羅生門 解釈。 3分でわかる!芥川龍之介の羅生門のあらすじと解釈

映画『羅生門』あらすじと解説 3人の証言と真実は?『羅生門』の伝えたかったことは?

羅生門 解釈

平安時代、災いが多発している京都の羅生門に下人が一人、雨が止むのを待っていました。 この当時京都は地震や火事、飢饉など災いが続き、そんな状況なので人々は金を稼ぐために仏像や仏具を砕いて金銀の箔を売るなど洛中はとても荒れていました。 また引き取り手のいない死人を羅生門に捨てていくという習慣が出来たため、鴉が死人の肉を喰いにきたりと羅生門は非常に気味の悪い場所でした。 そんな羅生門で雨宿りをしている 彼は今後、自分が生きていくためにも盗人になるしかないと考えているものの、その勇気がありませんでした。 彼はこの一晩の寒さをしのぐため、羅生門の楼の上に行きます。 そこには死体がゴロゴロ横たわっていましたが、その中に一人の死体から髪を抜く老婆がいました。 下人は老婆を捕まえ、死体の髪を抜いていたワケを聞くのですが……。 芥川龍之介の小説『羅生門』には実はモデルがあり、今昔物語の本朝世俗部巻第二十九、本朝付悪行の中にある『羅城門』と巻第三十一、本朝付雑事の中にある『売魚』をベースにしていると考えられています。 『売魚』は 男が羅城門に上って老婆に出会い、着物を奪い去って逃げるという大まかな物語の流れは同じです。 『羅生門』と違う点は、男がもとから盗みのために上京してきたことや、老婆が髪を抜いていた死体が元は老婆の主人だった人物といった設定などがあります。 また、『羅生門』の死体の女性の生きていたころの所業は『売魚』で書かれています。 『売魚』は最初から男を悪人として登場させていましたが、『羅生門』は悪人になるか迷いながら物語が進み悪人へと落ちていくのです。 ここで重要になってくるのは『羅生門』では男は一度正義に目覚めたにもかかわらず、悪人になったことです。 皆さんも一度は似たような経験したことはあるのではないでしょうか?皆がやっているから自分もやっていいと少し悪事を働いたこと……。 ここでの男の心境の変化はまさにそれだったのではないでしょうか。 そもそも、羅生門の場所はどこ?タイトルが「城」ではなく「生」の理由を考察! さて、それでは小説の題材となった羅生門、もとい、羅城門はどこにあるのでしょうか?残念ながら、羅城門は現存していません。 ですが、跡地は残っており、京都市南区の東寺の近く、唐橋花園公園の中に「羅城門遺址」と刻まれた石碑が立てられています。 滑り台やシーソーのすぐ横に、柵で囲われており、日常のなかに急に遺跡があるということで、少し違和感を感じるかもしれません。 気になった方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。 ここで気になるのは芥川がどうして「羅城門」ではなく「羅生門」と文字を変えたのか、ということです。 このことについては本人から明かされていないので理由は分かっていません。 しかし、小説に登場する下人と老婆という「生者」たちの「生活」が描かれてるため、「羅城門」ではなく「羅生門」に文字を変えたのではないかという考察もできます。 さらに「羅」という字を大辞泉で調べてみると、「網の目のように並べ連ねる。 並ぶ」と書かれています。 京都の街が碁盤のようにできているというのもありますが、小説では人々の「悪」の連鎖的つながりにも関わってくる文字とも考えられるのではないでしょうか。 冒頭の二文目に 一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた(『羅生門』より引用) とあり、その後に 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた(『羅生門』より引用) と唐突に作者が登場してきます。 このような文章の構図にした理由は何なのでしょうか? 最初に下人の様子を説明し、次に 作者の主観によって京都の衰微した状態や下人の状況などが説明されているこの文章。 客観的に語られる物語の合間に、作者による細かな説明が入ることや作者による主観的内容が加えられる事により、その後再び客観的文章に戻った時に下人に対する理解が二重に深められるためだと思われます。 ちょっとしたところにも、文豪ならではの技巧的な表現がみられますね。 『羅生門』の意味を解説!一人の男の「ある勇気」が生んだ結末とは? 『羅生門』は人の性悪説的な要素を示している作品ではないでしょうか。 ここでは、そのテーマを示す作品の要素をご紹介していきます。 物語は雨の降る夕暮れから始まって真っ暗な夜で終わり、天候などからも暗さ・陰鬱さを感じさせる展開です。 そして文中では下人が右の頬にできた大きなニキビを気にしているという登場しています。 このニキビも、「モヤモヤとしたもの、煩わしいもの、膿」を具現化したような象徴のようです。 そんなすっきりとしない雰囲気を感じさせる表現がありますが、その次に物語を時系列的に逆に進んでみてみましょう。 終わりでは下人が老婆の着物を奪い去ってしまいます。 さらにその前には老婆が死体から髪を抜き取ってかつらにしようと考えていました。 もっと前にさかのぼると、この死体の女が生きていたころ、女はヘビを切って干し魚と偽り、太刀帯(東宮坊警固の武士)に売っていました。 この3人に共通するのは何かというと、自分が生きるために悪事を働いたということです。 つまりここでは一貫して悪が存在しており、上記でも紹介した「羅生」を表現しているのです。 下人の「ある勇気」というのはある種の爽快感、決断をともなう悪という存在。 陰鬱だった序盤を吹き飛ばすかのような鮮やかな結末ですが、それはもちろん正義などではなく、悪。 読者になりふり構わない生き方を見せることで、悪と正義の存在意義を問う構成にしている結末のように感じられます。 最後に『羅生門』の名言から、世界観の魅力を解説! さらにこの言葉の後に、下人が不意に右の手をニキビから離したということも書かれており、下人がそれまでのモヤモヤとした感情に吹っ切れたということが暗示されています。 下人が老婆から着物を奪って夜の闇の中に逃げた後、 下人の行方は、誰も知らない。 (『羅生門』より引用) という一文で、話は終わります。 下人の結末が分からないまま話が終わってしまうというのも、ホラーのようなゾッとする効果を演出し、読者に印象的な結末を見せるのです。 このようなシンプルながら骨太な文章表現、物語の構図が発表から100年以上たった今でも読まれ続けているゆえんなのではないでしょうか。 今回は芥川龍之介の小説『羅生門』について考察しました。 小説のなかでも知名度が高い作品で、文庫本ではだいたい10ページほどの作品ですが、その内容には、すべての人間の中にある「悪」の存在について伝えたかったのかもしれません。

