上に一対の横長の隆起があり、ここに毛を密生する()。 は前に突出し、鼻孔は下向きに開く。 の周囲の粘膜の一部が常に反転して外に向いている()。 胴部 [ ] 直立姿勢であることによって、背面はやや中央がくぼんだやや弓なりな平面を成し、とがやや前に突き出した形になる。 また、両側の肩胛骨がほぼ同一平面に並び、平らな背中を形成する。 には、とがある。 心臓は左にあることが多く、右にある場合をという。 心臓からはとにが流れている。 腹には、、腸(、、、、)、、、、、、などの臓器がある。 胴を支えるはによって受け止められる。 そのため、他の霊長目とは違い直立姿勢によって発生する上部の加重軽減するためにやや弓なりに組まれている。 ただし、全ての加重を軽減できるものではなく、そのことがヒト独特の(主に)に加重がかかった損傷状態であるを引き起こす要因になる。 胴の下部にはがある。 雄は、となど。 雌は、となど。 雌では胸に一対の乳房が発達する。 また、腰骨は幅広くなっており、腰の後部に多くの筋肉と脂肪がつき、丸く発達する()。 尻の隆起は主として二足歩行によって必要とされたために発達したものと考えられる。 しかし雌の尻は脂肪の蓄積が多くてより発達し、乳房の発達と共にの一つとされる。 特に、雌における乳房は性的成熟が始まるとすぐに発達が始まり、妊娠によってさらに発達するとはいえ、非期、非保育期間にもその隆起が維持される点で、ヒトに特異なものである。 これには、性的アピールの意味があるとされるが、その進化の過程や理由については様々な議論がある。 の項を参照。 前足 [ ] 前足は「腕」、特に尺骨・橈骨より先の部分は「手」と呼ばれ、歩行には使われない。 あえて四足歩行を行う場合には手の平側を地につけ歩き、などに見られるようなは一般的でない。 肩関節の自由が大きく、腕を真っすぐに上に伸ばし、あるいは左右に広げてやや後ろに曲げることが可能である。 親指が完全に手の平と向かい合う。 指先は器用。 後足 [ ] 後足は「脚部」、特に地面に接する部分は単に「足」とも呼ばれ、歩行のために特化している。 膝を完全に伸ばした姿勢が取れる。 膝は四足歩行時にここを接地させるので肥厚しやすい。 とつま先がアーチを形成し、間の部分()がやや浮く。 これによって接地の衝撃を吸収する。 まれにのほとんどない形状(いわゆる「扁平足」)の個体もある。 体毛について [ ] ヒトは往々にして「裸のサル」といわれる。 実際には無毛であるわけではなく、手の平、足の裏などを除けば、ほとんどは毛で覆われている。 しかし、その大部分は短く、細くて、直接に皮膚を見ることができる。 このような皮膚の状態は、他のでは水中生活のものや、一部の穴居性のものに見られる。 ヒトの生活はいずれにも当てはまらないので、そのようなが起きた原因については様々な説があるが、定説はない。 代表的なのは以下のような説である。 外部がとりつきにくくする、あるいはそれらを取りやすくするための適応。 体表を露出することで、放熱効率を上げて、持久力を上げるための適応。 幼形成熟()の結果。 性的接触の効果を上げるための適応。 一時期に水中生活を送ったなごり。 (水に浸からない頭髪だけが残ったという説。 を参照。 ) 全身は裸に近いが、特に限られた部分だけに濃い毛を生じる。 それには生涯維持されるものと、性成熟につれて発生するものがある。 おおよそのパターンはあるが、実際の毛の様子には雌雄差、人種差、および個体差が大きい。 毛が密生する部位は、数か所に限られる。 それらは、以下のようである。 頭部の上から後ろにかけて()・目の上の横長の部位()・の縁()・内():この部分は、ごく幼い頃から毛が濃く、成人までそれを維持する。 特に頭髪は生涯伸び続け、放っておくと数メートルに達するが、ほとんどの個体は自ら(あるいは他の個体に依頼して)道具を用いて適度な長さに整えている。 老化が進むにつれて頭髪は薄くなる場合があり、それは雄で特に著しい()が、個体差が大きい。 脇の下()・股間の上部と周辺から周辺にかけて(陰毛):いずれもの発達に並行発達する。 顔の鼻から下、耳から顎にかけて()・胸の中心線周辺()・足の膝から下():これも二次性徴の発達にしたがって出現するが、雄に顕著で、雌ではあまり発達しない。 雄でもこれらの毛の濃さには個体差があり、ほとんど生えないものもいる。 なお、哺乳類の顔面には上述の体毛とは別に、感覚器官としての毛「(どうもう)」が生えている(e. 猫のヒゲなど)が、ヒトの顔面からは洞毛が完全に消失している。 内部形態 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2012年4月) 全体• 首より上• 大脳が極めてよく発達し、体全体との重量比では哺乳類中で最大である。 上半身 上記抜き• …生命機能に必要な物質の一部を合成して身体の他の組織に送り、他の組織より老廃物や有害物質を受け取って無害化を図る巨大な代謝組織である。 また、胆汁を産生・分泌する外分泌腺でもあり、体温維持に必要な熱を産生する主要な臓器でもある。 …機能的、解剖学的に左右に分けられる。 右心系は肺を除く身体各部の血管系(体循環)から上、下の大静脈を通して血液(静脈血)を受け取り、肺動脈を通して肺の血管系(肺循環)に血液を送り出す。 肺でガス交換を終えた血液(動脈血)は肺静脈を通って左心系に流入し、左心室の強大な拍出力によって体循環へと再び送り出される。 …鼻、鼻閉時には口を通して吸入された空気と肺循環に送り込まれた静脈血との間で主に酸素と二酸化炭素の交換を行う臓器である。 空気と血液は肺胞壁と血管内皮を介して隣接し、各気体のガス分圧の勾配に従ってその移動を許す。 即ち、酸素はより分圧の高い空気から分圧の低い血液に向かって移動し、二酸化炭素はより分圧の高い血液から分圧の低い空気へと移動する。 この結果、動脈血は酸素に富み、二酸化炭素の少ない血液となる。 また、肺血管は膨大な毛細血管床を有しており、静脈血はすべてこれを通って体循環へと入るため、静脈血中の一部の物質の代謝や物理的な濾過の役割も果たす。 …膵臓は外分泌腺と内分泌腺よりなる。 外分泌腺部では多くの消化酵素(トリプシン、キモトリプシン、リパーゼ、アミラーゼ等)が産生され、膵管の分泌するアルカリ性の液体と混じて膵液を作る。 消化酵素は多くは活性を持たない前駆体の形で膵液に含まれ、これがペプシンや十二指腸上皮の刷子縁に存在するペプチダーゼによって部分分解される事で活性のある酵素を生じる。 内分泌腺部はランゲルハンス氏島と呼ばれ、インスリン、グルカゴン、ソマトスタチン、VIPなどを産生している。 …血液を濾過し、血球と大分子量の物質を除いた濾液(原尿)を産生し、これから必要な物質を再吸収して尿を産生する臓器である。 再吸収される物質は多くあるが、代表的なものとしてナトリウム、カリウム等の電解質、グルコースやアミノ酸等の栄養素、小分子タンパク等がある。 また、水分もほとんどが再吸収される。 このため、一日に産生される原尿は200リットルと膨大な量にもかかわらず、尿量は1 - 2リットル程度となる。 この様な尿産生の過程で、身体に不要な老廃物は再吸収効率が悪いため、尿中に濃縮される事になる。 電解質や水分(自由水)の再吸収率を調節する事で、腎臓は身体の体液量を調節する極めて重要な組織である。 また、腎臓は赤血球の産生を刺激するエリスロポエチンや、体液量と血圧を増大・上昇させるレニン-アンギオテンシン-アルドステロン系を駆動するレニンを分泌する内分泌臓器でもある。 含 …食物を胃液と混じ、一時的に保持する臓器である。 胃液も消化酵素であるペプシンを含むが、胃液自体は消化機能に必須ではない。 むしろ、食事で一度にとられた食物を保存しておき、徐々に十二指腸に送り込む機能が主機能である。 このため、保持している食物中で細菌が増殖しない様に、強い酸性の胃液と混じて保存する必要があるのである。 強い酸性である胃酸に胃粘膜が障害されない様に、胃の上皮細胞は粘液を産生して防御している。 この様な防御因子を阻害するものがあると、胃粘膜障害が生じて胃潰瘍ができる可能性がある。 防御因子の阻害要因としてはH. pyloriが最大の要因であり、その他喫煙、ストレス、NSAID等の薬剤、胃粘膜血流の減少等があげられる。 …食物を吸収可能な形まで分解し、それを吸収する臓器である。 まず食物は膵液と混ざり、大雑把に分解される。 これがさらに小腸の上皮細胞の刷子縁にある分解酵素(各種ペプチダーゼや二単糖分解酵素等)でアミノ酸や単糖の状態まで分解され、上皮細胞内に吸収される。 刷子縁に存在する酵素で吸収可能な形にまで分解する意義は、刷子縁は極めて細かな微絨毛からなり、この隙間には細菌も侵入できない為、ここで最終的な消化が行われれば細菌との栄養素の競合が少なくなる事にあると考えられている。 …大腸は大きく結腸と直腸に分けられる。 結腸は栄養素が吸収された後の残渣から水分と電解質を吸収し、便を作る臓器である。 直腸は便を排便まで保持する臓器である。 消化管には食物や飲料の他、胃液や膵液、腸液など、一日に平均して10リットル近い水分が流入する。 そのうち、約1. 5リットルが小腸において吸収され、残りのほとんどを結腸が吸収する。 便中に排泄される水分はわずか200ミリリットル程度である。 結腸が濃度勾配に逆らって吸収できるのは電解質しかない。 水分は吸収された電解質に引かれて受動的に吸収されるにすぎない。 したがって、結腸は基本的には自由水を吸収する能力は持たない。 …尿を排尿時まで保持する臓器である。 陸上生活をする哺乳類においては、尿や便を魚類のごとく垂れ流しにするのははなはだ生存に不利である。 これは、尿や便を垂れ流しにすれば、それをたどって捕食者に容易に発見されてしまうためである。 したがって、哺乳類では便を保持する直腸や尿を保持する膀胱が発達したと考えられている。 …胆嚢は肝臓で産生された胆汁を保持し、濃縮し、必要な時に排出する臓器である。 胆汁は肝細胞で産生され、細胆管や肝内胆管、左右肝管、総肝管へと流れるが、総肝管から分岐する胆嚢管を通って胆嚢に流入する。 ここで水分の吸収などが行われて濃縮され、保持される。 小腸の上皮から分泌されるコレシストキニンなどの刺激があると胆嚢が収縮して濃縮された胆汁が排出される。 