スロー カーブ を もう一度。 川端俊介

スローカーブをもう一度の感想聞かせてください!

スロー カーブ を もう一度

川端 俊介(かわばた しゅんすけ、 - )は、日本の()。。 速球と落差のあるカーブを武器に活躍した。 の小説「スローカーブを、もう一球」のモデルとして広く知られている。 略歴 [ ] 高崎市立第一中学校で部に入部し野球をはじめる。 卒業後、に進学、部に入部。 高校2年の夏までは右サイドスローの控え投手であったが、OBの指導でオーバースローに変えたところ球威が増加し、エースとなった。 1980年秋の群馬県高校野球選手権で快投を続け、2回戦に5-2で勝利・3回戦で13-0のコールド勝ち・準々決勝に7-2で勝利・準決勝に3-0で快勝し、関東高校野球選手権への出場を決めた。 決勝でも勢いは衰えず、に2-1で競り勝った。 関東高校野球選手権大会では、1回戦茨城県立水戸農業高等学校に8-0で快勝・2回戦國學院大學栃木高等学校に3-2で辛勝・準決勝茨城県立日立工業高等学校に2-0で競り勝って春のセンバツ出場を決めた。 センバツでは力を出し切れず1回戦で敗れた。 高崎高校を卒業後は、に進学し教員免許を取得。 群馬県公立小学校教員に採用され、小学校教諭として児童の指導にあたっていた。 2019年10月22日、病気のため死去。 56歳没。 脚注 [ ] [].

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609夜『スローカーブを、もう一球』山際淳司

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川端 俊介(かわばた しゅんすけ、 - )は、日本の()。。 速球と落差のあるカーブを武器に活躍した。 の小説「スローカーブを、もう一球」のモデルとして広く知られている。 略歴 [ ] 高崎市立第一中学校で部に入部し野球をはじめる。 卒業後、に進学、部に入部。 高校2年の夏までは右サイドスローの控え投手であったが、OBの指導でオーバースローに変えたところ球威が増加し、エースとなった。 1980年秋の群馬県高校野球選手権で快投を続け、2回戦に5-2で勝利・3回戦で13-0のコールド勝ち・準々決勝に7-2で勝利・準決勝に3-0で快勝し、関東高校野球選手権への出場を決めた。 決勝でも勢いは衰えず、に2-1で競り勝った。 関東高校野球選手権大会では、1回戦茨城県立水戸農業高等学校に8-0で快勝・2回戦國學院大學栃木高等学校に3-2で辛勝・準決勝茨城県立日立工業高等学校に2-0で競り勝って春のセンバツ出場を決めた。 センバツでは力を出し切れず1回戦で敗れた。 高崎高校を卒業後は、に進学し教員免許を取得。 群馬県公立小学校教員に採用され、小学校教諭として児童の指導にあたっていた。 2019年10月22日、病気のため死去。 56歳没。 脚注 [ ] [].

