平戸 世界遺産。 世界遺産 教会めぐり【平戸~五島列島~長崎編】|モデルコース|五島の島たび【公式HP】|きれいな画像と動画で五島を紹介

世界遺産 教会めぐり【平戸~五島列島~長崎編】|モデルコース|五島の島たび【公式HP】|きれいな画像と動画で五島を紹介

平戸 世界遺産

平戸・キリスト教の歴史 日本国内で各地の大名が領地を広げようと お互いに争っていた戦国時代 天文19年(1550)すでに海外との交易が盛んだった平戸の港に 日本で初めてポルトガル船が入港しました。 そして時を同じくして 宣教師フランシスコ・ザビエルが 平戸を訪れ、キリスト教を布教し始めます。 キリスト教が広がる 当時、平戸を治めていた 松浦隆信は 交易の上でも良いことだと考え 家臣の 龍手田氏と 一部氏が キリスト教に改宗することを許します。 永禄元年(1558)と永禄8年(1565)に 彼らの領地だった生月島や平戸島西海岸地域の 住民をキリスト教に改宗し 日本における最初のキリスト教繁栄の地となりました。 当時広まったキリスト教と それを信じた信者は 『 キリシタン』と呼ばれました。 キリスト教の弾圧が始まる 戦国時代を終わらせるため 全国統一を進めていた 豊臣秀吉は 天正15年(1587)にキリスト教の宣教師を 国外に追放する法令 『 伴天連追放令』を出します。 しかし、平戸で本格的に弾圧が始まったのは キリスト教に寛容であった松浦氏が亡くなった 慶長4年(1599)からであり 龍手田氏と一部氏は 領地を去らなければなりませんでした。 潜伏し密かに信仰 それまで集落にあった教会堂や十字架は破壊され 人々はお寺や神社を受け入れます。 しかし、キリスタンの信仰も密かに続けられ 『 潜伏キリシタン』と呼ばれています。 家の奥に納戸神と呼ばれる 御神体をおまつりし 『オラショ』というキリシタンの 祈りの言葉を唱えながら 信仰を受け継いでいきました。 歴史的行事の継続 禁教が解かれた後も 禁教時代に密かに守ってきた信仰の仕方を 継続した人たちがいました。 彼らと彼らの信仰は 『 かくれキリシタン』と呼ばれています。 彼らはこの地で 信仰を守って亡くなった先祖と 亡くなった場所を聖地として 崇拝しています。 彼らは今日のキリスト教(カトリック)と異なり 教会を持たず、また禁教時代に取られた かくれキリシタン信仰と仏教や神道を並行して行うスタイルを そのまま続けています。 しかし、かくれキリシタン信仰だけに注目すると 戦国時代から江戸時代の初めにかけて 行われていたキリシタン信仰の姿を 概ね保持していると考えられています。 キリスト教の信仰再び 嘉永5年(1853)ペリーの来航で 日本の鎖国が終わります。 その後、長崎の外国人居留地に建てられた 大浦天主堂に潜伏キリシタンが訪れたことで 日本に長い禁教令時代を耐え キリシタンの信仰を続けた人々がいた事が 広く知られる事になります。 明治6年(1873)には明治政府が キリシタン禁制の高札を撤廃し Sponsored Links カトリックの神父が各地で布教を行った結果 大勢の潜伏信者が合流し 潜伏信者の集落には 教会堂が次々に建てられていきました。 平戸の教会 歴史が長々となりましたが 私が訪れた平戸の教会を紹介します。 カトリック紐差教会 平戸大橋から車で約30分進んだところに カトリック紐差教会があります。 所在地は平戸市紐差町1039 道沿いにあり、駐車場も割と広いです。 明治18年(1885)に当時着任していたマタラ神父が設計し 平戸の信者の協力やフランスの信者の寄付などにより 初代の聖堂 が建設されます。 現在の天主堂はマタラ神父が計画し 鉄川与助の設計施工 により 昭和2年(1927)に起工し、昭和4年(1929)に竣工 同年12月3日に献堂式が行われました。 東洋でも指折りのロマネスク様式の教会であり 内部はアーチやステンドグラスが美しく 船底天井には鉄川与助の特徴である 花柄模様があしらわれています。 また、旧浦上天主堂が原爆によって破壊した後は 日本最大の天主堂と呼ばれていました。 カトリック宝亀教会 先ほどの紐差教会から 平戸大橋方面へ戻る事約2分 狭い道を登っていくと カトリック宝亀教会があります。 所在地は平戸市宝亀町1170 道は狭いですがハイラックスでもいく事が出来ました。 駐車場も数台は停めれるスペースがあります。 カトリック宝亀教会は 平戸で最も古い木造の教会であり 明治31年(1898)に建立されました。 白い漆喰と赤煉瓦のコントラストが 美しい木造教会です。 円形の窓やコウモリが羽を広げ多様の コウモリ天井、教会には珍しい テラスなどが特徴です。 平戸ザビエル記念教会 平戸大橋から市内中心地へ 車で約10分のところに 平戸ザビエル記念教会があります。 こちらの駐車場はかなり広め。 所在地は平戸市鏡川町259-1となります。 平戸ザビエル教会は昭和6年(1931)に 建設された教会です。 正面中央に大塔、左にのみ小塔を配置した アシンメトリーな外見が特徴。 この平戸ザビエル記念教会で有名なものといえば 教会とお寺の2ショット写真。 この写真は 寺院と教会の見える道 から 撮影する事が出来ます。 平戸ザビエル記念教会から 少し坂を下って、お寺の境内を通る道もありますし 教会の裏にあるこの道を進んでも到着します。 左側の塀の道を進みますよ。 田平天主堂 田平天主堂は平戸大橋から 車で約7分のところにあります。 所在地は平戸市田平町小手田免19。 田平天主堂はキリスト教復活後に 信者たちの祈りの場として 大正7年(1918)に完成しました。 設計・施工は 鉄川与助であり 色違いの煉瓦を使った外壁 イタリア製(1階)とドイツ製(2階)の ステンドグラスが美しいです。 この教会は戦時中に兵舎として使用され 米軍による機銃掃射を浴びせられました。 その時の銃弾の跡が残っています。 当時、この歴史を知っていたら是非見たかった… 平成15年(2003)に 国の重要文化財に指定されています。 おわりに 今回は長崎県平戸市にある 教会群を散策してきました。 キリシタンの歴史には興味がありますが 教会の造りはなかなか難しいです。 施設内は基本写真撮影禁止なので 一気に回ると、あとで思い出すときに 教会の内装がごっちゃになったり もう忘れてしまったり… 最後の田平天主堂はミサの都合で 内装を見る事が出来なかったので 機銃掃射の跡と一緒にまた見に行きたいと思います!!.