これは胆嚢管から総肝管を通り、膵管と合流した総胆管、そしてファーター乳頭を経て十二指腸に流入する。 …副腎は皮質と髄質からなり、皮質は主に三種類のステロイドホルモンを産生し、髄質はカテコラミンを産生する内分泌臓器である。 皮質はさらに球状層、束状層、網状層よりなり、それぞれアルドステロン(鉱質コルチコイド)、コルチゾール(糖質コルチコイド)、DHEA(男性ホルモン前駆体)が主産物である。 副腎皮質機能不全は死に繋がりうる極めて重要な疾患であり、これは即ち副腎皮質の産生するホルモンの重要性を示すものでもある。 副腎髄質はカテコラミン、特にアドレナリンを産生する臓器であり、交感神経系と共同して「逃走と闘争」の反応を引き起こす。 …機能的には巨大なリンパ腺と考えてよい。 ただし、リンパ腺がリンパ系に属するに対し、脾臓は血管系に繋がる。 脾臓では古い赤血球(寿命はおよそ120日である)がマクロファージに貪食されて処理され、血液中の病原体なども濾過、貪食される。 また、これに引き続く適応免疫の展開の場ともなる。 従って、脾臓には極めて多くのリンパ臚胞が存在する。 脾臓は他の哺乳類では血液を保存し、運動時に収縮する事で血液量を増加させる機能があるとされるが、ヒトにおいてはこの様な機能はほとんどないと言ってよい。 脾臓の摘出は生命維持という観点では大きな影響はないが、幼少時に脾摘を受けると細菌感染症にかかりやすくなるなど、免疫能が低下する可能性がある。 「」も参照 身体能力 [ ] ヒトの後肢 [ ] ヒトは大部分の哺乳類とは異なり、後肢だけで立つ直立姿勢が普通の姿で、移動は主としてこの体勢で両足を交互に動かす、いわゆるを行う。 ゆっくり移動するのを、早く移動するのをという。 長距離移動に関しては能力が高く、訓練すれば数時間も走り続けることができる。 ヒトの前肢 [ ] 前肢は主としてものをつかむ、引く、押すなど操作するのに使われる。 そのため、前肢の基部の関節の自由度が高い。 通常、の時期を除いて、前足を移動に使うことはない。 他の類人猿のように前かがみになっても、両手が地面につくことはまずない。 ただし、急傾斜地や崖を登る際には両手を使うこともあるが、地面を押さえて体を支えるよりは何かをつかんで体を引き上げるのが普通である。 ヒトの特筆すべき能力として、複雑な指の運動や腕の運動による、道具の加工、武器の使用、がある。 こうした能力は道具・武具の進歩と共に相乗効果的に向上し、生活に必要な技能()のほか、個体対個体や社会対社会の衝突(争い・)、そして娯楽文化()などを発達・発展させる基礎の一端にもなっている。 ヒトの体温調節能力 [ ] 特に高温への適応に卓越している。 を全身に有し、水分と電解質を充分摂取すれば高温環境でも激しい運動が可能である。 エクリン腺による発汗能力を発達させ、炎天下で長距離疾走できるのは哺乳動物の中ではヒトの他にはウマ科など一部の種に限られる。 もっとも高温への対応を発汗機能に頼ったことで、高温かつ多湿には耐性が弱い。 が発達しており低温環境にも一定の適応性を有しているが、ヒトは他の哺乳動物のように体毛での体温保持はできず、低温には衣服で対応している部分が大きい。 ヒトの消化吸収能力 [ ] 消化管が短く、歯やあごが弱いなど消化吸収能力が低い。 他の動物でしばしばみられるも行わない。 一般に食物は、たとえば同じ重量の肉・イモでも加熱調理によって分子結合が変化するため短時間で消化吸収でき、摂取できるカロリーが増える。 ヒトはそれを行わなければ生存すら困難である反面、消化吸収で運動能力が低下する時間が短い。 また、を体内合成できない。 かなり多くの塩分を処理できるが、海水では生活できない。 ヒトの泳ぎ [ ] 動物はたいてい生まれつき泳げるが [ ]、ヒト・ゴリラなどを含むごく一部の霊長類だけが例外的に、学習しない限り泳げない。 しかし訓練すれば20-30mの水中にことも可能であり、記録もある。 生活史 [ ] 他の多くのと同じくでである。 期間は約266日、約2~4kg前後で生まれる [ ]。 はサル目としては極めて無力な状態である。 一般のサル類は、生まれてすぐに母親の体にしがみつく能力があるが、ヒトの場合、目もよく見えず、頭を上げる(首がすわる)ことすらできない状態である。 これはによりが縮小したために、より未熟な状態で出産せざるを得なくなったためと考えられている。 しかしながら、出産直後の新生児は自分の体を支えるだけの握力があることが知られ(数日で消える)、また、体毛も出産までは濃く、その後一旦抜けるなど、「裸で無力」なヒトの乳児の性質は二次的に獲得されたとする説もある。 約2年で、次第に這い、立ち歩き、言葉が操れるようになる。 栄養の程度にもよるが、10年から20年までの間()に性的に成熟を完了する。 体の成長はその前後に完成する。 だいたい12歳〜15歳のころに生殖能力を得るようになる [ ]。 11歳未満で生殖能力を得る個体も存在するが、雌の場合はまだ身体が成長途中であるために、妊娠には大きな危険が伴う。 個体が成育する文化によるが、雌雄共に15歳を過ぎたあたりから生殖に対し活発になり、40歳くらいまでは盛んな時期が続く。 雄の場合、その活動は次第に低下していき老齢に達しても生殖能力を持つものから50代程度で失うものがいるなど個体差がかなり大きい。 それに対して雌では通常50〜55歳くらいにがあり、それを期に生殖能力を失う。 老化が進むと骨格の収縮・筋力の低下・背骨の前屈・頭髪の代謝低下(一般に言う「白髪」や「禿げ」)などの変化を生じるが、これらには個体差がある。 多産多死 [ ] サル目の中で最も多産である [ ]。 生物学上、一個体の雌が生涯で産む子の数は最大で15人前後であるが、双子、三つ子などのも多い(ヒト以外の霊長類では双子、三つ子は比較的珍しい)。 現在では経済的に恵まれた社会ほど少子化する傾向にあり、発展途上国や戦時では多子傾向が強くなる [ ]。 以前の社会では多産多死であり、母子ともに死亡リスクが高かったが、医療の発展、農業技術の進歩、の普及などが大きく影響し、末以降、ヒトの個体数は著しく増加した。 だが実際には様々の要因により寿命はそれよりも短くなる。 雌の方が5年から10年程度平均寿命が長くなるようである。 かつてヒトの平均寿命ははるかに短く、35〜50年程度だった。 現在でも、栄養条件の劣悪な環境下(主に及び未開社会)では、35〜50年程度であることが多い。 また生殖可能な年齢を過ぎた後の生理的寿命が非常に長い。 2013年の時点でが最も長い国であるでは、女性の平均寿命が86. 6歳、男性の平均寿命が80. 2歳となっている。 生殖可能期以降の寿命が長いことの理由については、いくつかの説がある。 習性 [ ] ヒトの習性は、高度に発達したや集団内の情報伝達の発達によって、それ以外のすべての動物とは非常に異なった様相を見せる [ ]。 文化との関連 [ ] 一般に動物の行動や習性は、、の3つに分けられる。 本能行動はレベルで確定され、生得的に身に付いているもので、などによく発達している。 学習行動は、それぞれの個体が経験によって後天的に身に付けるものである。 知能行動は、これに似るが、そのような学習を基礎に、初めての状況下で、推測などの判断をもとに行われるものである。 人においては、本能行動はほとんど見られず、学習行動と知能行動が発達していると言える。 しかしながら、現実の人の行動がそれらによるものであるかと言えば、必ずしもそうではない。 日常に見られる行動の多くは、個人が経験で獲得したものでも、推測などによって判断したものでもなく、その個体の属する集団に伝統的に継承されたものである。 各々の個体は、親や周囲の他個体から見習う、あるいは積極的に指示されることで行動を身に付ける。 これを何と呼ぶかは難しいが、広い意味での「」という語をこれに当てる考えもある。 通常は文化と言えば、や、技術、あるいは社会的なものなどを指すが、その発達や伝達の形式だけを取れば、共通するものである。 このような広い意味で文化を考えれば、サルなどの動物にもその片鱗が見られる。 しかし、人の場合には、他の動物に比すれば、文化的に決定される部分が非常に大きい。 その内容は地理的にまとまった集団によってある程度までは共通する。 このまとまりをというが、その中にさらに多少とも異質な小集団が見られることも多い。 また、歴史的経過の中で、いくつもの民族が入り乱れた状態で一つの大きな社会を形成する場合もあり、その様相はこれまた多彩である。 しかし、いずれにせよ、文化はその民族ごとに多少とも固有であり、情報や意思の伝達に使われる言語や身振り手振りまでもが異なるので、意志疎通すら困難な場合もある。 その関わりがあまりに深く、多岐にわたるため、どこまでが文化の影響であるかを判断するのが困難な場合が多い。 いわゆる論などはその例である。 しかし一方で、文化の違いの多くは程度的、表面的なものか 、もしくは自集団(われわれ)と、他の集団(やつら)との差異を強調し 、前者の優越を誇り、結束を固めるためのプロパガンダ的なものでもあり 、一段深いレベルで人の社会を見た場合、全体に共通する非常にはっきりとした普遍特性が浮かび上がってくる。 も参照。 以下、人の習性に関する大まかな項目を説明するにあたり、文化の違いによって異なる部分に触れない程度にまとめる。 食性 [ ] 植物のや茎、、、などの、陸上脊椎動物、無脊椎動物、などのと非常に幅広い食性を有するである。 多くのサル類に見られるような昆虫などの小動物の捕獲のみならず、それに加えてより大型の哺乳類や鳥類をで狩りをすることによって捕獲する、魚介類や海洋哺乳類を利用するなど、動物性の食料の利用はサル類の中では抜きん出ている。 これは、高い知能や文化的な情報の蓄積によるところが大きい。 一般的傾向として、との豊富な肉、を多く含んだ甘いものを好む。 肉への嗜好に対しては、これが大脳の発達を促したという説もある。 また糖分を多く含んだ甘いものへの嗜好は、ホモ・サピエンスの祖先が果実食を多く行っていた事の継承とする説もある。 食物にはしばしば味の付加が行われるが、これはヒトの発汗機能が他の動物に比べて非常によく発達しており、大量の塩分の摂取を必要としているからである。 食の習慣も広範にみられ、東アジアを中心にを好んで摂取する地域もある。 