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羅生門のテーマについて

羅生門 解釈

著者 芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ) 発表年 1915年 発表形態 雑誌掲載 ジャンル 短編小説 テーマ 人間のエゴ 『羅生門』は、1915年に文芸雑誌『帝国文学』(11月号)で発表された芥川龍之介の短編小説です。 平安時代末期の京都を舞台に、「生きるための悪」が描かれています。 『今昔物語』(こんじゃくものがたり。 平安末期の説話集)に収録されている話が元になっています。 平安朝を舞台にした芥川の作品は「王朝もの」と呼ばれており、『羅生門』の他に『偸盗(ちゅうとう)』『地獄変』『邪宗門』などがあります。 『羅生門』は、1950年に黒澤明監督によって映画化されました。 夏目漱石に『鼻』を評価され、学生にして文壇デビュー• 堀辰雄と出会い、弟子として可愛がった• 35歳で自殺• 菊池寛は、芥川の死後「芥川賞」を設立 芥川龍之介は、東大在学中に夏目漱石に『鼻』を絶賛され、華々しくデビューしました。 晩年は精神を病み、睡眠薬等の薬物を乱用して35歳で自殺しました。 作家の室生犀星(むろう さいせい)から堀辰雄を紹介され、堀の面倒を見ます。 学生時代からの友人で、文藝春秋社を設立した菊池寛は、芥川の死後「芥川龍之介賞」を設立しました。 芥川の死は、上からの啓蒙をコンセプトとする近代文学の終焉(しゅうえん)と語られることが多いです。 『羅生門』のあらすじ ある日の夕暮れ、京都の羅生門の下で下人が雨宿りをしていました。 飢え死にしたくはありませんが、盗みをする勇気はありません。 今夜の寝床を求めて、下人は羅生門の上に上ります。 そこでは、老婆が死体の髪の毛を抜いていました。 老婆の話を聞いているうちに、下人の心には少しずつある勇気が芽生えていきます。 登場人物紹介 下人(げにん) 主人公。 金持ちの家で私的奴隷として働いていたが、京都の荒廃が原因で解雇され、羅生門の下で雨宿りをする。 老婆(ろうば) 羅生門の上で死体の髪を抜いているところを下人に目撃されてしまい、狼狽する。 『羅生門』の内容 善悪とは? 雨宿りの下人 平安時代の末期の京都。 下人は羅生門の下で雨宿りをしていました。 この時の京都は、天災が続いて荒れ果て、羅生門には獣や盗人が住むほど荒廃しています。 仕事をクビになってしまった下人は、行く当てもなく羅生門の下で雨が止むのを待っていました。 帰る家を失った下人は、途方に暮れてしまいました。 大きなにきびを気にしながら、下人はこれからのことを考えます。 このまま何もしなければ、飢え死にして犬のエサになってしまいます。 職がない下人がそれを避けるには、盗人になるしかありません。 しかし、下人にはその勇気がありません。 その時、下人は羅生門の上へ繋がるはしごを見つけました。 晩秋の京都は凍える寒さなので、下人ははしごを上りました。 謎の老婆 引き取り手のない死体を羅生門に捨てるという習慣ができていたので、羅生門の上には死体が転がっていました。 しかし、下人は死体の中になにやら動くものを認めます。 誰かが火を灯していたのです。 白髪頭の 老婆が、死体の髪の毛を抜いていたのでした。 最初、下人は得体のしれない恐怖を感じていましたが、だんだんそれが怒りに変わっていきました。 下人は、刀に手をかけて老婆に歩み寄ります。 驚いた老婆は逃げようとしますが、「何をしていた」と下人が問うと、「髪を抜いてかつらにしようと思った」と老婆は答えました。 老婆の言い分 老婆は、「死体の髪を抜くのは悪いことかもしれない。 だが、いま私が髪を抜いていた女は、蛇を切って干したのを干魚だと嘘をついて売っていた」と言います。 続けて、「そうしなかったら餓死するのだから仕方がないことだ。 私も髪を抜かなければ飢えてしまうのだから、彼女も私の気持ちを理解してくれるだろう」と言いました。 下人は、老婆のこの言葉をにきびを手で触りながら聞いていました。 下人にはある勇気が湧いてきました。 そして「きっとそうか」と何か決意したように言った途端、下人はにきびから手を放して老婆に襲い掛かりました。 そして、下人は 「では、己が引剥(ひはぎ。 衣類をはぎ取ること)をしようと恨むまいな。 己もそうしなければ、餓死をする体なのだ」と言って老婆が着ていたものをはぎ取ると、足早に去って行きました。 