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平戸・佐世保1泊2日の観光モデルコース

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独自の信仰形態を表す「納戸神(なんどがみ)」がある家屋、棚田、石祠、墓地遺跡、 およびこれらを結ぶ里道から構成されています。 この景観配置はなんと江戸時代からほとんど変わっていないんですって! 棚田の向こうには聖地「安満岳(やすまんだけ)」を望むことができます。 あれっ、教会が見えないようだけど…? キリスト教の禁教期、信徒たちは「潜伏して」信仰を守り続けていたため、 「教会」を作ることはできませんでした。 長崎と天草地方に残る「カトリック教会」は明治以降、 キリスト教が解禁されたあとに作られたものなのです。 ちなみにこの春日地区は、 キリスト教の解禁後もカトリックに復帰せず独自の信仰形態を続けていたため、 集落に教会堂はないのだそうです。 古民家を改装して作られた懐かしい雰囲気の建物は、 母屋と隠居部屋の2つに分かれています。 こちらは母屋の資料コーナー。 世界遺産に関する映像や資料を見ることができます。 観光パンフレットもここでGETしましょう。 潜伏キリシタンが祈りの際に使用していた「オテンペンシャ」、 「お札さま」などの祭器(レプリカ)の展示も。 母屋の案内所には、地元の歴史に詳しいガイドさんが常駐。 売店では、春日の棚田で採れたお米や、手作りのお漬物のほか、 世界遺産グッズも販売されています。 祝福の静かな灯りに包まれた丸尾山からは、 一筋の光が天に向かって延びていました。 所在地:長崎県平戸市春日町166-1 電話番号:0950-22-7020 料金:無料 営業時間:8:30~17:30 定休日:12月31日~1月3日 近くのおすすめスポット! 春日集落から車で15分ほどの距離にある絶景ビーチ! 「死ぬまでに行きたい世界の絶景シリーズ【日本編】」(三才ブックス刊) などでも紹介された、話題の海水浴場です。 遠浅で透き通るような青さは感動的! 平成4年まで潜伏キリシタンの習俗が残っていた 平戸島の西海岸「根獅子地区」根獅子海水浴場の近くにあります。 掲載先の都合や時間の経過により内容が変化する場合がございますことをあらかじめご理解、ご了承ください。 最新の記事一覧• 人気ランキング• 0 comments• 0 comments• 0 comments• 0 comments• 0 comments• 0 comments• 0 comments カレンダー 2020年7月 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 8 9 10 11 12 13 14 15 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ブログテーマ一覧• 516• 127• 124• 192• 138• 115• 237• 455• 154• 344• 210• 2 バックナンバー• 22 Go!Go!ともっち(以下本ブログ)へのコメントの掲載およびトラックバックについては、利用者の自己責任において自由に行ってください。 なお、公序良俗に反する情報やプライバシーの侵害となる情報並びに不適切と思われる情報等につきましては、承諾を得ずに削除することがあります。 本ブログへのトラックバックを実施される場合は、該当エントリーへのリンク設定をお願いします。 スパム防止のための対策となりますので、ご了承ください。 また、コメントおよびトラックバックからリンクしているページの内容に関して、本ブログはいかなる責任も負いません。 リンク先ページの内容に関するお問い合わせは、それぞれのウェブサイトの管理者へお願いします。

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※終了※【長崎】平戸の世界遺産をまわる期間限定の定期観光バス!絶景地を地元ガイド付きでめぐる。最果ての生月島にも渡る

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概要 [ ] 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、250年間の下における厳しい弾圧の中、不在でありながら、のみでを守り通しながらも、孤立せずに一般社会との関わりも持ちつつ 、を存続させるための生き方・暮らし方を創造したことが評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。 経緯 [ ] の伝来と繁栄、禁教令下の潜伏信仰、そして奇跡の復活という、四世紀におよぶに類を見ない布教の歴史を物語る資産として、よりユネスコの世界遺産を目指す運動が始まった(下記「」の節参照)。 長崎県は世界遺産登録を目指すにあたり関係市町と情報共有を図って、保存管理計画の策定や国内外の同じような資産との比較研究などの一体的な取り組みを進め、にが世界遺産候補地を公募した際に名乗りをあげ、(文化財分科会)が正式候補として選定し、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として2007年1月に暫定リストに掲載された。 