肉食では、陸上脊椎動物と(と)の摂取が最も一般的だが、沿海部や島嶼に居住する個体には海産の(や)やも好まれる。 についてはかつてかなり広い範囲でみられたものの、現在は一部の地域をのぞいて一般的なものではなくなっている。 正確な年代は諸説あるが、ごろから、野生のものを採るのではなく、食料を自ら育てること、つまりやが多くの地域で行われるようになり、各地で地域に合ったさまざまな形のが発達した。 現在では、食料は大部分がこれで賄われている。 なお、牧畜の発達によって、ヒトはヒト以外の哺乳動物の乳を食物とするようになった。 また、の技術は当初においては摂食可能な対象の範囲を大きく広げた。 例えばヒトは状態のを消化できないが、加熱調理によって結晶を破壊し、やなどの自然状態では摂取不可能なものも摂取可能にした。 後には、単なる食料ではなくという文化を産んだ。 動物としては極めて特殊な食性として、を好むことも挙げられる。 エタノールはカロリー源として優れているものの、同時に強い毒性を示し、中枢神経を麻痺させる作用()があるが、ヒトはむしろこの麻痺を快感として受け入れてきた。 もっとも、エタノールの嗜好には個体差が大きく、あまり好まない個体や、嫌悪を示す個体もかなり多い。 また東アジア系のヒトの中には、遺伝的に分解酵素を持たず、エタノールを摂取できない個体もいる。 一方で、個体が置かれた環境によって、あるいは個体の属する集団の主体的選択により、摂取する食物を制限する(される)場合も見られる。 一例として北極地帯に生息するヒトは、魚介類や海洋哺乳類などの肉食が中心であり、植物を摂取することはまれである(植物を摂取できる環境にない)。 主体的選択による食物の制限としては、肉食を忌避し植物食のみを選択するヒトが少なくない。 また、特定の動物の肉のみを忌避するヒトも一定数存在している。 一方で環境やその個体の所属する集団とは関係なく、その個体のみの嗜好によって摂取する食物を制限する例も見られるが、これは偏食と呼ばれており、しばしばヒトの所属する集団の規範を外れた行動だとみなされる。 としてなどの必須栄養素上、必ずしも利点がないものを好む個体も居る。 や、などが挙げられる。 住居の使用 [ ] ヒトは古くよりそれなりのをつくっていたようである。 の入り口付近を生活の場にしていた例は、などに見られ、長期にわたってたき火を維持していた様子も見られる。 その他、動物のや皮で作られた様のなども知られている。 いずれにせよ、何らかののある部屋を作るなり、既存のものを利用するなりしていたようである。 これがいわゆる家、住居の始まりになるものと思われる。 ただ、巣を作る習性は他の動物にも見られるため、ヒト特有のものではない。 ヒトの作る巣(住居)において特徴的なのは、その生息分布が非常に広いことによって、それぞれの生息地域の環境に即した、さまざまな種類の住居を作ることである。 他の動物に比べて極めて高度な構造の住居を作ることや、住居を作る技術が逐次発展改良されていることも特徴と言えるが、これはヒトの知能の高さや、ヒトが道具を使うことに由来するものであり、このような特徴は住居以外にも見られる。 むしろ、ヒト以外の動物は自らの住むところ以外には構造物をほとんど作らないが、ヒトは住居に限らず多種多様な人工構造物を作ることが特徴といえる。 衣類の使用 [ ] 体を何かで覆うことは、ほとんどの生息域のヒトにおいて行われる。 いわゆるである。 これを、ヒトの体が毛で覆われていないことから発達したと見るか、衣服の発達によって毛がなくなったと見るかは、判断が分かれる。 しかし、それがかなり古い時代に遡ることは、衣服に付くがとして頭髪に付くとの間に亜種のレベルでのを生じていることからも想像される。 体に着用するものには、体の保護を目的とするものと、を目的にするものとがあるが、両方を兼ねる場合も多い。 体の保護を目的とするものとしては、まず腰回りに着用し、生殖器を隠すものが最低限であるようである。 装飾にはさまざまなものがあるが、手首や首など、細いところに巻くものがよく見られる。 装飾目的としては、体に直接、文字や絵を描き込んだり()穴をあける()などの加工も多くの民族に見られる。 また、頭髪の上に何かを突出させる形の装飾は、非常に多くの民族に見られる。 ごく稀にであるが、と呼ばれる何も身に付けない習慣を持つヒトの集団が存在するが、全く何一つ着用しない例はまずない。 生殖器を隠す事は最低限であるため、裸族に属するヒトであっても、オスはを装着している場合が多い。 またと呼ばれる、衣類を全く身に付けないヒトも存在するが、それらのヒトが衣類を身に付けないのは、それが許される特定エリア・特定時期にのみ限られている。 また、衣服の着用が常時となったヒトは、衣服を着用せず、自らの身体を他の個体にさらすことに嫌悪感を持つ()という習性(文化)を持つようになった。 生殖器および臀部をさらすことに対しての嫌悪感は多くのヒトで共通しているが、それ以外のどこをさらすことに嫌悪感を持つかについては地域差が大きい。 また、さらす側の個体のみならず、さらされる側の個体も嫌悪感を持つため、多くのヒトの社会では、身体の特定部位を必ず衣服で覆うことを義務づける規範を持つに至った。 一方でヒトは、そのような規範をあえて破り、身体をさらすことに快感を覚える個体も存在する(自らさらす場合と、他の個体にさらさせてそれを見る場合とがある)。 特に普段は衣服によって隠されている生殖器は、性交時には必ずさらす必要があるため、脱衣行為の解放感と快感は性的興奮と密接に結びついており、そのため近代社会での性風俗文化(やなど)の発展にもつながっていった。 道具の使用 [ ] 上記のようなものを含めて、生活のためにさまざまなものを加工して利用する、広く言えばを使うことが、ヒトの特徴のひとつでもある。 ヒト以外で道具を用いるの動物は、一部のサルやなどわずかな例に留まる。 道具を作るための道具、いわゆる二次的道具の使用は、ヒトだけに限られている。 また、闘争のための道具(武具や武器)を作り使用するのもヒトに限られたことである。 の使用も、ヒトの文化の発達を支える重要な要素である。 が、なぜヒトだけが火に近付き、使うことを覚えたのかについては諸説ある。 では、道具・食料を持ち運ぶために、両手にモノを持ちながら歩くことのできる、直立二足歩行に至ったと考えられている。 社会生活 [ ] 一般には集団を作って生活している。 雌雄成体と子供からなる集団()を構成単位とし、それが集まった集団を構成するのが基本だが、必ずしもこの形になるとは限らない。 集団()の構造にもさまざまなものがある。 基本的に、ホモ・サピエンスの社会では成熟したオスが成熟したメス、非成熟個体(子供)に対して優越し、場合によってはそれらの個体への干渉権や支配権を持つことがある。 とりわけ公的な決定の場では、成熟したオスの優位は非常に強く、かつ明白である。 逆に家庭内など、非公的な場では、成熟したオスの権威の優越性は弱まり、不明瞭となるか、時にメス優位の事例も出てくる。 非成熟個体やメスに対しては、劣位の代償として、成熟したオス個体からの恩恵的な『庇護』が一定程度与えられる。 家系の継承理念については、父系と母系、双系の三種類があるが、ホモ・サピエンスのさまざまな社会における家系理念を見ると父系が一番多く、母系や双系はやや少ない。 ただし、父系継承の社会であれ、母系継承の社会であれ、もう一方の系統で自分と血縁のある個体に対しても近縁個体としての情を抱くのが通常であり 、実際はすべての社会において、ホモ・サピエンスは、双系的な親族意識を持つといえる。 ホモ・サピエンスは、自分と遺伝的につながりの強い個体や、遺伝的な利益を共有する配偶者に対して、そのようなつながりのない個体よりも、条件が同等のときは、より強い配慮を示す傾向がある。 情報伝達 [ ] ヒトの集団内における伝達は、身振り手振りや表情によるものと、を介したものがある。 集団内の個体間の伝達方式として言語を用いるのは、ヒトの重要な特徴である。 サルやでは多彩な発音を用いて意思疎通を行う例も知られるが、これが言語と呼べるものなのかは定説を見ていない(否定的な説が多い)。 ヒトは、所属する集団ごとにそれぞれ異なる言葉を用いる。 逆に使っている言葉がヒトの集団の区別の指標となる事も多い。 例えば、身体的、その他の差異がほとんどないヒトの集団が、その使っている言葉を単位として、別集団(民族)として扱われる例もある。 また、異なる言葉を用いるヒトの集団(民族)が集まって、大きな集団(国家)を作る際に、その大きな集団の中でどの言葉を使うかを決定する場合も多い。 集団ごとの異なる言葉について、その差異の度合いは様々である。 差異が非常に大きい場合は、言葉による情報伝達は完全に不可能となる。 異なる言葉でも差異が非常に小さい場合は、情報伝達にほとんど支障が無い場合もある。 集団によっては、オスとメスとで異なる言語(・)を使う場合すらあるが、これも差異が小さい例であり、オス・メス間の情報伝達は問題無く行える。 これまで世界のヒトの集団において、何らかの言語を使用していなかった例は皆無である。 集団を作る事、その集団内で言葉を使って情報伝達する事は、ヒトの欠くべからざる特徴である。 言語は単に情報伝達のしくみであるだけでなく、楽しみ(など)としても、思考の道具としても用いられた。 また、言語化された情報を何らかの形で保存し、(・等)、それによりヒトは集団としてのを維持している。 生活環境 [ ] ヒトは、環境を作り替える動物であると言われる。 これは、特に現代文明に強く見られることで、必ずしもヒト一般に適用できるとは思えないが、しかしながら、一定の住居をもつ民族は、その周囲を少なからず空き地にすることが多い。 農業を行う場合は、さらに広い区域を加工する。 また、やなど、人為的に特定の生物を維持し、そのを攻撃することも多い。 その他にも、ヒトの生活の場には、その住居を使用する生物(など)、ヒトの食物の食べ残しなどを食料とする動物(など)、吸血性の昆虫(など)、などさまざまな特有の生物が集まっている。 それらをまとめてということがある。 一方でヒトが環境を作り替えることにより、従来その環境に生息していた動植物が駆逐されるということが頻発している。 その過程で多くの動植物がしている。 