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「スローカーブを、もう一球」の後輩が活躍 高崎・渡辺

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Posted by ブクログ 2018年05月04日 この本を手にしたのは、『「考える人」は本を読む』(河野通和)のなかで紹介されていたのが直接のきっかけだったけど、この本のなかに収めらている『江夏の21球』で話題になってテレビでも盛んにとりあげられていた大学生時代、読んでみたいと思いながら、そのまま忘れていた作品でもある。 この本のカバーの裏に ある山際淳司さんの写真をじっと見つめていると、かつてNHKのサンデースポーツのキャスターをしていた姿が思い出されてくる。 この眼鏡の下の鋭い眼差しが、ゲストにきたスポーツ選手から微熱を帯びた秘話を引き出していたのを思い出す。 そして、その眼差しが、スポーツをする特定の人物を徹底的に掘り下げて、描写してくれたものを収録したのがこの一冊。 山際淳司の言葉は、スポーツを観る者の勝手な想像や、感傷で語られていない。 それは、彼のその人物が身につけてきたすべてを見透してやろうという視線で、徹底的に取材した材料が勝手に語りかけてくるものを、拾い上げているような作業に感じられる。 だから、今語られてるシーンを軸に、いくつもの回想シーンが重なってその人物をより立体的なものとして、よりリアルなものとして感じてもらおうとして、語られる。 ドラマを観ているように読むことができる。 この短編の集まりのなかで、個人的にわたしが一番気に入ったのは『ザ・シティー・ボクサー』。 この中でのいくつかの言葉を引用しながら、山際淳司の眼差しを感じてもらいたい 〜〜「いつものパンチとどこが違ったのか。 スローモーション・フィルムを見るように思い返した。 あのときはひらめきがあった。 今、打てばいいと思うようより先に吸い込まれるようにパンチが炸裂した。 インスピレーション。 パンチを出した。 手ごたえがあった。 そして倒れた」〜〜 スポーツをした経験を振り返ると誰にでもあるこの感覚。 こういった掬い取りは随所にある。 だから、キャスターとして、ルポライターとして、選手は山際の言葉に誘われて、奥へ奥へ、深く自分との葛藤の記憶を語りはじめてしまうのだろう。 〜〜「ものごとや世間が見えすぎてしまうことは、結局のところ、遠回りすることになってしまうのかもしれない。 」〜〜 これも、山際の特徴的なところで、瞬間的に人生を語る言葉を挟んでくる。 〜〜「ぼくは何者かになろうと思っていた。 サラリーマンをやっていると、それがだんだん見えなくなるんだ。 子供が大きくなる。 家庭ができてくる。 あ、このままいったらヤバイな、と思ったり。 何の刺激もない。 面白くもない。 」〜〜 こうやって、男たちの誰もが時折紛れ込む迷路の風景を差し込む。 〜〜自分は、格好をつけていないと生きてる気がしないんだなと納得した。 いつもそうだった。 あれはまだ小学校に通っていたときだろうか。 新しくできた友達に、オレ、ボクシングやってんだというと、友達は目を輝かせた。 その瞬間、友達の目が春日井にとっての鏡になった。 鏡の中の自分は完璧でありたいと思った。 人はいる、他者との関係のなかでしか、自分を支えられないときがあるし、たいていの人間はそんな風に生きている。 四年間のブランクと同じようにして残りの20分を費やしてしまうのが、彼にしてみれば不愉快だった。 〜〜 ここはもう山際は主人公のボクサー春日井健の人生を一緒に歩んでいて見えている世界を描いている。 この本のなかに、誰でもお気に入りのドラマはきっと見つけられる。 Posted by ブクログ 2014年10月11日 山際淳司さんも「パック・イン・ミュージック」を聞いていたのかもしれない。 本書に収録された「たった一人のオリンピック」を読んでそう思った。 野沢那智&白石冬美の深夜放送「パック・イン・ミュージック」で「ボートの津田」が話題を呼んでいた頃、よく聞いていた。 津田選手はある日突然、「オリンピック選手になろう 」と決意して実際にボートのシングル・スカル日本代表になってしまった。 恐らく津田選手の友人の投書が発端だったのだろうが、津田選手の話題は断続的に続いた。 よほど運と才能に恵まれた人なのだろうな、と当時は思っていた。 本書を読んで、それが誤解であったことが分かった。 