2007年に「第1回 長崎県世界遺産登録推進会議」、には「第1回 長崎県世界遺産学術会議」が開催され、35の構成資産候補を選定。 OUV(顕著な普遍的価値)の主軸を「東西文化の交流と文化的伝統」と定めた。 推進会議・学術会議はその後も開かれ、の学術会議で構成資産を33さらに29に、の推進会議では構成資産を14に整理することが承認され 、には構成資産を12に統合、2013年に熊本県のが加わり13か所が構成資産となり 、2014年にの物件を2つに分割し14資産で推薦書が作成された。 2013年8月に開催された文化庁文化審議会では「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を同年度中の正式推薦候補としたが 、地域活性化統合事務局の有識者会議では「」が推薦候補とされた。 は、最終的に後者を2013年度の推薦物件とすることを決定し、前者の推薦は2014年度以降に持ち越しとなった。 2014年に文化審議会の世界文化遺産・無形文化遺産部会は、の世界文化遺産登録を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について、ユネスコに推薦する候補に選んだ。 政府は了解を経て、1月に正式な推薦書をに提出、同年9月27日から10月6日には諮問機関である(ICOMOS)の現地調査があり、2016年ので審議される予定であったが、2016年2月初旬にICOMOSが推薦内容の不備を(250年の禁教令時代に特化すべきと)指摘したため、政府は推薦取り下げの上、構成資産の再検討に入ることになった。 長崎県はICOMOSとアドバイザー契約を結び 、からにミッションエキスパートが現地を視察した後に提言を示し 、新たな推薦書内容を検討する「長崎世界遺産学術委員会」がイコモスの助言に従い、以外の禁教明け()以降に建てられた教会について禁教時代にいわゆるが形成したなどに包括し 、法的保護根拠をとすることを決めた。 諮問機関であるICOMOSが推薦国に協力するという形式は国内では初めてであり、審査する側が求める完成度が高い内容の推薦書が作成されたことで登録の可能性がより高まったとみられた。 こうした事例に関して文化庁は、「アドバイスを行ったイコモスの専門家は推薦書提出後の審査には参加せず、利益相反のような状況にはなっていない」という認識を示した。 次いで同委員会は禁教期との関係性が薄いとを構成資産から外すことを提案し、に県と関係自治体が了承した。 に文化審議会は2018年のに向けて、再推薦することを決定。 また、重要文化的景観未選定の大野集落などに対し、文化庁は新たな選定保護を示した。 2017年9月5日から12日にかけて改めてICOMOSによる現地調査が行われ 、2018年5月4日に登録勧告が出されたが原城跡周辺の緩衝地帯の設定範囲について見直しを図るべきとの指摘もあった。 では、ICOMOSと締約国(日本)との協力についても評価され、登録が決まった(2018年6月30日)。 世界遺産委員会での状況 [ ] 2018年6月30日、日本時間の17時30分に始まった世界遺産委員会での登録審査は、ICOMOSから遺産の概要が読み上げられた後、委員国の発言へと移ったが、非キリスト教国も含め「な遺産である」「ヒューマンヒストリーを表現している」の二言が多く聞かれ 、否定的な意見はなく、開始からわずか20分で満場一致で登録が可決された。 直前に審査されたのの景観が登録延期勧告であったものを登録とするために1時間も議論を要したのとは対照的で、今委員会での審査の中で、あるいは近年の日本の推薦物件の審査の中でも迅速な決定であった。 最後に議長からコメントを求められたは「登録は世界へ向けたのメッセージであり、遺産保護のために尽力したい」と英語で述べ、も「今までの日本の世界遺産の中で一番ストーリー性が強い資産である」と述べた。 なお直近に登録された、、などの審査の際に見られた目立ったは行われなかった。 登録をうけて [ ] を掌握するは「地元関係者は独特の文化的伝統を物語る資産として再推薦し、登録へ粘り強く取り組んでこられた。 たゆまぬ努力に心から敬意と祝意を表する。 人類共通の宝である貴重な世界遺産の保護に万全を期し、後世に確実に引き継ぐとともに、その価値を積極的に発信していく」、は「推薦書の取り下げ、資産の見直しという苦渋の決断を経験したが、試練を乗り越えた。 待ち望んでいたこの瞬間を迎えることができ、心からうれしく思う」との談話を発表した。 さらにも「長崎と天草地方に残る潜伏キリシタンの集落。 江戸時代、当時の社会や風土に適応しながら、何世代にもわたり、その固有の文化を引き継いできました。 日本独自の信仰のかたちを物語るものであり、まさに世界に類を見ない人類の遺産です。 これまで保全に取り組んでこられた関係者の方々に深い敬意を表するとともに、世界の宝を大切に守り、その魅力を世界に向けて発信する、その決意を新たにしたいと思います」とのメッセージを出した。 また、()は、「がのを通じて灯したは、の祈りの生活を隠れて維持したの中に息づいてきた」とするの談話を発表した。 この他、潜伏キリシタンの末裔であるが「弾圧した者とされた者、それらの子孫お互いに敬意をはらうことで真の平和が訪れる」、のは「250年間、キリスト教は日本で迫害されたが、そのことで多くの日本人がキリスト教に関心を持ち始めており、潜伏キリシタン遺産を訪ねることでを再発見することになる。 