特定の動植物が他の動植物を駆逐し、絶滅に追いやる例はヒト以外でも見られるが、ヒトによって絶滅させられた動植物の種類はそれらより桁外れに多い [ ]。 またヒトが環境を作り替えることにより、 ヒト自らにとっても生息困難な環境へと変化する場合もしばしば見られる。 例えばとの間の沖積平野は、ヒトが環境を作り替えた最古の地域であるが、それによりヒトにとってあまり好ましい環境とは言えない状態へと変化し、ヒトの生息数が減少した。 生殖と子育て [ ] 規範的配偶 [ ] ヒトの性的活動は非常に活発である。 ほとんど年間を通じてが行われ、他の動物とは異なり期も定まっていない。 ホモ・サピエンスのオスは、一般にメスに比して強い性的嫉妬心を持ち、ペアとなるメスと他のオスとの交尾により、メスへの性的支配権が犯されることに敏感である。 これは後で述べるように、ホモ・サピエンスの生殖や子育てにおける規範の形成に大きく関係している。 ホモ・サピエンスのオスが性的魅力のあるメスを選ぶ基準は文化により、時代により、個人により多様であるが、各個人の平均を取れば普遍性のある枠内に従っている。 一般に、乳房の発達が一定水準を超え、かつ腰よりも尻のふくらみが顕著なメスを、性的魅力のあるメスとして好む傾向がある。 これは二足歩行により他の個体が女性生殖器を目視しにくくなった結果、代替的にセックスアピール法として進化したと考えられている。 雌雄個体間での性交によるの確率は必ずしも高くはなく、同一のペアの間で何度も繰り返されるのが普通である。 そのためホモ・サピエンスのセックスは、単なる受精のみを目的とするのではなく、性的快感を通じて互いの親しみを増すはたらきも重要な目的として持つように進化したと一般的には考えられる。 特定の雌雄ペアは一定期間持続するが、どの程度続くかにはさまざまな場合がある。 そのような関係が一定の形式で維持されることをやと言うが、集団の中で公的に認められるために、それぞれの文化において、さまざまな形の儀礼がある。 しばしば、同性個体間()においてもこのような関係が見られるが、多くの文化において雌雄個体間におけるそれとは、異なる扱いを受ける。 しかし、これにもさまざまな例外があり、ペア同士の同意により相手を特定しないとする、民族的な違い(・)、またはが見られるのも通例である。 動物における社会の構成は、その動物の生殖にかかわる性のあり方に大きく影響されるから、ヒトの場合に、本来はどのような配偶関係であったのかを論じるものは多い。 現実の様々なヒトの社会を見れば、、、、、そしてわずかながらやのいずれも、その実例がある。 しかしヒトはほど乱婚ではないし、ほどハレム制が一般的に見られるわけでもない。 また、同一社会でもその階層などによって異なる形が見られることも珍しくない。 一般的にいえば、ホモ・サピエンスのオス・メスの性的結合は、オス・メスが一対一で結合する一夫一妻制を基本としており、この形をとる個体がほとんどである。 しかし、ホモ・サピエンスのオスには多くのメスと交尾したいという欲求を表す傾向があり、またホモ・サピエンスの社会は基本的にオス優位 であるため、オスの性的欲求に対してはメスのそれよりかなりの程度寛大である傾向がある。 それにもかかわらず、ホモ・サピエンスの社会において一夫一妻制が主流なのは、第一にホモ・サピエンスの全個体数におけるオスメスの比はほぼ完全な1対1であること。 第二にホモ・サピエンスのオスは現存する近縁種のオスに比べてかなり積極的に子育てに参加し、その資源コストの多くを負担する傾向があるため 、オスの利用できる資源が少ない場合に一夫一妻でなく一夫多妻をとれば、子育てのコストをまかないきれず共倒れになる危険があるからである。 ゆえに、ホモ・サピエンスの本来的生活形態である狩猟採集生活を送り、富の蓄積が比較的少ない社会では、少数の有力なオス個体が2, 3匹のメスに対する性的資源支配権を行使する程度の一夫多妻制が見られるのみである。 しかし、富の蓄積が大きい社会では、多くの資源を利用できる高い地位のオス個体が、より多くのメスに対して性的支配権を行使し、社会の最上位のオスにいたっては、純然たるハレム制に近くなることも少なくない。 一夫多妻制への対応は文化差があるが、この制度を利用できるオス個体は社会全体のオス個体の生息数から見れば、非常に少数である。 また、これと逆に社会の中で劣位のオスが、最低限の交尾の機会を得る手段として、一匹のメスに対して複数のオスが性的資源支配権を行使することがある。 オス同士の連合とメス一匹の結合が一夫多妻や一夫一妻同様持続的な性的パートナーシップである場合、これを一妻多夫制と呼ぶが、これは一夫多妻制と比べてもきわめてまれである。 通常は、一匹のメスに対する性的資源支配権を複数のオスが時間をずらして行使する形をとり、これを売春と呼ぶ。 売春による交尾では生殖を目的としないことがほとんどであり、通常はオスからメスに対価が支払われる形式を取るが、ごくまれにメスからオスに対価が支払われることもある。 ホモ・サピエンスにおけるオスのメスに対する性的支配権の重視から 、一般的に売春を行うメスは、一夫一妻や一夫多妻のように、一匹のオスに性的支配権をささげるメスよりも低く見られ、売春で交尾の機会を得るオスも、売春を行うメスを尊重する傾向は弱い。 売春はホモ・サピエンスの近縁種ボノボにも見られる。 このような形式で交尾の機会を得ようとするオスが存在する理由として、現代ホモ・サピエンスのコミュニティでは一度も交尾を経験していないオスはと呼ばれ、童貞ではないオスと比べて社会的に劣っていると見られる場合が多いことが挙げられる。 ただし売春を非道徳的とみなす文化もあり、そうしたコミュニティでは売春を経験したオスは童貞のオスよりも低い評価がなされることもある。 また一見と見られる場合も、決して野放図に交雑が行われているのではないことに留意する必要がある。 例えば、における客人への妻の提供、もしくは日本の農村で見られた、や、(祭礼での乱交)も、その対象は限られたコミュニティ内に限定され、かつその方式や時期・程度なども含めて規定され、厳格に(オス中心の秩序の中での)互酬制が適用される。 またこれらの制度における性的自由も、あくまでオスのメスに対する性的資源支配権という同一の基盤を基にしており、オス中心でメスの意思への配慮は二義的である。 夜這いについては、当該メス個体の性的資源支配権を獲得したいと願う個体と、そのメスの性的資源保護権を有するオスの個体(多くの場合父や兄)の合意があれば、当該メス個体の意思にかかわらず認められることが多い。 また、イヌイットの妻の提供も、あくまでそのメスの性的資源支配権を有する夫が、恩恵もしくは歓待の意思により、相手のオスに一時的にメスの性的資源使用権を与えるというもので、メスの意思は二義的である。 かつてのホモ・サピエンス社会における親の意思による強制結婚も、このようなメスの意志を二義的とする性的資源所有権の取引の結果である。 確実に言えるのは、これらのどれかを持つ、あるいはそれらのある組み合わせを持つヒトの社会が実在すること、そして、おそらくどの場合も、その内部に多くの例外や逸脱が存在していたであろう、ということである。 しかし、一般的にまとめれば、一夫一妻を基調としつつ、有力なオスに限り一夫多妻が可能とされ、また補助的に乱交や一妻多夫、売春等を認めるのが、ホモ・サピエンスの配偶に関する規範の一般的傾向といえる。 これは生物学的に見て、ホモ・サピエンスのオスは近縁種のオスほどではないにしろ、メスに比べて大柄であることからも推察できる。 また、個体差は大きいが、ホモ・サピエンスのオスは、一般に過去自分以外のオスと交尾をしなかったメス()に対して、性的にプラスとなる他の条件がまったく同等ならそちらが交尾の相手としてより良いメスとみなす傾向を持つ。 そのため、処女を失ったメスに対する差別的な取り扱いを行う社会もある。 また、オスは年を重ねた後も、性的価値のあるメスをセックスの相手として好む傾向があり、中にはこれで雌雄ペアの結合が破壊されることもある。 後半以降、これらのオス・メスの差別に対し、これを是正し、オスメス対等の性的関係をつくり、かつ一夫一妻制に統一しようという文化的動きが強いが、完全ではない。 非規範的配偶 [ ] ホモ・サピエンスの社会において、正当なメスに対する性的資源支配権の獲得手順を踏まずに、その社会のメスと交尾を行ったオスは、当該メスの性的資源支配権もしくは保護権を有するオスの権利を侵害したとして、社会から制裁を受ける。 これをといい、不倫などが代表例である。 しかし、これについては、不倫に応じたメス個体についても同時に制裁がなされることが少なくなく、さらにオス個体の側が『メスが誘惑した』と主張することも多いため、実際の制裁では、メスの方に重い罰が課されることも少なくない。 また、その交尾がメスの意思を無視したであった場合は、オスのみが厳罰に処されるとするのが多くの社会における一応の規範ではあるが、ここでもオスの側は、『同意の上』『メスが誘惑した』と主張することが多く、このような言い逃れで実際にはレイプであっても考慮されない場合も少なくない。 また、これらはすべて、その社会の構成員である成熟したオスによって、性的資源を所有または保護されているメスに関して、その権利を犯したことに対する罪であり 、メスの意思は二義的である。 ゆえに、そのような庇護を持たないメス個体に対しては、たとえレイプであっても容認または黙認する傾向が強い。 とりわけ、他の集団との戦争状態下では、多くの場合成熟した若いオスからなる戦闘集団(兵士)が、相手の集団に属するメスをレイプすることが多く、またそれが戦争における『男らしさ』(オスらしさ)の高い表現であるとみなされる傾向がある。 これは、ホモ・サピエンスには『われわれとやつら』という基準があり、『われわれ』を倫理的に『やつら』よりも優遇するためである。 ゆえに、相手のメスがたとえそちらの社会で正当なオスによる庇護を受けていても、当該戦闘集団の属する社会においてはそれは無価値であるとみなされ、かつメスの意思そのものへの配慮もより一層弱くなり、ゆえに当該メス個体に対し性的資源支配権を自由に行使してよいとみなす傾向があるからである。 ただしこれも、戦争が終わった後相手の集団がこちらの集団に併合され、『やつら』から『われわれ』に変わる場合があるため、戦争行為を統括する高い地位のオスは、ある程度レイプを抑制する命令を出すことも少なくない。 