ぼくらの7日間戦争 感想。 【中学生向け】夏休みの宿題といえば、読書感想文。僕らの7日間戦争の読書感想文のサンプルを公開

ぼくらの7日間戦争のレビュー・感想・評価

ぼくらの7日間戦争 感想

アニメ『ぼくらの七日間戦争』 あらすじ 舞台は2020年の北海道で、歴史の本に毎日の様に没頭している 鈴原守は、幼馴染の 千代野綾に好意を抱いていた。 夏休みを前にしたある日、 守は隣に住んでいる彼女が、親の都合で東京に引っ越しになることを知る。 玄関先で市議会議員の父と彼女が口論している場面を目撃した 守は、誕生日まで大人に見つからない場所に逃げようと提案する。 少しずつそんな「七日間限定のバースデーキャンプ」への参加者は増えていき、結局学校の仲間6人で山中にある里見石炭工場に立て籠もることなった。 最初はちょっとした遠足気分で上々の彼らだったが、その廃工場には思わぬ先客がいた。 そこにいたのはタイからやって来た マレットという少年で、彼は不法滞在外国人が住んでいたアパートを摘発された際に両親とはぐれ、異国の地で1人ぼっちになってしまったのだった。 当初は、不法滞在の人間を助けて犯罪に加担するのは良くないと反対の論調だったが、 守や 綾は彼を助けようと思い立つ。 そんな時、入国管理局の大人たちが不法滞在者の取り締まりのために工場へとやって来る。 もちろん彼らの目的は マレットを捕らえることだった。 そうして長いようで短い彼らの「七日間戦争」が幕を開けることとなった・・・。 スタッフ・キャスト 脚本が大河内一楼さんなんですね! 監督を務めたのは、 『ドリフェス! 』や 『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』などで知られる 村野佑太さんですね。 この手の作品の獲得は、スポンサーや原作者、脚本家たちの意向のまとめ役・調整役になることも多いと聞きますが、その点では上手くまとめたといっても差し支えの無い内容だったと思います。 脚本を担当したのは、アニメファンであれば知らない人はいないであろう 大河内一楼さんですね。 『ギルティクラウン』や 『革命機ヴァルヴレイヴ』、 『甲鉄城のカバネリ』などの作品で知られており、近年も 『プリンセス・プリンシパル』で高く評価されました。 その他にも 『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』シリーズの撮影を担当する 木村俊也さんや、 『ハイキュー!!』シリーズの音響を担当する 菊田浩巳さんなどが参加しています。 劇伴音楽には、 『未確認で進行形』などで知られる 市川淳さんが起用されました。 また主題歌には Sano ibukiさんが抜擢され、既にユーチューブでも米津玄師さんやBUMP OF CHICKENに似ているということで話題になっているようです。 主演の2人は俳優起用となっているね! 守を演じた 北村匠海さんのボイスアクトはもう安心して聴けますね。 先日公開された 『HELLO WORLD』の演技も本当に見事で、本職の声優に引けを取らない実力でありながら、良い意味で声優っぽくない演技をしてくれるので、本当に素晴らしいと思います。 綾を演じた 芳根京子さんも良かったと思いましたし、やはりメインキャラクターの2人が俳優起用だったことが、登場人物の掛け合いに違ったリズムをもたらせていて、アクセントとして効いていました。 その他にも 潘めぐみさんや 潘めぐみさんなど有名どころが起用されていますが、やはりサプライズなのが 宮沢りえさんの出演ですよね。 彼女はかつて公開された実写版 『ぼくらの七日間戦争』のヒロインだったわけですが、何と姓が「中山」から「菊池」に変わってるんですよ。 かつての映画版を見た人は、あのまま2人は結婚したんだ・・・という感慨深さがありますよね。 より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ! ぜひぜひ劇場でご覧ください! アニメ『ぼくらの7日間戦争』感想・解説(ネタバレあり) アニメーションであるという事実を盾にして C 2019 宗田理・KADOKAWA/ぼくらの7日間戦争製作委員会 この作品はアニメーション映画として作られたわけですが、どうしてもそこに疑問を呈さざるを得ないのが残念です。 まず、これは予告編を見た時から勘づいていましたが、明らかに作画のクオリティが低く、劇場版クオリティに達してしていないのが明白であり、特に激しいアクションもありません。 しかし、止め画で見ても人物作画が崩れ気味ですし、キャラクターの表情やプロポーションも安定していません。 こういう惨状でしたから、当然アニメーションでアッと言わせるような演出もシーンも特にないままに終わってしまったんですよね。 今年公開されたアニメ映画を見ても、 『海獣の子供』『天気の子』『空の青さを知る人よ』などの作品は、やはりアニメーションとしてこの映像を見せたいんだ!という思いがしっかりと伝わって来ました。 アニメだからこそできる演出、アニメだからこそ見せられる映像のダイナミズム、アニメだからこそ出せる映像の質感。 この作品にはそれがないんだよ・・・。 