歴史を覚えておくのに建物は重要ではない。 その背後にある物語、それが普遍的な価値を持つ」 とコメントした。 構成資産 [ ] - - - Oura Tenshudo Temple 長崎の手彩色絵葉書(明治)• :( )• の:重要文化財( )と旧出津救助院を含む、重要文化的景観「長崎市外海の石積集落景観」• 外海の:重要文化財( )を含む、重文景「長崎市外海の石積集落景観」• :( )• :重要文化財( )を含む、重文景「佐世保市黒島の文化的景観」• の聖地と集落=( )と( )、重文景「平戸島の文化的景観」• 平戸島の聖地と集落=( )、重文景「平戸島の文化的景観」• の集落跡(野首集落跡・舟森集落跡):( )を含む、重文景「の文化的景観」• :重要文化財( )を含む、重文景「新上五島町景観」• :重要文化財( )を含む、重文景「五島市久賀島の文化的景観」• の(とその周辺):重要文化財江上天主堂( )を含む 熊本県 [ ]• の( )、重文景「天草市﨑津・今富の文化的景観」 分布図 [ ] 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(天草) 緩衝地帯 [ ] 構成資産を取り巻くは大浦天主堂を除き、潜伏キリシタンととの関係(例えばを代用聖具にするなど)を示唆するため、洋上にまで範囲を設定している。 原城跡では城の守りの要となった北・東・南面のを自然の要害として城の一部と見立てている。 出津集落と大野集落は集落西面のを含み、特に出津では浜口地区がであったため、海上を含めることは潜伏キリシタンの生活の一端を捉えることになる。 﨑津集落も漁村であることからの﨑津港全域。 春日集落は浜辺から対岸の生月島を隔てる辰ノ瀬戸に及び、そのまま中江ノ島までを包括する。 黒島の集落・野崎島の集落跡・頭ヶ島の集落・久賀島の集落では島を取り囲む周囲の海洋域が取り込まれ、頭ヶ島では法的保護根拠となる重要文化的景観に基づき(下記「」の節を参照)「」に含まれるの赤尾・江ノ浜・友住地区(いずれも漁村)まで網羅。 江上集落は大串湾全域が指定されている。 ギャラリー [ ]• 特に集落群は、出津・大野・春日・﨑津が17世紀の禁教初期に形成されたのに対し、黒島・野崎島・頭ヶ島・久賀島・奈留島の集落が18世紀以降に潜伏キリシタンが移住して構築された時間差があることに留意が必要となる。 出津・大野で育まれた石積みの技術が野崎島・頭ヶ島・久賀島に伝わり、より精緻なものへと発展し、石造りの頭ヶ島天主堂や久賀島の整備にまで応用された変遷を集落景観の差異として捉えなければならない(春日のにおける石積みは平戸にあった土着の技術とされる)。 なお、黒島・野崎島・久賀島は島全体が世界遺産に登録されているが、頭ヶ島はがある島東部が除外され、奈留島は江上天主堂がある江上集落地区のみの登録となっている。 評価 [ ] イコモスは中間報告の評価として、「潜伏キリシタン集落には現在もその思いを受け継ぐ末裔が暮らしており、としてのの価値があり、集落景観の特徴である石積みが・・の違いによって差異がある点がを反映し、それはそのままを表現している。 また、潜伏キリシタンの移住により石積み技術や・が伝播したことはを表現している」とした。 その上でイコモスは世界遺産委員会の場で推薦書の要点として、「平戸の安満岳や中江ノ島に見られる化」、「黒島のを化するする需要に便乗したしたたかさ」、「がありの聖地であった野崎島へ乗り込んだ大胆さ」、「の療養地()だった頭ヶ島へ渡ってまで信仰を守ったひたむきさ」などを読み上げた。 登録をうけユネスコは、「潜伏キリシタン集落は"形態とデザイン"・"使用と機能"・"伝統技術と管理システム"・"場所と環境"・"精神と感情"によって遺産の価値の信頼性を得ている」と評価した。 登録基準 [ ] この世界遺産はのうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は公表のからの翻訳、引用である)。 3 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 世界の反応 [ ]• …「日本の共同体と西洋の宣教師の遭遇から衝突という歴史的事実の分析は、無形の側面を強化することで神聖な景観となり、現代の東西の実りある対話のシンボルとなる」• …「クリスチャン入植者(開拓者)の初期の活動を反映している」• …「潜伏キリシタンが求めたのは苦痛的なまでの宗教的自由であった。 その迫害された人々を思い出すため、日本国政府と少数派キリスト教徒(註:存続しているカクレキリシタン)による努力がなされた」 、「潜伏キリシタンのの工夫が表現されている」• …「潜伏キリシタンの存在は奇跡で、感動的」• …「(仏教徒と)潜伏キリシタン の共生社会があったことが評価される」• …「日本は不毛の地とされるが、韓国よりも先に殉教の血が流されており 、信仰を守るために命を捧げた殉教者の遺産である」• …「秘密裏に信仰を伝えてきた信徒により育まれた日本的な特有の文化伝統を証言をしている」 特徴 [ ] 国内で被支配層(・)の継続したがある()が世界遺産になるのは以来となるが、集落はそのものが登録されているのに対し、潜伏キリシタン集落はではなくされたやの()といった景観が主体となる初の事例で(但しそこに建つは新しいもののためとはみなしにくい)、春日集落のや石積みのなどが含まれることも初となる(参照)。 