集団間での闘争におけるレイプや虐殺は、その萌芽と取れるものがチンパンジーにも存在している。 メスの意に反した交尾であるレイプは、当該オス個体の性的欲求の解消と、当該オスによる当該メスに対する威圧の両面を含んでいる。 レイプの対象となるメスの年齢は幅広く、特に戦時には子供から老人にまで及ぶが、同時に内訳を見れば、大多数が性的に成熟した10代から20代のメスである。 『われわれ』の集団のメンバーである成熟したオスによって庇護されていないメスへのレイプに関して、ホモ・サピエンス社会の伝統的規範では普遍的に黙認、または承認される傾向があり、実際にそのようなレイプが多いことから、レイプの中でも、この種のレイプは進化的に適応的であるという指摘も有る。 これらの事例について、現代ではそのような規範を改め、メスの意思と尊厳を重んじ、メスの意思を無視したレイプ・性的暴力を、平時・戦時下問わず厳しく取り締まるべしという文化的・思想的考えが広まり、世界的に一応の規範となっているが、いまだ現場レベルでは完全ではない。 また、生殖から逸脱した性的関係として同性愛(homosexual)が生物学において特に高等哺乳類で広く認知されており(を参照)ホモ・サピエンスにおいては人口の約6パーセントに同性愛的傾向が認められるという調査結果が公表されている(Wellings. 1994 イギリス)。 ただし、この結果には(bisexual)やに基づくものを含む。 またその比率には社会的、文化的影響が大きいとされ、その他実施された多くの調査結果の閾値は2-13%である。 またオスに限れば、有史以来同性愛が制度化された例が多数存在し、現代では一部の地域において同性結婚が認可されている(や、など。 これは、同性間の配偶に規範的性格を与えたものであり、世界的には寛容になる傾向であるが、一方で宗教的理由において重刑を課す国家も残っている(、など)。 これに加え、性的少数者に含まれるやインターセクシュアル()。 潜在的に相当数存在する、他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かないについても留意する必要がある。 親子関係 [ ] ホモ・サピエンスの子育てでは、一般に母親のほうが父よりも相対的に子供と密着した感情的・物理的関係を持つことが多い。 しかし、オス親も近縁種に比すればより強い子供との結びつきを持つ。 ホモ・サピエンスの祖先や現存する近縁種の多くには、子殺しの習慣があり、親(多くの場合オス親)にとって不利益となる子供は、殺されることが少なくない。 ホモ・サピエンスの親子の間でも、親の命は子の命より尊く、親(とりわけオス親)は文字通り子のを有するというのが普遍的傾向である。 ホモ・サピエンスの親子の関係は、他の近縁種における親子よりもより強く、長い絆で結ばれており、この大権が露骨な形で振るわれることは少ないが、それでも親からして、子の意思または行動、更には存在自体が親の利益にあまりにも反する場合、親は容赦なくこの大権を行使し、子の人生のありかたを強制したり、暴力的制裁教育を与え、はなはだしくは中絶・間引き・虐待等で子の命を奪うことも決してまれではない。 更に、子殺しに際しても、オスメスで命の価値の格差があり、一般に子供がオスの場合より、メスの場合のほうが、他の条件がまったく同等の場合、子殺しへのハードルが低い。 また、ただ単にこの大権を行使する他の近縁種とホモサピエンスとの最大の違いは、ホモサピエンスはこの大権の行使に関して、これを正当化する理論・思想を、高い知能を用いて編み出したことである。 これは儒教の『孝』が良く知られているが、それに限らず普遍的である。 この種の思想により、たとえ子の実力が親をしのぐまでに成長し、親が老いて力を失っても、親は多くの場合子に対する支配権を一定程度存続させることができる。 とはいえ、子による親殺しもまた、子殺しほどではないにせよ、普遍的に見られる。 しかし、そのような大権の行使という危険性はあるが、多くの場合ホモサピエンスの親子の間柄は、強い絆と情愛で結ばれ、子供の生育に対して親の庇護が有益な役割を果たしているのも事実である。 以降ではこのような大権自体を制限し、子供の人権を守ろうとする思想・文化が広まり、世界的に一応の規範となっているが、完全ではない。 進化 [ ] 進化における分類についてはを、ヒトの進化全般についてを参照。 分布と多様性 [ ] 現在ではやなどの遠距離交通が発達し、また住居環境を調節する技術も発達しているが、安定的で確実な遠洋航海技術が発達する以前から、ヒトの分布はほぼ全世界にわたっている。 人類の祖先は約20万年前に中部(現在の北部)に発生したものと考えられている。 およそ10万年前リフトバレーを起点として、アフリカ大陸を出て、アジアへと渡り、その後ベーリング海峡を超え、アメリカ大陸へと広がった。 ほぼ世界全土にヒトは離散していった。 と主要なのうち、ほぼ唯一の例外として、には定着しなかった。 また、最も遅く到達したのはではないかと考えられる。 それ以外の地域においては、からにわたる極めて広範囲の分布域をもっていた。 サル目は基本的にの動物であり、ヒト以外では日本列島本州のが分布の北限であることを考えると、格段に広い。 これは、ヒトが衣服や住居を用いて身を守る方法を発達させたためでもあるが、体の構造そのものも、寒冷な気候に対応できたためと考えられる。 たとえば、の通り、その大きい体は体温を維持するには有利である。 尾がなく、耳殻が短くて厚いこともにかなっている。 また、高く盛り上がった鼻は、を長くすることで、冷気を暖めて肺へ流し込むことができるようにする、寒冷な気候への適応であるとの説もある。 またヒトの形態学的多様性の原因をに求める説も存在する。 その一方で、機能も非常に発達しており、暑熱への耐性もある事から、生活圏が非常に広くなったと考えられる。 このような分布域の拡大に従って、形質も多様化したと考えられ、さまざまな変異が見られる。 それらの主要なものを分類して、と名付けている。 しかし、その区別や範囲が客観的に明確でないことが多い。 また、どのような人種の間でも、生理的な意味におけるは認められない。 前述のように、現在の人類はすべてヒトという単一のに属するものと考えられ、人種の差は種を分かつものとは見なされない。 本項では「ヒト」を亜種としてホモ・サピエンス・サピエンスとして扱っているためモンゴロイド・コーカソイド・ネグロイドといった人種は、・・のような他生物でいう品種相当として扱う。 (もっとも人種が亜種段階の分化であるとする見解もある)このような広い分布域を持ちつつ、完全な種分化が起こっていないのは、他の動物には例が少ない ・など、人間により広められたに例が見られる)。 出典・脚注 [ ]• Wood and Richmond; Richmond, BG 2000. Journal of Anatomy 197 Pt 1 : 19—60. 1158 ヒト• 「霊的・精神的に他より優れている」という意味• 2005. Wilson, D. ; Reeder, D. eds. 3rd ed. Baltimore: Johns Hopkins University Press. 178—184. Goodman, D. Tagle, D. Fitch, W. Bailey, J. Czelusniak, B. Koop, P. Benson, J. Slightom 1990. Journal of Molecular Evolution 30 3 : 260—266. 個体別の特に遺伝によるところが大きい• 日本フリーダイビング協会、世界記録。 主な年齢の平均余命 厚生労働省• 例として、は、ブルネイでの高さと地位との正の相関関係を挙げ、この関係自体は普遍的だが、ブルネイに特有なのはその頻度であるとしている。 (「」、ドナルド・ブラウン、2002、p3、p4)• ホモ・サピエンスの諸社会の構成員は、実際上の強い普遍性の共有とは裏腹に、『われわれ』と『やつら』の間の違いを語るのを好む傾向がある。 (「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p2、p3、p8)• イスラーム世界でも現実の社会を律する規範としては、飲酒は容認されているが、他の集団に対して『酒を飲む異教徒』とさげすむこと、または江戸時代の日本で、現実の社会規範としては四足の獣の肉を食べることが少なからず見られたにもかかわらず、朝鮮人や欧米人の使節等、肉をおおっぴらに食べる習慣のある社会から来た人々に対し、『四足の肉を食う奴等』とさげすんだことなどが例である• 「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p247• 親指はなぜ太いのか-直立二足歩行の起源に迫る 島泰三 著,中公新書• 「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p160、p194、p244• 「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p161• これを『補足的親子関係』という。 (『Kinship and the Social Order: The Legacy of Lewis Henry Morgan』、Meyer Fortes、1969)• 「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p185、p186• 「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p185、p186、p187、p242、p243• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p157〜p161• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p127〜p129• 「人間はどこまでチンパンジーか」、、1993、p111〜p113• 「男の凶暴性はどこから来たか」、、デイル・ピーターソン、1998、p161-p172• 「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p39、p244• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p99• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p101• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p190• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p101• このようなホモ・サピエンスオスの平均して強い性的嫉妬心は、父性の確認という意味を持つ(「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p136〜p140)• これを「花嫁を買う」と直接的に表現することもある(「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p263)• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p102〜p105• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p181• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p130• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p206• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p136〜p138• 他集団のメスに対するレイプ・強制売春だけでなく、この場合相手の集団に属する個体への虐殺や虐待も横行する傾向がある(「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p428〜p429)(「男の凶暴性はどこから来たか」、リチャード・ランガム、デイル・ピーターソン、1998、p161〜p163• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p431〜p433• 「男の凶暴性はどこから来たか」、リチャード・ランガム、デイル・ピーターソン、1998、p259〜p265• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p421〜p425• 「人間の本性を考える(下)」、、2004、p165〜p166• 「人間の本能-心にひそむ進化の過去」、ロバート・ウィンストン、2008、p165〜p167• 「人間の本性を考える(下)」、スティーブン・ピンカー、2004、p159• ACSF Investigators 1992. AIDS and sexual behaviour in France. Nature, 360, 407—409. Billy, J. , Tanfer, K. , Grady, W. 1993. The sexual behavior of men in the United States. Family Planning Perspectives, 25, 52—60. Binson, D. , Michaels, S. , Stall, R. , Coates, T. 1995. Prevalence and social distribution of men who have sex with men: United States and its urban centers. Journal of Sex Research, 32, 245—254. Bogaert, A. 2004. The prevalence of male homosexuality: The effect of fraternal birth order and variation in family size. Journal of Theoretical Biology, 230, 33—37. Bogaert argues that: "The prevalence of male homosexuality is debated. , Marmor, 1980; Voeller, 1990. Some recent data provided support for this estimate Bagley and Tremblay, 1998 , but most recent large national samples suggest that the prevalence of male homosexuality in modern western societies, including the United States, is lower than this early estimate e. , 1994. It is of note, however, that homosexuality is defined in different ways in these studies. For example, some use same-sex behavior and not same-sex attraction as the operational definition of homosexuality e. , Billy et al. , 1993 ; many sex researchers e. , Bailey et al. , 2000; Bogaert, 2003; Money, 1988; Zucker and Bradley, 1995 now emphasize attraction over overt behavior in conceptualizing sexual orientation. " p. 33 Also: "... Thus, even if accurately measured in one country at one time, the rate of male homosexuality is subject to change and is not generalizable over time or across societies. " p. Fay, R. , Turner, C. , Klassen, A. 1989. Prevalence and patterns of same-gender sexual contact among men. Science, 243, 338—348. Johnson, A. , Wadsworth, J. , Wellings, K. , Bradshaw, S. 1992. Sexual lifestyles and HIV risk. Nature, 360, 410—412. Laumann, E. , Gagnon, J. , Michael, R. 1994. The social organization of sexuality: Sexual practices in the United States. Chicago: University of Chicago Press. Sell, R. , Wells, J. 1995. The prevalence of homosexual behavior in the United States, the United Kingdom and France: Results of national population-based samples. Archives of Sexual Behavior, 24, 235—248. Wellings, K. , Field, J. , Johnson, A. 1994. Sexual behavior in Britain: The national survey of sexual attitudes and lifestyles. London, UK: Penguin Books. 「人間の本性を考える(下)」、スティーブン・ピンカー、2004、p144• 「人間の本性を考える(下)」、スティーブン・ピンカー、2004、p144• 「人間はどこまでチンパンジーか」、ジャレド・ダイアモンド、1993、p136〜p138• ゴリラおよびチンパンジーの子殺しはよく知られている(「男の凶暴性はどこから来たか」、リチャード・ランガム、デイル・ピーターソン、1998、p204)• 親にとって必要な場合の中絶・子殺しへの許容性を持つのは、人類社会の普遍性質または準普遍性質である(「ヒューマン・ユニバーサルズ」、ドナルド・ブラウン、2002、p249、p250)• 2019年10月29日. 2020年1月6日閲覧。 The Great Human Diasporas: The History Of Diversity And Evolution• The Walking People• 『人間の進化と性淘汰』。 同書ではその他、形態学的に極端な種は性淘汰によって進化したと主張する。 『人間はどこまでチンパンジーか?』"性淘汰と人種の起源" 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2012年4月)• 中西真彦、土居正稔 『人間の本性の謎に迫る』「人間とは何か」を科学、哲学、宗教の目で探る 日新報道• 『人間は遺伝か環境か? 』遺伝的プログラム論 文春新書• 藤井留美 訳 『あなたのなかのサル』霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源 早川書房• 編 、、、 『ヒトの全体像を求めて』21世紀ヒト学の課題 藤原書店 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキスピーシーズに に関する情報があります。 (白人)• (黄色人種)• (黒人).