そのためわざわざアニメーション映画にしなければならなかったという必要性をあまり感じませんでした。 ただ、物語的な側面で見ると一応アニメでやる意味はあると思いまして、それは「現実感」を軽減させることだと思うんですね。 かつて同名の作品として宮沢りえさんが出演した実写版が公開されていますが、この作品はあの時代だから耐久性があったとはいえ、今同じことをやろうとすると明らかに時代錯誤の連発です。 そして今回のアニメ版 『ぼくらの7日間戦争』は多くの点で、オリジナル版のエッセンスを残しているので、実写でやってしまうと、どうしてもリアルな感じが出てしまい、物語が浮いてしまっていたと思うんです。 しかし、物語の最大の見せ場である登場人物たちの秘密の暴露大会のシーンは、明らかにアニメーションよりも実写で生きるタイプのシーンであり、本作のアニメーションとしての見せ場にはなっていませんでした。 また、劇中で 守たちが自分たちが大人と戦っている光景をネットに流して、野次馬を集めるという戦略を取っていましたが、これに関連する描写は根こそぎリアルではなかったですよね。 まず、DAY3に動画がネットに上がって、DAY5に 綾の父の秘書によって個人情報が拡散されるという経緯でしたが、今のネット社会でその段階になるまで、個人情報が特定されないということはあり得ないでしょう。 加えて、DAY3で情報がネットに挙げられた時点で、警察がすぐに動かないということそのものに現実感がないですし、その辺りは「アニメだから」で許されているように思いました。 そのため、今回の『ぼくらの七日間戦争』はアニメーションとして見せ場を作ってやろうというよりもむしろ、現実感のない物語や設定への「言い訳」としてアニメというメディアが選択されたような気がして、非常にモヤモヤします。 子どもはアップデートされたが、大人は・・・ 今回のアニメ版 『ぼくらの7日間戦争』について優れている部分があるとするならば、それは子どもの描き方についてでしょう。 宗田理さんの原作の終盤には、こんな一節があります。 「つまり、おとなになったとき、社会の一員として、役立つように仕込むのが教育なのです。 」 「たしかに、それが期待される人間像かもしれません。 」 「これは、おとな優先の発想です。 身勝手とは思いませんか? われわれは一度だって、子どもの目で世界を見たことがあるでしょうか?子どもは大人の囚人ではないのです。 」 (宗田理『ぼくらの七日間戦争』より引用) 原作は、 宗田理さんが「若者に向けたメッセージ」として著した作品であり、そのため非常に子どもが持っている目線、ものの見方に非常に敏感なんです。 だからこそ、本作を現代版にアップデートする際に、子供たちの存在をどうやってアップデートするのか?は非常に大きな問題で、彼らを大人目線でモデリングしてしまうと、若い世代には受け入れがたい内容になってしまいます。 その難しい問題を乗り越えるために、監督は中学生にアンケートをしたり、高校生にインタビューをしたりして今の子どもたちの「リアル」を子供目線で取り入れようとしたんですね。 それが功を奏しており、高校生のリアルな友人関係や悩み、葛藤がきちんと物語に落とし込めていました。 当ブログ管理人の大好きな 『台風クラブ』なんかが公開されていた時代は、「大人VS子ども」の構図が明確でしたし、それが社会の空気でした。 しかし、時代は大きく変わり、今や「大人は敵だ!」なんて謳われていた頃が遠い過去の様で、「大人になんてなりたくない!」と大人に反抗する子供もいなくなってしまったような気がします。 抵抗するでもなく、何となく目の前に敷かれているレールを歩いていたらいつか「大人」になるんだろうと漠然と生きている子供は多いように思いますし、私自身もそうでした。 そのため、本作の舞台となった里見石炭工場には、トロッコのレールが敷かれているわけですが、このレールが彼らの 「大人になるために何となくこれから歩んでいく道」を表象しているわけです。 監督の村野さんは、本作の主人公を高校生に設定したことについて次のように語っています。 そこで、主人公を高校生に設定しました。 高校生は、『もう大人なんだから』、『また子どもなのに生意気なことを言うんじゃない』と、大人の都合で扱われ方がコロコロ変わる、すごく微妙な世代だと思うんです。 でも逆に考えると、『大人』になるか、『子ども』でいるかを自分自身で選択しても良い時代だと思うんです。 () つまり、今回のリメイク版において、主人公たちが戦う「大人」というのは、むしろ内部化された自己そのものであり、抵抗し反抗する物語というよりもむしろ自分自身が選択し、決断する物語へとコンバートされました。 この改変は実に見事だったと思いましたし、今の子どもたちの葛藤をすごくリアルに捉えていたように思います。 そして彼らは自分たちで道を選択し、線路を辿るのではなく、気球で工場から飛び出していきました。 しかし、その一方で大人の描写については、あまりアップデートされたように感じなかったですね。 C 2019 宗田理・KADOKAWA/ぼくらの7日間戦争製作委員会 まず、 『君の名は。 』オマージュなのか何なのかは分かりませんが、親が政治家で子供の生き方を勝手に決めようとするという描写や彼の 「立派な人間とは目上の人間のいうことに従う者だ」というセリフも明らかにアウトオブデイトな印象でした。 