これらは・やといった従来のにはない新たな類型で、としては・・・に加え、初めてキリスト教()からの登録になった。 なお、世界遺産としては禁教期の潜伏キリシタンの信仰を具現化したものが対象であるため、禁教明け後もカトリックに復帰せず昔ながらの信仰を保持した「カクレキリシタン」に関しては必ずしも重視されておらず、カクレキリシタン関連を追加登録するならば価値を組み替えなければならない。 また、世界遺産はでなければならないため、としての潜伏キリシタンの聖具や、の口伝承歌「」などは補完資料扱いとなる。 大浦天主堂は敷地背後で明治日本の産業革命遺産の構成資産になっている旧グラバー住宅を含むと背中合わせになっており、異なる世界遺産がこれだけ近接していることは日本の世界遺産では珍しい。 重要文化的景観として [ ] 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の国内保護法令は重要文化的景観だが、世界遺産としてはの適用はうけていない。 そもそも世界遺産推薦時に求められる法的保護根拠を重文景としたのは、文化審議会から推薦に向けた課題として「信仰の基盤となった生業・生活のあり方を継承し、その後の時間的経過の中で変容を遂げた集落および墓地等はじめ、周辺の農地・海域までをも視野に入れつつ、各構成資産の範囲について検討する必要がある」 、と最新のユネスコの指向性や世界遺産委員会の傾向を分析した結果を反映したものであった。 しかし個々の選定内容として、平戸島の文化的景観が「かくれキリシタンの伝統を引き継ぎつつ、島嶼の制約された条件のもとで継続的に行われた開墾や伝統的な生産および固有の生業等を通じて形成された棚田や人びとの居住地によって構成される独特の文化的景観である」と潜伏キリシタンに言及しているものの、黒島の文化的景観では「近世期の牧に起源をもつ畑地やアコウ防風林と石積みによる居住地、属島における生産活動など、独特の土地利用によって形成される価値の高い文化的景観」、野崎島を包括する小値賀諸島の文化的景観は「多様な地形的特徴を示す島嶼間の移動や近隣諸国との流通・往来に基づいて発展した港や居住地等によって形成される独特の文化的景観」、久賀島の文化的景観は「地形条件に応じて形成された集落およびその生活・生業の在り方、また島内に二カ所展開するヤブツバキの自然林はじめ、外海側に発達するヤブツバキ林・集落近傍に自生するツバキ樹とその利用によって特徴づけられる価値の高い文化的景観」、﨑津の文化的景観は「交易や石炭搬出など流通・往来の拠点として、また豊かな漁業資源が集積する漁港としての機能を有する集落が、『カケ』や『トウヤ』といった独特の生活・生業上の施設を伴いつつ成立することによって形成された価値の高い文化的景観」といったように 、必ずしも潜伏キリシタンの信仰や文化を表現するものではない。 このことに関し、世界遺産登録を目指すの登録推進フォーラム(2019年1月27日開催、於:有楽町朝日ホール)において「近年の世界遺産登録の動向」として講演した文化庁文化資源活用課の鈴木地平文化財調査官が直近に登録された潜伏キリシタン遺産を引き合いに出し、「国内法の重要文化的景観が世界遺産相手に通じたことは嬉しかったが、選定内容が潜伏キリシタンの生活文化を直接顕彰していないことを指摘されていたならば危うかった」と実状を紹介した。 追加調査要請 [ ] 世界遺産委員会においてICOMOSから、登録された集落の周辺にあるなどに残る「信仰の」(教会堂跡やなど)について包括的な記録を作成するよう求められた。 例えば久賀島の集落がある久賀島には1996年(昭和44年)頃に廃村となった潜伏キリシタン集落の細石流集落跡があり、禁教期の生活を偲ばせる物証となっている。 こうした埋もれた潜伏キリシタンの痕跡は特に離島に多く残されており、現時点では補完的な目的での指示であるが、将来的には拡張登録への道筋に繋がる可能性もある。 久賀島や奈留島はの対象に指定されており、国が土地の買い取りや財政措置を直接行えることから、調査後の保護に確約が得られる可能性もあるが、法的保護根拠の重要文化的景観はとしての生産景観があることが前提のため廃村の指定は難しく、無縁墓地の継承はでの制約があり、公的整備が困難になる場合もある。 候補から外れた資産 [ ] に民間団体の「長崎の教会群を世界遺産にする会」 が発足し構成資産となりうる候補地49を選定。 その後、推進会議・学術会議が再三にわたり構成資産を検討、2015年の推薦に至るまでに候補から除外されたものがある。 なお、には長崎隣接県の関連資産の調査も行い、候補地絞り込みの際に除外された資産やその他の関係資産(民俗・行事・芸能・資料)を包括した「長崎と天草地方のキリスト教関連歴史文化遺産群」として一体的に保存・継承することとし」 、2018年10月現在133件を選定している。 長崎の教会群を世界遺産にする会が選定した候補(2007年) [ ] 長崎の教会群を世界遺産にする会が選んだ候補は()に建てられたものにまで及び、再建されたものや製のものも含んでいた。 長崎市• 清心修道院• 樫山教会• 馬込教会• 黒崎教会• 太田尾教会• 平戸市• 山野教会• 神崎教会• 浅子教会• 三浦町教会• 平戸教会• 五島市• 楠原教会• 嵯峨島教会• 半泊教会• 貝津教会• 浜脇教会• 水ノ浦教会• 新上五島町• 旧鯛ノ浦教会• 冷水教会• 福見教会• 土井ノ浦教会• 中ノ浦教会 2009 - 2011年時点での候補 [ ] なお、この時点で教会や史跡とは別に集落景観となる重要文化的景観(当時は選定申請中)も単体の候補として扱っていたが、平戸の安満岳・春日集落・中江ノ島と天草の﨑津集落を除き候補地から除外された。 