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ヒト亜科とは

ヒト 科 ヒト 属

さぁ、先日、noteで自ら始めた「歌や歌詞に関するアレやコレやのコーナー。 」いってみような。 なんか、やっぱさ、世の中にユーモアが足りてないな思て、やっぱ、世の中にユーモアが必要やな思て、笑いを求めてしまう自分がいるやん? 今回は、笑いなしにいこうと思う。 なんだかわからないけど、そう決めちゃったから、今回は、笑いに頼らずにいこう。 さて、今まで、Facebookで「Every Little Thing」さん、noteで「aiko」さんの世界観を褒めちぎってきたわけやけど、今回、満を持して「Cocco」さんの世界に触れようと思う。 「Cocco」さんは、僕の中では、もう完全に別格やな。 もはや、彼女の命そのものに興味がある。 ひとつの生命体としての彼女に興味がある。 タイトル通り、サル目ヒト科ヒト属の中で確実にオンリーワンな存在、それが「Cocco」やん? 彼女の歌は元より、彼女がインタビューされていた音楽雑誌、彼女の描いた絵本、彼女のDVD、彼女の映画、彼女のエッセイ集、何やったら、彼女の書いたレシピ本までが我が家にある。 そのほとんどがリアルタイムで買ったものじゃなく、おとなになってから、やっとこさ、彼女の魅力に気付けて、もっと彼女の事を知りたいと思っていたら、こんな事になった。 今、僕は、彼女がこの世に放ったすべてを知りたいとさえ思っている。 彼女のフィルターを通して彼女の中に入った事象が、彼女の心に落ちた一滴の水滴の波紋のように彼女の心の隅々まで染み入り、そして、彼女がその一滴の水滴の波紋から感じた事が、彼女のフィルターを通じて世の中に放たれる。 彼女からは、どんな風に見えているのかな?って。 今の世界は、今の社会は、今の世の中は、今の沖縄は、今の海は。 命は、愛は。 デビュー当時の彼女の歌には、もはや、この人には自分を守る肌すらなく、神経がむき出しになってるんじゃないか?とさえ思える、痛々しくも生々しい歌詞、歌の衝撃が強すぎたから、毛嫌いしちゃった人もいると思う。 当時、僕もそうやった気がする。 表面的な部分だけ見て、なんか重いなって。 その当時の僕が今よりずっと、薄っぺらかったのもあると思う。 受け入れられるキャパがなかったんだよ。 「竹原ピストル」とかもそうやけどさ、歌に込められた想いが強すぎて、何か他の事をしながら、聴いてられへんなるもんな。 BGM、バックグラウンドミュージックになってくれへんねん。 全然、バックグラウンドに収まってくれへん。 むしろ、正面から、めっちゃ向き合って来るやん? 当時、僕も正直、重いなって思っちゃってた彼女の歌に対して、完全にイメージが変わったタイミングについては後程。 彼女の歌を時系列で聴いていけば、彼女の心の状態すら透けて見えて、人間として、命として、生命体として、彼女が彼女にしかいけない領域にどんどん進んでいくのが手に取るようにわかる。 きっと、ずっと彼女は、いつも愛について歌っているんだけど、彼女の愛そのものや愛の形についての描写が変わっていくのよね。 何より、きっと、彼女自身が変わっていく。 愛そのものは、ずっと変わるはずはないのに、彼女が変わっていく事により、彼女の愛の形、愛についての描写が変わっていく。 ああ、もう興味湧いてきてない? 今一度、彼女の歌、聴きたくなってきてない? いったい、川端は、どの曲について書きよるんやろ?と思ってきてない? どんな曲があったかな?って思ってない? いいよ。 一旦、聴いといで。 見て見ないフリするから、行っておいでよ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 おかえり。 ご飯にする?続き読む? うん、わかった。 続きな。 そうそう、当時の自分は聴いていたかもしれんけど、成長した自分が今、同じ曲を聴いたら、何を思うんやろ?はとっても大事やねんで。 さっきの愛の話と一緒やん。 歌そのものは変わってないけど、自分が変わったら、同じ歌も違って聞こえるねんで、その歌のまた違った一面に気づけるねんで。 映画でも、何でもそう。 だから、昔聴いたからって、昔観たからって、わかった気になったらアカン。 今の自分で聴き直してみんと。 今の自分で観直してみないと。 さぁ、今回の本題いこうな。 前フリながっ。 まず始めに、彼女の歌に関しては、一回では語りきれへんから、何回かにわけてやらせてもらうな。 ああ、そう書いたら、ちょっと気が楽になった。 一回で書き切ろうと思ったら、一万字を超えてしまう可能性しかなかったからさ。 完全に国民の皆様を置き去りにしてしまう自信があったから。 また「Cocco」の曲について書くね。 よし、まず、あれからいこう。 彼女のイメージが一瞬で変わった曲ね。 「Raining」 知ってる?知ってるよな? 知らん人は急いで聴いてきて! ・・・・・・・・・・・・・。 おかえり。 お風呂に入る?続き読む? うん、わかった。 続きな。 「Raining」 この曲の良さに気づいたのは、いつだったかは忘れたけど、とりあえず、衝撃が走った。 前にも書いたやんか?普段、歌を聴く時は、耳を澄まして、一言一句、聞き逃さんように歌詞を聴いてるわけやないのよ。 でもさ、聞き流しているはずなのに、急にびっくりする歌詞を歌わはったりしたら、何!ってなるやん?そして、もう一回、じっくり聴き直して、初めて気づくねんよ。 「Raining」は始まりから、実に衝撃的な内容で「静かに席を立って ハサミを握りしめて おさげを切り落とした」 教室でやで・・・。 次に彼女はこう続ける「髪がなくて今度は 腕を切ってみた 切れるだけ切った 温かさを感じた 血にまみれた腕で 踊っていたんだ」 教室でやで・・・。 いや、もう、こわっ。 そら、思春期の俺、完全にビビるやん。 そら、一旦、蓋するわ。 もう聴かんとこ思うわ。 ただ、その時からメロディーは超いいのに、なんで、こんな題材やねんって思っていたのは覚えている。 そして、彼女は、一回目のサビでこう歌うんだな「教室で誰かが笑ってた それは とても晴れた日で」 二回目のサビはこうだ「それは とても晴れた日で 泣くことさえできなくて あまりにも 大地は果てしなく 全ては美しく 白い服で遠くから 行列に並べずに少し歌ってた」 あれ? そこで気づいたんやな。 あれ?この曲のタイトルなんやったっけ? 「Raining」 あれ?みんな、気づいた? 歌詞の中、ずっと晴れてない? 雨降ってへんやん! ってのんきに思っていたら、続けて、彼女は急にこう歌うのよ「今日みたく雨ならきっと泣けてた それは とても晴れた日で 未来なんて いらないと想ってた 私は無力で 言葉を選べずに 帰り道のにおいだけ 優しかった 生きていける そんな気がしていた」 今、降ってんにゃん!歌詞書いてる今、雨降ってんにゃん! いやぁ、シビれたなぁ。 そして、雨の中にいる彼女は歌うんだよ。 あの日が晴れてくれてて良かったって。 生きる希望をもらえたって。 おい!どんな感性しとんねん!って思った。 泣く歌やん、早く言っといてよ。 そこから僕の生命体「Cocco」を深堀りする日が始まったんだよ。 僕も感受性強い方やと思うんよ。 でも、完全にこの人には敵わんなと思った。 それが、サル目ヒト科ヒト属こっこだ。

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講演録「想像するちから:チンパンジーが教えてくれた人間の心」

ヒト 科 ヒト 属

図2-1 1871年にイギリスの雑誌に載ったダーウィンをからかった漫画。 チンパンジーのからだにダーウィンの顔をつけたもの。 「種」は「たね」ではなく「しゅ」と読みます。 生物はすべてどれかの種に属します。 ヒトは、肌の色が違っていてもみんな「ヒト」という種に属しますし、イヌは小さなチワワも大きなセントバーナードもみんな「イヌ」という種に属します。 ダーウィンの時代のイギリスでは、人々はキリスト教を信じていましたが、当時のキリスト教では、種は神様が作られたものであり、変化しないと教えられていました。 イヌは家畜ですから、ヒトが品種改良したためにいろいろなものがいるのだということは当時の人たちも分かっていましたが、野生の動植物の種は神様が作られたときのままであると考えられていたのです。 ところが、ダーウィンはビーグル号という船に乗って世界中をまわって各地の動植物を観察した結果、種が変わらないという考えでは、多くの事実が説明できないことに気がつきました。 彼はビーグル号で航海を続けているあいだに、それぞれの土地にいる生物が少しずつ違った種に変わっていくことに気づいたのです。 例えば、東太平洋の赤道下にあるガラパゴス諸島はたくさんの島から成り立っていますが、それぞれの島にいるフィンチという名前のアトリの仲間の鳥は、その姿形が島ごとに違っていたのでした。 航海からイギリスに戻ったダーウィンは、この発見についていろいろと考えたあげく、次のような結論にたどり着きました。 「これらの違った種類のフィンチは、 最初にいた祖先フィンチがそれぞれの島に分布を広げ、 島ごとに独自に進化したものである」 その後、彼はさらに考えを進めて、ある重大なことを思いつきます。 