中国 トノサマバッタ。 中国の最新情勢をご紹介。バッタによる食料不足で中国共産党崩壊か?

漢字でバッタは、「飛蝗」と書くけれど、由来は?

中国 トノサマバッタ

また、DNA配列の中には「転移性因子」と呼ばれる、何度も繰り返される可動性の配列部分も数多く存在する。 これらは進化によって排除されることなく、ゲノム中に残存していると研究チームは指摘する。 1日で自身の体重と同量の餌を食べるトノサマバッタは古代より危機を招くものとされており、群れで移動して人々に飢饉(ききん)をもたらし、人々の暮らしを破滅させる力を持っている。 記録に残されている最大の出来事の1つでは、1988年に数十億匹ものトノサマバッタの大群が60か国に及ぶ2900万平方キロの国土を群生移動し、アフリカから大西洋を横断してカリブ諸国にまで到達している。 トノサマバッタのゲノム情報はまだ草案の段階だが、解読が完了すれば、食欲旺盛な昆虫を攻撃する新たな方法を模索している科学者らに青写真を提供できるかもしれない。 論文によると、今回の研究によって「殺虫剤の標的となる可能性のある遺伝子数百個」が明らかになったという。 環境に配慮しつつ、害虫を的確に殺すための賢明な方法を見つけることが研究の主な目的の1つだと論文の著者らは述べている。 これまでの研究で、トノサマバッタの群生行動を促す生化学的メカニズムが明らかになっている。 通常は単独で行動するトノサマバッタだが、集団の中でお互いに押し合うことで快楽の脳内化学物質である「セロトニン」の分泌が誘発され、密集して集団で食べ物を探す行動に駆り立てられるという。 そしてひとたび「群生状態」に入ると、体色が緑から明るい黄色に変化し、筋肉も巨大化して長時間の飛行に耐えうる体に変わるとされている。 c AFP.

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コロナの裏で、中国に「ヤバすぎる数」のバッタの大群が襲ってきた…!(夫馬 賢治)

中国 トノサマバッタ

飛蝗とバッタに音のつながりを感じることはできません。 いったいなぜこのような漢字を当て、バッタと読むようになったのでしょう。 飛蝗と書くようになった由来について調べていきたいと思います。 バッタを漢字で「飛蝗」と書く由来は? 大群をなして移動し、通過する土地の草を食べ尽くすバッタのことを意味します。 飛蝗に該当する種類は世界に約 20種知られています。 中国のトノサマバッタ、中近東からインドにかけているサバクトビバッタ、などが有名です。 古くから中国でもっとも害のあるものは飛蝗で、単に蝗とも記されています。 日本においては、中国の書き方に倣ったので、害虫の大発生があると「 此歳このとし夏蝗食稲天下飢饉 ききん 」などと記録しました。 しかし、日本では飛蝗は少なく、蝗としたものはイネの害虫の総称と捉えた方がいいようです。 「蝗」を使っていましたが、意味を分かりやすくするために「飛」の字を冠したのだと推測されます。 中国の飛蝗は日本のトノサマバッタと同じ種で、 南・北アメリカと極寒地を除く広い分布しています。 群生して移住する性質をもつ群生相という性質に変化しました。 草原に単独で生活する孤独相のトノサマバッタが緑色を帯び、前胸背面が中高です。 一方、群生相では全体が褐色で 頭が大きく、はねが長く、後脚が短く、前胸背面の中央がくぼんでいます。 発生地の共通の特色は、水はけのよい土をもつ乾燥地で、植物の数も少ないという点です。 中国ではB. 2から後A. 19にかけて1330回以上の大発生が記録されています。 日本では古い記録の 詳細は不明で、わずかに1770年~71年(明和7~8)に江戸の空を渡った記録と、 1880年~84年(明治13~17)に 北海道で驚異的な大発生が起こっただけです。 スポンサードリンク まとめ バッタの漢字表記の問題から、バッタで昔の人も被害を被っていたことを知ることができました。 これほどまでに、過去においても被害が甚大だったとは思いもしませんでした。 そして、まだ飛蝗によって悩まされている国があるとは信じられません。 スポンサードリンク.

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中国に新型コロナ以上の被害!200兆匹バッタが日本に来る!?