候補とされた天草の「の文化的景観」は2018年時点でまだ重文景の選定に至っていない(大江には文化財未指定だが国内で唯一の潜伏キリシタン隠し部屋が残る旧宅がある )。 また、・・旧伝道師学院は一旦「大浦天主堂と関連遺産」(国の史跡「大浦天主堂境内」と「」)として包括された後に除外され、参考として敷地内併設物扱いとなっている。 長崎市• 旧羅典神学校• 旧大司教館• 旧伝道師学院• 平戸市• 五島市• 新上五島町• 大曾教会• 吉利支丹墓碑• 熊本県• 手取教会• 熊本県天草市• 跡(正覚寺)• 熊本県• 富岡吉利支丹供養碑• 呼子教会• 教会 2018年に向けた再推薦に当たり、長崎県内の以下の2件が候補から外された。 跡(南島原市、国の史跡・ )• (平戸市、重要文化財・ ) テーマの変更について [ ] イコモスによる禁教期に特化すべきとの指摘について、で隠れキリシタンを題材とした『守教』(2017年・)を執筆中で長崎の教会群とキリスト教関連遺産についても取材していたはインタビューの中で、「(日本での)は4000人はおり世界に例のない数だが、迫害の歴史は抹殺されている。 この忘却は世界には受け入れられず、世界遺産登録を巡る騒動(注:禁教期特化指示)がそれを物語っている。 大量の殉教者を出した当の日本が禁教の歴史にどう向き合うべきか分かっていないから、ユネスコに突き返された」と指摘している。 一方で、禁教に至った理由や経緯(やによるのや)についても啓蒙すべきとの意見があり 、「禁教期だけの登録では弾圧史が遺産になり世界から誤解を招くのでは」との不安の声もあり 、潜伏キリシタン遺産を訪ねることは単なるではなくになりかねないとの指摘もある。 上記「構成資産の区分」の節で触れているように、黒島・野崎島・頭ヶ島・久賀島・奈留島の離島集落は潜伏キリシタンが移住して構築したもので、これら後発集落は先住のらと折り合いをつけながら開拓した「」も評価されたことにより、「宗教に寛容な(さがない)日本的風土」()としてユネスコが重視するやを前面に押し出すことになった。 世界遺産登録後の動向 [ ]• 第42回世界遺産委員会において、などに伴うが世界遺産に及ぼす影響の協議が行われたが、世界遺産登録から三日後にと続くにより、旧五輪教会堂と黒島天主堂のなどが割れたほか、原城跡でなどの被害が確認された。 久賀島の旧五輪教会に隣接する通常非公開の(1985年築)の祭壇に祭られたキリスト像の茨の冠が壊された。 上記の項にあるように、廃絶した潜伏キリシタン集落の調査要請を請け、航空レーザー測量に着手する。 江上集落がある奈留島への公共交通である船便(~奈留島~)を運航するが2018年10月2日に突如として全便運休となり 、4日にが始められたことで 、世界遺産観光への影響が生じ 、行政の支援をうけ元従業員らにより同月20日に新会社が設立されたが一路線のみの再開であり引き続き世界遺産訪問の選択肢が狭い状態にある。 原城跡において文化庁に無届けで砂利を敷設した現状変更があり無許可の駐車場と化していたことが明らかになり 、その後砂利の撤去作業が行われた。 黒島天主堂で計画されているにがなく保全状況の悪化が懸念されたが 、その後施行業者が決まり(平成31年)3月14日より2020年度の完了まで見学が制限されることとなった。 2018年~2019年にかけて椿を好むの()が大量発生し、特に椿が多く自生する久賀島では、旧五輪教会がある五輪集落へ向かう山道での観光客の被害が多発している。 2019年()7月に文化庁・文化審議会が平戸市をとして初認定し、平戸市は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」や重要文化的景観「平戸島の文化的景観」を中核とした潜伏キリシタンをテーマとした観光を提唱する。 に伴うアウターバンドがもたらしたによるで(最上級の5)が発令され、続いて同年8月27〜28日には「50年に1度の豪雨」とが形容したによるによりが複数回出され、も出た五島列島において、久賀島では放置されている潜伏キリシタンの旧集落跡で土砂崩れが発生した。 2019年9月11日に発足したでに就任したは小値賀島出身のクリスチャン(先祖は潜伏キリシタン)で、これまでも世界遺産登録活動を応援してきたが 、地方創生相として改めて世界遺産の活用を表明した。 2019年11月24日、長崎に来訪したがミサに潜伏キリシタンの末裔も招き、世界遺産登録を祝福した。 2020年(令和2年)3月、の感染拡大を防止するための政府の呼び掛けに応じ、大浦天主堂が内部拝観を二週間停止するほか、他の教会では信徒のミサも自粛するなどの影響が発生。 2020年3月24日、大浦天主堂周辺が背中合わせの明治日本の産業革命遺産の構成資産・旧グラバー住宅があるグラバー園や重要伝統的建造物群保存地区の南山手ともども(歴史まちづくり法)の歴史的風致維持向上地区に認定された。 2020年7月6~10日にかけてにより原城跡で土砂崩壊が発生。 今後の課題 [ ] 持続可能性 [ ] 2018年5月のICOMOSによる登録勧告において、離島における構成資産となる集落景観保持に関しの懸案が指摘された。 