いくら競技人口の少ないボートでも、いくら体格に恵まれていても、それだけでオリンピック選手になれるはずはないのだ。 津田選手はアルバイトをしながら20代の後半をボートの練習に捧げる。 念願のオリンピックの代表になるが、モスクワオリンピックへの参加を日本政府はボイコットしてしまう。 有名な「江夏の21球」をはじめ8編のスポーツノンフィクションを収録してある。 表題作の「スローカーブを、もう一球」は進学校の群馬県立高崎高校が関東大会を勝ち進んで、センバツ甲子園大会に出場する話。 甲子園出場なんて予算も考えもなかった高校の奮闘は高橋秀実「弱くても勝てます」を彷彿させる。 いや、「弱くても勝てます」にはこの作品の影響があるのではないかと思えてくる。 バッティング投手を取り上げた「背番号94」、小柄な棒高跳び選手を描く「ポール・ヴォルター」もしみじみと心に残る。 「ポール・ヴォルター」の中で山際さんはこう書いている。 ----------以下引用------------------------------- ふと思い出した台詞がある。 ヘミングウェイが、ある短編小説の中でこんな風にいっているのだ。 「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。 要するに……」 といって、彼は続けていう。 「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」 悪くはない台詞だ。 ---------引用ここまで------------------------------ 「競馬は人生の比喩だ」と言った人がいる(寺山修司だったかなと思って調べたら、正確には「競馬が人生の比喩なのではない。 人生が競馬の比喩なのだ」だった)。 競馬に限らず、スポーツは人生の比喩なのだろう。 山際さんのノンフィクションはそれに加えて選手の人生の断面を鮮やかに切り取っている。 30年以上前の作品だが、まったく古びていない。 それどころか、今も輝きを放っている。 当然のことながら、社会風俗は古びても人の考え方は古びないのだ。 Posted by ブクログ 2014年03月19日 ノンフィクション作家山際淳司を有名にした、 デビュー作の江夏の21球を読んでみたかった。 本書は、江夏の21球を含む、8作品が収められている。 江夏の21球、しびれた。 スポーツのノンフィクションにはドラマがある。 現実はドラマに満ちている。 勝負をめぐる攻防。 それは、見方のベンチも、エース も、相手も、 真剣なわけで、 その中で心理はめまぐるしく変わり、交錯していく。 どの作品も、どこかに人間の哀しみを含んでいるように感じた。 勝者もまた、哀しみとは無縁ではないのだ。 読めてよかったなぁ、という作品ばかりで、 江夏の21球はよかったが、 それ以上に、本書のタイトルにもなっている、スローカーブを、もう一球もよかった。 高校野球という一瞬のドラマの中にある、悲哀のようなものを感じて、 涙が出そうな、哀しい清々しさを感じた。 投げろよ、スローカーブを、さ。 川端はその指先を見た。 その指の形はこういっている-《スローカーブを、もう一球》 川端俊介は、微笑んだ。 Posted by ブクログ 2012年12月15日 高校生のときに、毎月1冊国語教師指定の本を読んで 感想を書くという課題?のようなものがあって その中に含まれていた一冊。 読んだときに強烈な印象を受けたので ずっとこの本のことは頭に残っていたけど 最近野球に目覚めたことをもあり、 今回再読してみることにした。 スポーツルポルタージュというかスポ ーツノンフィクションというか そういったもので好きな作家は山際淳司と沢木耕太郎だけど、 スポーツノンフィクションを読むと 選手に対しての感情のやり場に困ることが多い。 一瞬の輝きを放ち名勝負を作り上げても そこには必ず勝者と敗者がいて、 敗者の人生、勝者の人生をある意味決定づけてしまう。 そのたまらなさ、やりきらなさが スポーツノンフィクションの魅力なのかもしれない。 Posted by ブクログ 2012年08月15日 私は角川文庫が苦手である。 決して社風が苦手とか、「あそこのレーベルはろくな本がない!」というわけではない。 そうではなくて、なんだか、読みにくいのだ。 それが文字の大きさなのか、フォントなのか、レイアウトの仕方なのかは、わからない。 深く研究したことはないが、これはもう、相性、としかいえない。 少 なく見積もって200冊はある私の本棚に、角川文庫は本書が3冊目である。 