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大群をなして移動し、通過する土地の青い草を食べ尽くすバッタ類をいう。 最近は移住バッタ、ワタリバッタまたはトビバッタとよばれることが多い。 飛蝗になる種類は世界に約20種知られており、中国のトノサマバッタ、中近東からインドにかけているサバクバッタ(砂漠飛蝗)、アフリカにいるモロッコ飛蝗、北アメリカのロッキー山飛蝗などが有名である。 古くから中国でもっとも害のあるものは飛蝗で、単に蝗とも書いているが、日本の歴史のなかでは、ほかの学問と同様に初め中国の書き方をまねたので、害虫の大発生があると「此歳 このとし 夏蝗食稲天下飢饉 ききん 」などと記録したが、実は日本では真の飛蝗は少なく、蝗としたものはイネの害虫の総称と解すべきであって、もちろん現在のイナゴをさすものでもない。 中国の飛蝗は日本にいるトノサマバッタと同じ種で、南・北アメリカと極寒地を除く広い分布域をもち、群生して移住する性質をもつ群生相という性質に変わったもので、普通、草原に単独で生活する孤独相のトノサマバッタが緑色を帯び、前胸背面が中高であるのに対し、群生相では全体が褐色で頭(幅)が大きく、はねが長く、後脚が短く、前胸背面の中央がくぼんでいる。 環境要因の変化に伴って、急に相が転換するのではなく、しだいに群がってすむ性質をもつ中間型(転移相)の数を増し、ついには群生相に変わる。 発生地の共通の特色は、水はけのよい砂礫土 されきど をもつ乾燥地で、そのうえ植物がまばらである点などであって、これらの環境は大河の流域や砂漠などに多く、一般の土地では干天続きの年に起こる。 中国では紀元前2世紀から後19世紀にかけて1330回以上の大発生が記録されているが、日本では古い記録の詳細は不明で、わずかに1770~71年(明和7~8)に江戸の空を渡った記録と、1880~84年(明治13~17)に北海道で驚異的な大発生があったことが知られているだけである。 その後は1929~30年(昭和4~5)までの間に北海道で3回地域的な発生が認められ、明治時代に沖縄や千葉県、小笠原 おがさわら 諸島で小発生が認められただけで、いずれの土地も開発などによる環境の変化によって発生が抑えられている。 ただ1974年(昭和49)には北大東 きただいとう 島で、また1985年には九州南方の馬毛 まげ 島で大発生が起こった。 トノサマバッタの群生相と孤独相は昔は別の種であると信じられていたが、両者が同一種の密度の相違による型であることがわかり、相変異と名づけられたのはイギリスのウバロフUvarovの研究(1921)によるもので、その後ほかの飛蝗の種類についても同様の相変異があることが認められるようになった。 飛蝗は世界各地で古くから大きな被害があったが、これに対する研究は相変異の発見によって促進され、とくに第二次世界大戦以後はイギリスに対蝗研究センターAnti-Locust Research Centreが設立され、フランスにおいても研究が拡張され、被害の多いアフリカ、中近東などの諸国も協力して飛躍的に進歩した。 その結果アフリカでのトノサマバッタの飛蝗化の制御はある程度可能となったが、サバクバッタではまだ不可能である。 したがって飛蝗の発生は後を絶たず、被害諸国の悩みの種になっている。 サバクバッタの飛蝗は1平方キロメートルに5000万個体にも達するといわれる。 [中根猛彦] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について の解説 【蝗害】より …これらのバッタ類の害は古くから世界中で知られ,エジプトでの多発例は旧約聖書にも記され,中国では前1200年ころから記録されている。 群れをなして空を飛翔(ひしよう)して移動するバッタ類は(ひこう) 近年トビバッタともいう と呼ばれ,もっとも恐ろしい害虫の一つとされている。 飛蝗の性質をもつバッタは種類が多いが,その代表種は,アフリカから旧北区,東洋区に広く分布する移住飛蝗 Locusta migratoria,北アフリカから地中海沿岸,旧ソ連南部などに分布するモロッコ飛蝗 Dociostaurus maroccanus,南西アフリカの褐色飛蝗 Locustana pardalina,北アメリカのロッキー山飛蝗 Melanoplus mexicanus,南アメリカの赤色飛蝗 Nomadacris septemfasciata,南アフリカ,中近東の砂漠飛蝗 Schistocerca gregaria,中南米の南米飛蝗 S. paranensisなどが有名である。

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