「あらゆる生物は1つの祖先から進化したものである」 ダーウィンは、この思いつきを20年ほどのあいだ発表しませんでした。 なぜなら、当時のキリスト教の教えに反する内容だったために、世間から批判されることを恐れたのです。 20年経ってやっと発表したのが、『種の起源』です。 ダーウィンは、この本のなかではヒトの進化について触れていませんが、種が進化するという主張は当然ヒトも進化によって生まれたことを意味するわけですから、たくさんの批判をあびました。 冒頭の絵(図2-1)は、当時の雑誌に載った風刺漫画で、「ダーウィンが、ヒトはチンパンジーから進化したと主張している」とからかったものです。 ダーウィン自身は、ヒトがチンパンジーから進化したと述べたことはありません。 彼の主張はあくまでも、「ヒトとチンパンジーが同じ祖先から進化した」ということなのです。 ですから、その祖先からヒトが進化したのと同じように、チンパンジーも進化したということなのです。 彼は、さらに大切なことを言っています。 「一つの動物が他の動物よりも高等だとするのは不合理である」 共通の祖先から見たら、みんな同じように進化したのであり、進化の仕方がそれぞれで違っているだけなのですから。 「ヒトはアフリカで進化したのであり、 今でも同じアフリカで生きている チンパンジーやゴリラと同じ祖先から進化した」 20世紀に入るとこのような進化論は、世間に少しずつ受け入れられるようになりましたが、それでもまだ、ヒトと類人猿とのあいだの共通祖先はなるべく遠くに置きたいという心理が当時の人々には働いたようです。 冒頭の漫画(図2-1)からも分かるように、ヒトがチンパンジーに近い親戚だということを受け入れるには、かなりの抵抗があったようです。 進化論はしぶしぶ認めざるを得ないとしても、類人猿はなるべく遠い祖先にしておきたいということです。 ヒトと類人猿の関係についての従来の系統樹(左側)とそれを書き改めた分子系統樹(右側)。 連載第1回の図1-1 と同じ。 かつては、アフリカのチンパンジーとゴリラは、アジアのオランウータンと同じオランウータン科に分類され、ヒトだけがヒト科という独自のものであるとされたのです(上図の左側の「従来の系統樹」/第1回の図1-1)。 つまり、ヒトがチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿と同じ祖先から進化したことは認めるけれども、共通の祖先が生きていたのは今から2,000万年以上も前のことであるとされたのです。 その後、類人猿の祖先はチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどに進化したのに対して、ヒトの祖先は長いあいだに独自の進化をしてきたと、割と最近まで考えられてきたでした。 ヒトの親戚には、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、それにテナガザルなどの類人猿と呼ばれるものがいますが、それらのあいだの進化は、現在では下図(図2-2)のようであったことが分かっています。 このような、種のあいだの親戚関係を表わす図を「系統樹」、あるいは「生命の樹」と呼びます。 図2-2 ヒトと類人猿の系統樹(ヒト上科)。 この図を見ると、ヒトに一番近い親戚は類人猿のなかでも特にチンパンジーだとわかります。 チンパンジーの仲間はみんなアフリカに住んでいますが、普通のチンパンジー(ナミチンパンジー)のほかに、少しやせ型のボノボがいます。 ボノボはかつてピグミーチンパンジーと呼ばれていました。 ですからゴリラは、ヒトにとってはチンパンジーよりも少し遠い祖先です。 さあ、どんどん時間をさかのぼっていきましょう。 これはヒト、チンパンジー、ゴリラ、それにオランウータンの共通祖先で、およそ1,700万年前にいました。 オランウータンは、ヒトから見るとチンパンジー、ゴリラよりも遠い親戚だということになります。 およそ2,000万年前に生きていたと考えられます。 図2-2の系統樹を見ると、チンパンジー、ゴリラ、それにオランウータンをオランウータン科に、ヒトだけをヒト科にしていた昔の分類(第1回目:図1-1の左側の系統樹)は、進化の歴史を正確に反映していない、ヒト中心の偏った見方に基づいていたことに気がつきます。 しかし、1990年代に入るまではヒトとチンパンジー(とボノボ)、ゴリラの3者の関係は分子系統学でははっきりしませんでした。 まだ、ヒト中心の見方が残り、多くの研究者はチンパンジーとゴリラが近いと考えていたのでした。 もう1つの理由は、チンパンジーとゴリラに共通したナックル歩行という独特の歩き方がありました。 これはチンパンジーとゴリラの歩き方(下の写真)や図2-3のボノボの写真で見られるもので、手の人差し指、中指、薬指の3本の指の外側を地面につけて歩く方法です。 ヒトは、このような歩き方をしませんし、オランウータンもふつうはしません。 図2-3 ボノボのナックル歩行。 また歯のエナメル質は、ヒトとオランウータンでは厚いのに対して、チンパンジーとゴリラでは薄くなっています。 このような理由から、チンパンジー(それにボノボ)とゴリラがお互いに近い親戚であると考えられてきたのです。 しかしながら、1990年代になってから、分子系統学は、そのような考えは間違いであり、チンパンジーとボノボがヒトに近い親戚であって、ゴリラはそれよりも遠い親戚であることをはっきりと示したのです。 それではなぜ歯のエナメル質がチンパンジーとゴリラで共通して薄くなったのでしょうか? 本当の理由はよく分かりませんが、このような特徴は何を食べるかによって簡単に変わるものと考えられます。 またチンパンジーとゴリラがナックル歩行をしているということは、ヒトの祖先もそのような歩き方をしていた可能性を示唆します。 ゴリラの写真から分かるように、ナックル歩行は4本足で歩きながら、手(前足)でモノを運ぶのに便利なものです。 また図2-4にあるマントヒヒの手のひらをぺたぺた地面につける歩き方と比べると、ナックル歩行ははるかに上体を起こしたもので、直立2足歩行に近い歩き方であるとも言えます。 図2-4 マントヒヒの歩行。 ヒトは「ホモ属」に分類されますが、現在地球上に生きているホモ属は現代人だけです。 生物種を表わす正式の名前のことを「学名」と呼びますが、これはラテン語で書かれます。 現代人の学名はホモ・サピエンスで、ホモが属、サピエンスが種を表わします。 化石人類のなかで、ネアンデルタール人や原人(ホモ・エレクトス)などがホモ属です。 チンパンジーとボノボは同じ「パン属」に入ります。 属よりも大きな単位が「科」です。 ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは「ヒト科」ですが、それらよりも小型のテナガザルの仲間はテナガザル科に分類されます。 科よりも大きな単位が目(もく)ですが、科と目のあいだに上科(じょうか)があります。 ヒト科とテナガザル科をあわせてヒト上科と呼びます。 図2-1はヒト上科の系統樹です。 もちろん昔に生きていた化石はそれを知る手掛かりを与えてくれますが、必ずしも見つかっている化石が共通の祖先であるということにはなりません。 長い生物進化のあいだには、子孫を残さないで絶滅してしまったものがたくさんいますから、見つかった化石も子孫を残さなかったかもしれないからです。 その祖先から600万年のあいだにヒトが進化したように、チンパンジーも同じ600万年をかけて進化したのですから。 実際にそのあとで分かれたボノボとチンパンジーもかたちだけでなく、生活のしかたもずいぶんと違うのです。 ヒトの祖先だと思われる化石はかなり古くまでさかのぼれるのですが、チンパンジーの祖先と思われる化石がなかなか見つかりません。 そのために、ヒトとチンパンジーの共通祖先がどのようなものであったかが、よく分からないのが現実です。 この連載の旅で見ていくように、進化はある方向を目指して一直線に進むものではありません。 共通祖先から分かれたあとで、最後にヒトになった系統は現在のヒトを目指して進化したわけではなく、いろいろな方向への進化を試みてきたものでしょう。 進化はまっすぐな道を突っ走るというよりは、ジグザグの道を歩くような感じで進んできたと思われます。 同じようにチンパンジーの系統も直線的に進化してきたものではないはずです。 化石を研究している人たちは、700万年前くらいの化石のなかでヒトと同じように直立2足歩行していた化石類人猿をチンパンジーと分かれたあとのヒトの祖先だと考えています。 分子系統学から導かれた年代も間違いを含んでいることもあります。 いろいろな証拠を取り入れながら真実に迫るのが科学のやり方ですから、間違いがあったらすなおに認めなければなりません。 ただし、この問題に関して僕は別の可能性もあり得るのではないかと考えています。 化石学者がヒトの祖先だと考えている化石の一部は、ひょっとするとヒトとチンパンジーの共通の祖先であったかもしれないということです。 直立2足歩行という点ではヒトに似た特徴をもった祖先から、現在のチンパンジーやボノボが進化したという可能性はありえないことではありません。

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