そのうち「最初から最後まで読んだ本」は、一冊もない。 つまり、本書の中のいくつかのエピソードは、最後まで読んでいない。 すべて読まずにレビューを書く、ということに抵抗感を抱かずにはいられないし、これを読んでいる方にはそう思われる方もいると思う。 しかし、本書について「面白かった」といわずにはいられない。 それほど「面白かった」。 最後まで読みきったのは「八月のカクテル光線」「江夏の21球」「背番号94」「ザ・シティ・ボクサー」「スローカーブを、もう一球」。 「シティボクサー」以外はすべて野球がテーマである。 一番面白かったのは、「江夏の21球」だった。 有名なだけある。 読みにくかったのもあるかもしれないが、登場人物のバチバチとした心理戦に引き込まれ、読む速度をあげるにはもったいなかった。 食い入るように一文字一文字確かめながら読んだ。 世の中には、才能というものがある。 それだけで闘えたら素晴らしいが、そういうわけにもいかない。 プロ野球にいる時点で既に多くの凡人に比べて多大な才能を持ち合わせているはずなのだが、それだけではプロ野球では勝てない。 だから、プロはできるだけ、理詰めの努力をする。 練習方法を厳選し、トレーナーの指示を仰ぐ。 体を痛めるフォームを修正する。 しかし、そこから先は才能や感覚で判断する。 できるだけ理詰めで成功確率を上げたところで、そこから先は、成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。 果ては「どこまで理詰めを守るか」といったところまで、感覚で判断する。 そういった過程を含めたのちに結果を残せる人が、リスペクトに値するのである。 本書にでてくるスポーツマン(すべて読んでないですが)は、理詰めと追求している。 著者の山際さんは読み物として敢えてそうしていると思うが、その理詰めの先の確率の部分を、必然であるかのように書いている。 だからこそ面白く、スポ根マンガの「限界超えてやりますおおおおおお!!」といった気合と根性一本調子とは違った見方を知ることができる。 そして忘れてはいけないのが、今やっている甲子園も、出場者それぞれがドラマを持っているはずだ。 「甲子園より、熱闘甲子園の方が面白い」という人の気持ちがわかった気がする。 本書を購入したのは、文化系トークラジオLifeの「夏の一冊」の回でオススメされていたからである。 すごく面白かった。 ネタバレ Posted by ブクログ 2020年03月09日 山際さんのスポーツに対する切り取り方が画期的だったと思う。 スポーツ、とくに頂点を目指す人間をいかにもスポーツマンというキラキラした世界に閉じ込めず、もっと人間らしいというか痛い部分を描き出している。 もちろん皆と違う頂に登る人間は、それはストイックでいろいろなものを犠牲にしている。 だけどこの本の登 場人物はそれがその人間のあたりまえだった(よくも悪くも)のだなぁと思い当たらせる。 その人たちはその人たちのあたりまえを生きてそこに立った。 それしかないというか。 最後の「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」っていうヘミングウェイの言葉がすとんと腑に落ちる。 普通のスポーツ・ルポでは切り込まないようなどうしようもなく人間臭いところをみせる山際さんの本はほんと好き。 第八回日本ノンフィクション賞受賞作。 Posted by ブクログ 2018年09月01日 山際淳司は、1948年神奈川県生まれのノンフィクション作家。 1980年に、本作品集に収められた『江夏の21球』を、文藝春秋の『Sports Graphic Number』の創刊号に発表して注目され、以後、さまざまなスポーツをテーマにした作品などを発表。 本作品集は、1981年に角川書店日本ノンフィク ション賞を受賞した。 その後、NHKの「サンデースポーツ」のメインキャスターなども務めたが、1995年に46歳で急逝。 私は、ノンフィクションやエッセイが好きで、沢木耕太郎はじめ、多数のノンフィクション作家、エッセイストの作品を読んできたが、遅ればせながら手にしたこの作品集は、山際氏の比類ない、主題を見つける鋭い選球眼、それを安打にする高い技術力、そして、相手への徹底した取材という豊富な練習量の存在を改めて知らしめてくれる。 