『羅生門』の解説 突如現れるフランス語 『羅生門』を読む人を苦しませるのは、なんの前触れもなく出てくる「Sentimentalisme」という単語です。 フランスの単語で、「サンチマンタリスム」と読みます。 これは英語で言う「センチメンタル」で、感傷におぼれる心理のことを言います。 では、なぜ「下人の感傷に影響した」ではなく「下人のSentimentalismeに影響した」なのでしょうか。 結論から言うと、まだ「Sentimentalisme」の日本語訳がなかったからです。 芥川は『羅生門』を書いていた当時、大学でフランス文学の授業を取っていました。 そのとき「Sentimentalisme」に当たる日本語訳は存在していなかったため、先生はフランス語の小説を原文のまま読み上げて、「Sentimentalisme」の訳が分からなくても文脈の中で意味が理解できるような授業をしました。 芥川はその授業で、適切な日本語には訳せないものの、「Sentimentalisme」の意味を理解しました。 その「Sentimentalisme」を『羅生門』で実際に使ってみたというわけです。 日本語訳がなかったから、フランス語のままなのです。 長い間、この単語については様々な研究がなされてきましたが、近年芥川の大学の講義ノートが見つかったということで、その真実が明らかになりました。 『羅生門』は、「Sentimentalisme」を実践した小説ということができます。 にきびの意味 下人は、終始にきびを気にする素振りを見せます。 その謎を解明するには、小説の設定を理解する必要があります。 羅生門は、実際に京都にあった門です(本当は羅城門ですが、芥川はあえて羅生門と表記しています)。 四角形の都の一番奥にある、天皇の住む宮中から延びた大通りの先にあります。 羅生門は、都と外界の境界になる場所です。 人を殺して捕まるのも、盗みをして罰せられるのも、都が天皇によって秩序を保たれているからです。 逆に言えば、天皇の権力が及ばない都の外の世界は、盗みも殺しも何でもありの無法地帯です。 つまり、危険な外界に一番近いところが羅生門というわけです。 当時の都の人は、京都の外は野蛮人が生活するところと認識していました。 これを理解すると、 下人が「秩序(京都)と無秩序(外界)の間(羅生門)で悩んでいる」という構図が見えてきます。 その上で、にきびの描写を追っていきましょう。 前半から中盤までは、下人はにきびを手で触り、気にするそぶりを見せていました。 しかし、老婆の「餓えをしのぐためなら悪も許される」という老婆独自の理論を聞いた下人は、「不意に右の手をにきびから離して」老婆に襲い掛かります。 犯罪に手を染めるか餓死するかで悩んでいた下人は、老婆の言葉で「餓えないための手段」としての盗みを正当化し、盗人になる決意をしたのでした。 このことから、 にきびは煩わしい「秩序」を意味していたと言えます。 盗人になるのを妨げていたのは、「秩序を守らなければならない」という下人の良心です。 にきびから手を放し、秩序というしがらみから解き放たれた下人は、盗人に一歩近づいたのでした。 ラストについて 実は、『羅生門』が最初に書かれた時の最後の一文は、現在のものとは異なっていました。 現在採用されているテクストは、「下人の行方は誰も知らない」となっており、下人がこの後どうなるのかが明記されておらず、曖昧な終わり方になっています。 しかし、最初は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった」となっており、下人はこれから盗人として生きていくことを思わせる形になっています。 現行の物に改稿されてから、下人は盗人になるのか、改心するのか、それとも全く別の第三の道を歩むのか、解釈は読者に委ねるような終わり方になりました。 これは研究者の間でも意見が分かれていて、決着がついていません。 なぜ下人は髪を抜くことに怒りを覚えたのか? 羅生門の上で死体の髪の毛を抜いていた老婆を見た下人は、激しい怒りを感じます。 「死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった」とあることからも、下人がいかに死体の髪の毛を抜くことを悪だと捉えているかがよく分かります。 これには宗教が関係していると考えられます。 仏教の教えが広がる京都では、死体に手を加えること(死体損壊)はタブーです。 現代の私たちでもその感覚は同じです。 下人の態度は、常識人として当然の反応と言えます。 