万歳 ここ は 愛 の 道。 万歳!ここは愛の道

【タイムフリー/6月23日(日)20時放送】おいしい!たのしい!私の紀州田辺~田辺・弁慶映画祭スペシャル~

万歳 ここ は 愛 の 道

本作は、田辺・弁慶映画祭でキネマイスター賞・男優賞をはじめとする数々の賞を手にした石井達也監督(『すばらしき世界』)の最新作で、記憶を失った恋人の姿を通して真実の愛を追求したセルフドキュメンタリー。 福田監督は、石井監督との関係が原因で心のバランスを崩し、精神病棟に入院していた。 石井監督はそんな彼女の姿をカメラに収め続けていたが、関係が悪化するにつれてカメラを回さなくなっていく。 番組冒頭、石井監督は「映画自体に2人の関係性が密に出ている。 」と話し、言葉を選びながらも、力強い口調で「映画が常に彼女との間にあった。 ずっと自分たちを映画にしたいという想いはあった。 」と当初の想いを語った。 さらに、企画経緯について福田監督は、「(彼は)2人の関係性をもともと、劇映画を企画しようとしていた。 けど、私が記憶をなくしてしまった。 記憶をなくした期間っていうのは彼との生活にまつわるというか、いろんな事件があったから記憶をなくしている。 彼はそれを隠し続けていた。 けど、私は知りたい。 彼(石井監督)は隠したい。 みたいななにかがあって。 それを知りたいと思った瞬間に亀裂が走った。 それを怖くも思ったし、でも面白いことが起きそう(と思った)。 何かを隠されている状況でも、一緒にいたいと思う。 そして、本作に込めた想いについて石井監督は「(この映画は)僕の願望でもあり、僕が過去の彼女に出来なかったこと、ずっと二人の間にあった映画がいつか彼女を後押しするものであったら。 自分達の事象が映画になったということが彼女を後押しできたら。 」と純粋な気持ちを語っている。 被写体として映ることについて福田監督は、「カメラを向けられることに希望を持っていた。 ただ、カメラを向けられると苦しいことも残ってしまう。 それは残酷だなと思う。 それでも、撮り始めた頃はすごい希望があった。 その希望だけは忘れたくないと思う。 」と話すと、石井監督は少し口調を強めて「大丈夫だって言ってやりたかったんですよね。 生 きろとかじゃなくて、大丈夫だって、大丈夫だと言わずに言ってやりたかった。 記憶が抜け落ちていくことはいびつだけど、(彼女の)存在は変わらない。 映画を残すっていうのは俺たちにしかできないことだなと思って。 」と改めて、本作が2人にとってどういったものであるかを強調した。 その上で、映画化し上映されることについて「彼女に対して、救いたい(という気持ちがあった)、彼女個人に対してですけど。 それが映画になるら、まずは彼女1人のために作ろうと思った。 彼女一人のためにつくれば、絶対に人に伝わると思った。 」と語った。 彼女への気持ちを表現することが、結果的に映画を観る人にも伝わるはずという制作時の気持ちを吐露している。 石井監督は上映の経緯について、絶対に自分の表現を貫きたいという気持ちから「企画書も無しで、脚本も見せず映像も全く見せずに上映までいったんです。 『違うよ』とか言われると思った。 そうすると僕がやりたいことができなくなっちゃう。 何を言われても、彼女を撮ります。 それは、フィクション、ノンフィクションではなく、事実です。 と言い続けただけ。 」とコメントし、試写会も行わなかったという。 通常では考えられない上映までの流れだが、田辺・弁慶映画祭セレクション関係者の深い理解があったことも説明し、同映画祭の懐の大きさと、映画へのまっすぐな気持ちを感じさせた。 本編では、ゲストの2人が手がけた『すばらしき世界』『チョンティチャ』についても語られている。 彼女は以前、俺との関係で精神を病み、精神病棟に入院していた。 それもあって彼女にカメラを向け続けていたが、関係が悪化していくにつれてカメラを回すことをやめていた。 翌日、カメラを持って彼女の家を訪ねると、彼女は二年分の記憶を失っていた。 監督自身が、実際に記憶を失くした彼女にカメラを向け、真実の愛を追求するセルフドキュメンタリー。