2012年に開催された「世界遺産条約採択40周年記念-世界遺産と持続可能な開発:地域社会の役割」(京都ビジョン)で世界遺産存続のための存在の重要性が確認され 、世界遺産を維持するためにはのが必要であるとされることから、に名を連ねる長崎の離島にとっては深刻な課題となる。 アクセシビリティ [ ] 潜伏キリシタン集落に暮らすが世界遺産に包括された教会へへ出向く際、信徒が年々しており急傾斜地形は足枷となり、文化財指定された教会では化も難しいことから、が課題となる [ ]。 景観保全 [ ] 集落景観という視野的に広い範囲が世界遺産となったため、その景観保全も課題となる。 出津・黒島・頭ヶ島・久賀島・﨑津の各集落はの適用をうけていない。 に接している出津では看板などが目立つが、による規制もない。 美観を維持するため、のように洗濯干しなどにまで注意を払わなければならなくなると、住民生活が不便なものになりかねない(但し﨑津の特徴であるカケでは昔から洗濯干しの場所としての役割もあった)。 集落家屋が文化財指定のではないこともあり改修改築が自由に行えるため、家並み景観の統一感を持たせることに住民の合意形成が必要となる。 その一方で、などは推進されるべきである。 ヘリテージツーリズム [ ] 世界遺産はとなるため今後を含めたの増加が見込まれる。 訪問者が正しい ()をし ()を理解することでは成立するが、潜伏キリシタン関連遺産の主体は集落景観となるためその本質が判りにくい。 多くのやにおいて集落景観ではなく教会建物のを掲載しているが、潜伏キリシタンが切り拓いた改変地形に注視しなければ本質は伝えられない。 しかも、その集落景観に建つ家屋は古民家ではなく、ほとんどがに建てられたでも見られないであるため(潜伏キリシタン家屋が残されていたとしても保存が難しいになる)、なおさら本質が見えにくい。 が前提の世界遺産であるが、潜伏キリシタン関連遺産ではがもつ ()の紹介が重要になる。 観光公害 [ ] ヘリテージツーリズムのようなに伴う弊害としてが上げられる。 構成資産となる集落の多くがもない狭い範囲内の閑静な住宅街であり、そこへ観光客が大挙押し寄せることでやなどが危惧され、さらに生きた信仰の場としての教会でのなど宗教行事に差し障りが生じることを地域住民は懸念している。 ガイダンス施設 [ ] では第5条で「文化遺産及び自然遺産の保護・保存及び整備の分野における全国的または地域的な研修センターの設置」という条文があり、世界遺産近くにガイダンス施設・を設置することを求めており、長崎県では世界遺産センターの設置を検討し、旧跡地・付近・大浦天主堂近辺の3ヶ所を提示。 特に県庁跡地は禁教前に岬の教会(被昇天の聖母教会堂)が建っていた経緯があるものの、文化ホール建設も取り沙汰されているため先行き不透明な状況下にある。 また、潜伏キリシタン遺産は離島を含む多地域に分散したシリアル・ノミネーションのため一箇所に集約した施設を造ることが難しく、当面はとユネスコの指針に従い各資産毎に情報発信ができる既存施設を活用する。 現時点では大浦天主堂敷地内の旧羅典神学校と旧長崎大司教館をキリシタン博物館としたほか、島原に有馬キリシタン遺産記念館が開館、平戸にはがある。 離島区分では長崎県が構想する世界遺産センターのサテライトとして五島観光歴史資料館を整備する方向になっており 、久賀島ではによりが開設された。 ガイド育成 [ ] 潜伏キリシタン集落近くにガイダンス施設が設置されカクレキリシタンの聖具などが展示されたとしても集落の価値には直結せず、集落に立っても新しい家屋が目立ち、教会建築物は世界遺産そのものではない。 そのためにも正しい遺産の解釈を伝えるの存在が重要になる。 それも単なるではなく、やのような存在が求められ、できれば潜伏キリシタンの末裔であることが望ましい。 また、今後海外からのクリスチャン巡礼が増える見込みがあることから、も求められる。 テロ対策 [ ] 日本はアメリカ中心のに関与する有志国連合の一員とみなされ、過激派からはの対象に名指しされていたものの、中立的な仏教国のイメージが先行し実際のテロは発生してこなかった。 しかし、2015年に長崎の教会とキリスト教関連遺産として正式にユネスコへ世界遺産推薦が行われたことにより、キリスト教国の側面が強調され、教会などがテロの標的として浮上したという指摘がある。 世界遺産というシンボリックな教会へのテロは喧伝効果がある。 離島集落に外国人が訪れれば目立つが、団体客に紛れれば接近は容易になることから、テロへの警戒も必要となる。 こうしたことをうけ、地域住民の不安感からの要請もあり、奈留島と久賀島の港にを設置することになった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 初期の潜伏キリシタンが切り拓いた集落は的な要素が強かったが、江戸時代全般を通しての作成が進み実際には隠れ住むことは難しく、完全なも困難であったためとの関わりをもたざるを得なかった• ICOMOSの英文起案書には「accompaniment」とあり、文化財保護法での「附(つけたり)」に相当する。 大野集落は2015年に重要文化的景観「長崎市外海の石積集落景観」の追加申し出を行い、2018年2月13日に追加選定された。 ()の具 正謨は、「世界遺産委員会で使われたヒューマンヒストリーは、「潜伏キリシタンという人間が生きてきた証の歴史」という意味だが、これはヒューマンストリーつまり「人間の生 せい の物語」に置き換えることができる。 