ではなぜ老婆は平気で髪を抜いているのでしょうか。 生きるか死ぬかの瀬戸際で揺れる彼女には、倫理を保つ余裕がなかったからです。 羅生門の上でのやり取りには、下人の「秩序(倫理)」と老婆の「無秩序(非道)」が混在しているのです。 色に注目 所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。 冒頭部分の引用です。 丹塗(にぬり)とは、社寺を赤く塗装した状態を言います。 そして、当時の蟋蟀(きりぎりす)は現在のコオロギですので、色でいうと緑ではなく黒です。 また、丹塗りというのは赤く塗る前に黒で塗装する工程をはさみます。 よって、「所々丹塗りの剥げた」というのは、「丹塗りの赤から下地の黒が見える」という状態を指しています。 ここから、赤と黒の対比を見ることができます。 昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわっている。 ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。 さらにこの部分にも、 夕焼けの赤と鴉(からす)の黒の対比が現れています。 このことから、『羅生門』のテーマカラーは赤と黒であることが読み取れます。 動物に注目 下人は、死体だけがあると予想していた羅生門の上に、思いがけず人がいて得体のしれない 恐怖に駆られます。 そこにいたのは「 猿のような老婆」でした。 下人は、その老婆が死体の髪の毛を抜いているところを目撃して 怒りを覚え、彼女の「 鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕」をねじ倒しました。 そして何をしていたのかを問い詰めると、老婆は「 鴉(からす)の啼くような声」で「髪を抜いてかつらにしようと思った」と言いました。 下人は、おそらくもっと突拍子もない理由が出てくることを想定していました。 晩秋の雨の夜に、羅生門の上で死体の髪の毛を抜くなんて、どう考えても異常なことだからです。 しかし、老婆の答えはごく普通なことでした。 下人はこの時、 老婆の「普通さ」に失望し、同時に彼女を下に見るようになります。 そしてその後の老婆の言い訳が「 蟇(ひき。 蛙のこと)のつぶやくような声」で言われていると描写されています。 同時に下人の心情も、異様で不気味なものへの恐怖から、平凡な弱者への軽蔑に移っていると捉えることができます。 先ほどの「赤と黒のコントラスト」と同じで、作品の読みに直接関わってきません。 しかし、芥川が意識的にか無意識的にかは分かりませんが、色と動物をそのように書く傾向がある、ということがここから分かります。 『羅生門』の感想 善悪とは? 「善悪とはなにか」を考えさせられる小説だという印象を受けました。 善と悪は必ずしも切り分けられるものではなく、見方によって決まるのではないかということです。 例えば、干魚だと言って女が売っていた蛇は「味が良い」と評判でした。 もしかしたらそれを買っていた人たちは、女が亡くなったせいで美味しい「干魚」を食べられなくなってしまったことを悲しんでいるかもしれません。 「蛇を売っていた」という背景を知っている人は女を「悪」とみなしますが、それを知らない人は「善」とみなすのではないでしょうか。 また、下人は死体の髪の毛を抜く老婆を「悪」としました。 しかし老婆は「餓えから逃れるためなら悪事を働いても良い」という独自の考えを用いて、自分を「善」だとします。 さらに老婆から衣類をはぎ取った下人は、老婆と同じ考えで自分を「善」とします。 しかし、被害者の老婆からしたら下人は「悪」でしょう。 このように、同じ出来事でも角度によって評価が変わってくるのです。 特に、私が気になったのは、「勇気」という言葉の使い方です。 「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。 「勇気」という言葉は、普通プラスの単語にしか付きません。 ですが、ここでは「盗人」というマイナスの言葉にかかっています。 芥川は、 「勇気」というプラスと合わせて使うことで、「盗人」というマイナスを帳消しにしているのではないかと私は考えています。 芥川は、あくまで中立の立場です。 何が善で何が悪かについて、芥川は一切触れていません。 この作者の姿勢が、「善悪」は簡単には決められないということを裏付けていると思います。 『羅生門』の朗読音声 『羅生門』の朗読音声は、YouTubeで聴くことができます。