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田辺・弁慶映画祭セレクション2019

万歳 ここ は 愛 の 道

監督・編集=石井達也• 音楽=斎藤滉平• 出演=福田芽衣、石井達也、大下ヒロト、根矢涼香、伊藤慶徳、小関翔太 ストーリー 2年間交際していた女性から、電話で「私を撮らなかったこと、後悔するよ」と告げられた。 彼女はかつて石井達也監督との関係が原因で心のバランスを崩し、精神病棟に入院していた。 石井監督はそんな彼女の姿をカメラに収め続けていたが、関係が悪化するにつれてカメラを回さなくなっていく。 電話の翌日、カメラを手に彼女の家を訪れると、彼女は2年分の記憶を失っていた……。 記憶を失った恋人の姿を通して真実の愛を追求した石井監督自身のセルフドキュメンタリー。 コメント ドキュメンタリーと劇映画の境界線とは何か? この映画を観ると元々そんなものはなく、そんなカテゴリー分けすら馬鹿々々しく思える。 スクリーンに映し出されたものは昨年の12月からの数か月間、石井監督の回りで起きた出来事をただひたすら撮り続けた映像だけ。 何も臆することなく、何の衒いもなく、すべてを曝け出した裸の石井達也と裸の福田芽衣の二人の愛のカタチがそこに写っている。 しかしその衝撃的な映像は観客に呼吸すら忘れさせ、あるがまま故に鮮烈な印象を脳裏に焼き付ける。 撮り続けることに映像の力を、いや愛の力を感じずにはいられない。 『万歳!ここは愛の道』あっぱれ!! (逹).

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映画 公開予定 万歳!ここは愛の道

万歳 ここ は 愛 の 道

田辺弁慶映画祭の2018年度の優秀作品をセレクトして、テアトル新宿で上映するというシリーズです。 月イチ映画祭で「チョンティチャ」という優れた作品を見て気に入った福田芽衣監督が、実際に2年間の記憶を失ってしまったと聞き、月イチ映画祭で僕があれだけ熱っぽく褒めたたえた事実も忘れ去られたのかとがっかりしました。 でも、その2年間の記憶の空白を描いた映画だということで、夜9時からの上映にかかわらず駆けつけました。 実際は、明日 つまり今日ですが 「チョンティチャ」と二本立てで見る予定だったのですが、席のリザーブがどの程度か覗いたら、なんと初日なのにガラガラだったわけです。 こりゃ、ひとつでも席を埋めてあげなくちゃなるめえと、台風の余波による豪雨予報をものともせず出かけました。 とりあえずお友達のYAS.さんがつきあってくださったので心強い。 で、見たら書いたとおりの内容でした。 福田監督が記憶を失う前から撮り溜めていた映像と、記憶を失って退院してからの映像を組み合わせた という触れ込みの 、ドキュメンタリータッチの作品です。 僕の周囲に記憶を失った人がいないもので 都合よく物事を忘れる人はいます 、その心理的メカニズムに肉薄してくれたらうれしいなと思っていたのですが、とんでも発奮、転んで三分、だらだらとプライベート映像を羅列するだけでした。 バカも休み休みイエ〜イってやつですわ。 もっと映画の本質を勉強してから自主制作しましょうね。 僕が最も気になったのは、「チョンティチャ」にもクレジットされていた福田監督の先輩・井樫彩監督からの伝言です。 もしフィクションとして創作したのなら、創作というものの意味をはき違えているぞと、作り手に言いたい。 二人出会いを育む あるいはケンカして決裂する 生活を具体的にお過ごしください。 他人がどのような暮らしをしようと僕は文句を言いません。 しかし映画で描くとなると、いかなる批判にも耐えなさい。 それが宿命です。 ということで、本日は「万歳!ここは愛の道」と「チョンティチャ」の上映だけで、あいさつはあいさつ程度だそうです。 僕はわざわざ、このシリーズの宣伝を聞くために、午後11時22分まで席に座ってしまいました。 田辺弁慶映画祭でどういう傾向の映画が多くなったかなんてことは、僕には全く関係ない。 関係者内部の打ち合わせですませておいてくれ。 こういうことがあるから、レイトショーなんか行きたくないのです。 mixiユーザー 2019年06月30日 08:37 先輩、ご無沙汰しております。 なかなかの御落胆のご様子に、自主映画出身の我が身として、一言申し伝えようかと思ったのですが何を書いても差し障りが有りそうなので、止めておきました。 いずれかの機会にお伝え出来ればいいなあ、と思います 笑• 僕は自主映画一般について書いたわけではなく、たまたま見たこの作品について書いただけです。 それがそれだけ気を使わせているということは、何か僕とは考え方の違う方向性や意味があるのでしょう。 ここ数年の僕は自主映画をいろいろ見ています。 それは、次世代の可能性を知りたいと思ったからであり、実際に手ごたえ十分な若い映画作家たちに出会えました。 中には世界の数十か国の映画祭で評価された人もいます。 そしてこの映画で取り上げられた福田芽衣監督には大きな期待を寄せています。 そんな福田監督という題材を用いながら、この程度のフェイク・ドキュメンタリーでお茶を濁されてはたまらない、そんな老婆心なのです 爺だけど。 ま、次回お会いしたときにでも、お話をお聞かせください。 2020年• 07月• 08月• 09月• 10月• 11月• 12月 2019年• 2018年• 2017年• 2016年• 2015年• 2014年• 2013年• 2012年• 2011年• 2010年• 2009年• 2008年• 2007年• 2006年• 01月• 02月• 03月• 04月• 05月• 06月• 07月• 08月•

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