信仰を守り抜いた昔の日本人の一途さがバチカンでは評価されている。 そのヒューマンドラマを観ることで遺産の真の価値が理解できる」とした• 黒島の重要文化的景観は潜伏キリシタン入植前から存在する由来のと家屋周りののや石積みによるもの。 また、島内に8つある地区(集落)の内、黒島天主堂がある名切地区を含め大半が潜伏キリシタンだけで切り拓いた景観ではなく、近代化の影響で往時の景観が失われている場所もある。 安満岳は信仰の対象のみならず、春日集落の棚田を潤す河川の水源地であり、焚き木の供給地として重要文化的景観の主題である生業のための基盤としての意味もある。 重要文化的景観は本来は生業の生産空間が主体であるが、最近では生産性の向上や豊穣を祈願する場所(宗教施設)も対象とするようになり、中江ノ島はその典型例と位置付けられる。 重要文化的景観は基本的には現稼働する生産空間の保護が目的であり、「小値賀諸島の文化的景観」も小値賀島においては稼働中のものであるが、野崎島は世界遺産から除外された野崎集落を含め生産活動が終了しており例外的な扱いとなっている。 久賀島の重要文化的景観は島に自生するを活かした暮らしの景観によるもので、潜伏キリシタンが切り拓いた景観ではない。 また島内に14ある地区(集落)の内、潜伏キリシタンに由来するのは旧五輪教会堂がある五輪(外幸泊)地区など10ヶ所に限られる。 では隠匿基督徒・隠性基督徒・隠蔵基督徒など• では日本と同時期にがあり、信徒は根絶した• 緩衝地帯に風景が含まれる事例であれば、(の)や(の西田集落)などでもみられる。 また、を世界遺産に推薦する際、としてが構成資産候補になっていたことがある。 関係のとしては、当初用として造られに転用されたのがある。 実際に潜伏キリシタン遺産の審査が行われたでは、新たに「special cultural or physical significance(特別な文化的または物理的重要性)」という価値観が提唱された。 とは無形の(の流れ・経過)やを有形具現化しているものを指し、その先例として長期間を継承した潜伏キリシタンという世界にも例がない特別な存在が残した集落の意義が認められた(詳細は参照)。 重文景を世界遺産の保護根拠としたのは2015年に登録された明治日本の産業革命遺産の構成資産であるの三角浦の文化的景観が最初の事例であった。 長崎の教会群を世界遺産にする会は民間団体だが、発起人で代表を務めた林一馬はの学長で世界遺産学術会議の座長も務め、会役員も学術会議や推進会議のメンバーと重複し、会としては啓蒙普及活動を担ってきた。 長崎県と熊本県のみ• の旧浦上天主堂被爆遺構や被爆マリア像を加えようとする別の市民運動もあった。 当初、重要文化的景観は(バッファーゾーン)として適用する計画であった。 奈留島へは五島産業汽船と同区間を異なる時間帯でも就航しているほか、がと五島列島を結ぶを、またとしてもある• 長崎市では私設の十六番館資料館が閉鎖したことによりなどの貴重な史料が散逸した経緯がある• 既存施設は潜伏キリシタンそのものを扱っており、世界遺産としての集落に焦点をあてたものではない 出典 [ ]• 2018年6月30日. 2018年6月30日閲覧。 2018年6月30日. 2018年6月30日閲覧。 『よくわかる潜伏キリシタン関連遺産』 潜伏キリシタン研究会()• [ ]• 、 [ ]• (2013年9月27日時点の)、• SankeiBiz 産経デジタル. 2013年9月17日. の2013年9月28日時点におけるアーカイブ。 日本経済新聞 電子版 日本経済新聞社. 2014年7月10日. 2016年10月4日閲覧。 西日本新聞 西日本新聞社. 2016年2月4日. の2016年2月5日時点におけるアーカイブ。 毎日新聞 毎日新聞社. 2016年3月3日. 2016年10月4日閲覧。 朝日新聞デジタル 朝日新聞社. 2016年3月4日. 2016年10月4日閲覧。 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産. 長崎県世界遺産登録推進課 2016年6月6日. 2016年10月4日閲覧。 YOMIURI ONLINE 読売新聞社. 2016年3月25日. の2016年3月27日時点におけるアーカイブ。 長崎新聞. 2018年4月16日. 2018年4月22日閲覧。 2018年5月5日. 2018年5月5日閲覧。 毎日新聞 毎日新聞社. 2016年5月30日. 2016年10月4日閲覧。 時事ドットコム 時事通信社. 2016年7月25日. 2016年10月4日閲覧。 CHRISTIAN TODAY. 2016年7月27日. 2016年10月4日閲覧。 YOMIURI ONLINE 読売新聞社. 2016年7月26日. 2016年10月4日閲覧。 長崎新聞 長崎新聞社. 2016年8月18日. 2016年10月4日閲覧。 長崎新聞 長崎新聞社. 2016年7月26日. 2016年10月4日閲覧。 長崎新聞 長崎新聞社. 2017年9月15日. 2017年9月21日閲覧。 (報道発表、2018年6月30日)• 2018年6月30日. 2018年7月1日閲覧。 2018年6月30日• 2018年7月3日. 2018年7月6日閲覧。 2018年7月2日. 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