デビュー作にして代表作の『江夏の21球』は、1979年の日本シリーズ・広島カープ対近鉄バッファローズ第7戦の9回裏という、プロ野球史でも有名なシーンを取り上げた作品であるが(尤も、この作品があったために、よりドラマ性を増して有名になったと言えるのかもしれないが)、その他の7作品は、必ずしも一般の人々の記憶に強く残っている選手、シーンを取り上げたものではない。 それでも、それぞれのストーリーには間違いなく必然と偶然が絡み合った綾があり、結果としての成功と失敗があり、それはまさに人生を凝縮したものであることを、山際氏は淡々としたタッチでさりげなく描いているのだ。 最後の作品『ポール・ヴォルター』はこうして結ばれている。 「ふと思い出した台詞がある。 ヘミングウェイが、ある短編小説のなかでこんな風にいっているのだ。 「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。 要するに・・・」といって、彼は続けていう。 「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」悪くはない台詞だ。 」 (2018年8月了)• Posted by ブクログ 2014年08月24日 【本の内容】 たったの一球が、一瞬が、人生を変えてしまうことはあるのだろうか。 一度だけ打ったホームラン、九回裏の封じ込め。 人生がゲームのようなものなのか、ゲームが人生の縮図なのか。 駆け引きと疲労の中、ドラマは突然始まり、時間は濃密に急回転する。 勝つ者が いれば、負ける者がいる。 競技だけに邁進し、限界を超えようとするアスリートたちを活写した、不朽のスポーツ・ノンフィクション。 Posted by ブクログ 2017年05月18日 甲子園球児の夏、江夏の21球、バッティングピッチャーの悲哀など スポーツ感動シーンのノンフィクション短編集。 この本の命題は「スポーツは 勝つことも 負けることも 含めた人生を教えてくれる」 特に バッティングピッチャーの悲哀を取り上げた「背番号94」の言葉に 心打たれた 「 自分の 部屋は〜ひそか に練習をするトレーニングルーム〜そんなこと誰も教えてくれない」 「シラけた人間から敗れていく」 学生時代に経験した 緊張感、高揚感、挫折感、倦怠感など、いろいろな感情を思い出した。 それらを経験して、今があるので、確かに スポーツは 人生を教えてくれるかもしれない• Posted by ブクログ 2014年11月15日 大学時代にもっとも何度も読み返した本だとおもう。 山際淳司の初期作品。 江夏の21球を含む名作。 沢木ー山際と続いたスポーツルポライターの系譜はいまはどこにうけつがれるのだろうか? 江夏以外は、これといって有名なスポーツアスリートがでてくるわけではない。 むしろ仕事と競技の狭間でもがいてる姿、周囲からする とたぶん滑稽にがんばってる姿を描く。 《ぼくは何者かになろうと思っていた。 サラリーマンをやっていると、それがだんだん見えなくなるんだ。 子供が大きくなる。 家庭ができてくる。 あ、このままいったらヤバイな、と思った。 何の刺激もない。 面白くもない》 肉体を投げ出した奴は肉体に復讐される。 そういうものなんだ スカッシュというゲームに淫しつつあった。 恐らく、彼の心の中には、誰もがそうであるように仕事だけでは埋められない空洞があるのだ。 最後に山際さんによるあとがき・・・ ぼく自身のことを、ここで語っておけば、ぼくは一度たりとその種の限界に遭遇したことのない、いわば、日常生活者である。 肉体の限界に遭遇したいと夢見ながら、目がさめるとぼくは、哀しいかないつも観客席の立場にいるわけだった。 Posted by ブクログ 2012年11月01日 タイトルは随分前から知っていたのだが。 80年当初に発表されたスポーツ選手を取材した作品。 著者は物故しているらしい。 高校野球の甲子園の延長戦や落球だとか、日本シリーズでの江夏のリリーフとか、何度も似た話を聞いた気がして、食傷気味。 まあ、このノンフィクションがテレビや雑誌のルポのお手本になっている かもしれない。 実話なんだろうけれど、こういう文章にした途端、事実と微妙に違ってしまう気がする。 ランニング練習をやらず、リーゼントの乱れを気にするボクサーの話が面白い。 棒高跳びの日本記録選手。 記録が伸びることが、限界に近づいていくことに繋がる。 厳しい孤独な生活。 表題作。 ラストのスローカーブは、くっきり絵が見えるよう。 この作品が一番良かった。

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