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【芥川龍之介】『羅生門』のあらすじ・内容解説・感想|朗読音声付き|純文学のすゝめ

羅生門 解釈

芥川龍之介「羅生門」のあらすじ 羅生門は読書感想文でも出される課題として有名で、主人公の善悪に対する考え方の変化に注目するべき作品だと言えます。 下人がたたずむ羅生門 天変地異の災害が平安京を襲っていた頃、夕暮れの羅生門には雨宿りする人が一人もいません。 それどころか羅生門は餓死者の屍が横たわる場所でした。 しかしそこに一人の下人が雨宿りに来ます。 男は数日前に主人に解雇され途方に暮れていたのです。 いっそ盗人になろうかと思うものの、その勇気が出ず迷っていました。 下人は羅生門で夜を明かそうと楼の上にハシゴであがると、そこには誰かが火を動かしています。 屍の中を蠢く謎の老婆 楼内には無数の屍が横たわっており、その中で火を持ちながら、老婆が遺体の頭から白髪を一本ずつ引き抜いているのです。 今まで屍と夜を明かさなければならない怖さがあった下人からは恐怖が消えて、老婆に対して怒りがこみ上げます。 また、下人は老婆が白髪を抜く理由が分からずにいましたが、横たわる遺体の髪を抜くなんて事は許されない事だと感じたのです。 さっきまで盗人になろうとしていた気持ちは消えていました。 老婆の話を聞く下人の変化 下人はハシゴを上がると老婆に問い詰めました。 すると老婆はかつらを作るために髪の毛を抜いている事を告げます。 「ここにいる人らは皆そうされても仕方のないようなやつらだ。 」 自分が抜いた髪の女は生前、蛇の干物を魚の干物だと嘘をついて売っていた女なのだと言いました。 しかしこの女を悪いとは思っていない、そして自分がしている事も悪いことではないと開き直ります。 夜の闇に消えていく下人 それを聞いた下人はある勇気が湧いてくるのでした。 「それならば俺が引きはぎをしようとも恨むまい。 」 自分もそうしなければ飢えてしまうのだと言って、老婆の着物を剥ぎ取ったのです。 そうして下人はハシゴを下りて夜の闇に消えていきました。 その後の下人の行方は誰も知りません。 感想 善悪が揺れ動く主人公の気持ちが、老婆との会話で変化する様子がとても興味深いと言えます。 キレイごとでは済まない現実 現代の日本では下人のような状況に立たされることはありませんが、何かがきっかけで気持ちが吹っ切れたりという状況は、誰もが経験しているでしょう。 そしてそんな経験の中には、キレイごとで済まされないことも存在します。 羅生門は人間の生きるための悪というものを描いた作品となっています。 様々な状況の中で、その人にとって何が善で何が悪なのかは、見る角度によって変わるのだということでしょう。 映画のリメイク ちなみに映画の羅生門は、1997年「MISTY」というタイトルでリメイクされています。 出演は豊川悦司さん、天海祐希さん、金城武さんと豪華ですが、あまり話題になっていません。 ただ天海祐希さんがとてもセクシーな役を演じられているので、天海さんファンは必見ですね(笑)。

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