今の若い世代は「大人」と聞いて、こんな人を想像しないと思うんだよね・・・。 分かりやすい悪役ではあるんですが、子どもの描写があれだけ見事にアップデートされていたのに、大人の描写は相変わらずで、 「長いものに巻かれるのが大人」みたいなステレオタイプに縛られていたのが残念でしたね。 しかも「大人VS子ども」の構図を 守たちの内面に落とし込んだことも相まって、今回のアニメ版は「大人=綾の父親」といった具合にイメージが集中してしまったのも良くなかったかなと思います。 原作には主人公たちの保護者も含めたくさんの大人が登場しており、多様性が担保されていた一方で、今作はすごく大人というものの解釈が狭くなっていて、その点も時代錯誤に感じられた部分なのかもしれません。 現代的問題を安直に詰め込みすぎたのではないか? やはりここが今回のアニメ版 『ぼくらの7日間戦争』で一番やってはいけないことだったのではないかと感じました。 本作は、LGBTや不法移民、外国人労働者の問題、子どもがSNS に関わることで起きる弊害など様々な現代的な問題を持ち込んでいます。 ただいろいろと詰め込んだために、1つ1つの問題への掘り下げがあまりにも浅くて、雑としか言いようがない状態なんだよね・・・。 まずLGBTについてですが、これは 綾が同級生の 香織に対して思いを打ち明けるという場面で扱われます。 これ単にカミングアウトのシーンで、口走っただけでそれ以上の描写は特に何もないんですよ。 ただ、打ち明けるというだけ。 しかし、こういう描写を描いておきながら、ラストシーンで 守が マレットにキスをされた際に「女だったのかよ!」と口走らせるのはいかがなものなのでしょうか・・・。 明らかに流行りだからとりあえず取り込んでみました程度の掘り下げの仕方だからこそ、最後の最後でLGBTに対して何の思いもないことをポロっと露呈してしまうんです。 そして不法移民の問題はどう考えても軽く扱い過ぎです。 というよりこのテーマは 守たちの物語に持ち込むには、流石に負担が大きすぎるでしょう・・・。 労働のために不法移民を選ぶ マレットの両親のようなケースもありますが、海外では麻薬の持ち込みのためであったり、犯罪組織が不法に国境を越えたりというケースも少なくありません。 もちろん不法移民をはあくまでも「不法」ですから擁護するわけにはいきませんし、かと言ってアメリカでトランプ政権が過剰に弾圧していることで、人権問題に発展していたりもします。 つまり何が言いたいのかと言うと、不法移民の問題は非常にデリケートであり、それでいて複雑なものであり、可哀想だからという単純な感情論で扱える題材ではないのだということです。 目の前の子供を助けなければというシチュエーションで盲目的に、複雑な社会問題を「子供」目線で単純化しようとしたという言い分は分からなくもないのですが、不法移民の描写をこんなお粗末な形で出来てしまうのも、移民の少ない日本特有というか・・・。 そして、個人的に最も疑問符が付いたのが、作中で描かれた動画での彼らの動画の戦いの拡散です。 これただのバカッターだよね・・・(笑) ネット上であのような形で晒されてしまうと、その人の経歴には一生傷がついて回ることとなります。 本作は、SNSを取り入れて現代的な子供の物語にしようとしているのは分かるんですが、あのような形で個人情報がインターネット上に晒されると、その時の誹謗中傷だけでは済まないリスクがあります。 それをこの映画は、最後の宮沢りえさんが演じるひとみの「人生何とかなるもんよ」という発言1つでお茶を濁して、特にその後を描こうとしませんでした。 確かにかつてのSNSがなかった頃の 『ぼくらの七日間戦争』は「何とかなるもんよ」で済んだ時代かもしれませんが、今は決してそうではありません。 自分が犯した罪には責任が生じるのであり、特にインターネット上で拡散されてしまえばその罪を一生背負うことになるのです。 その時代性の違いを描けていなかったのがね・・・。 その重みをあんなにライトな形で背負わせるのが、どうしても納得がいきませんし、描いたのであればそれをどうやって解決していくのかについてある程度示しておく必要があると思います。 このように、現代的な諸問題、諸テーマをふんだんに織り込んだ作品にはなっているのですが、1つ1つの掘り下げがあまり雑で、物語に有効に機能しているとは言い難い内容だったのが、非常に残念としか言いようがありません。 おわりに いかがだったでしょうか。 今回は アニメ『ぼくらの7日間戦争』についてお話してきました。 本作のテーマは「自分の気持ちに嘘をつかない!」というものでしたが、この映画自体が「大人の事情」に左右されまくりな印象を受けるのが、すごく切ないですね。 明らかに『君の名は。 』以後に決まったアニメ映画の企画だと思いますし、主題歌や挿入歌の使い方、その他演出面でも新海誠風にという「大人の圧力」があったんでしょうね。 また、 細田監督の 『サマーウォーズ』や 『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム! 』なんかも意識しているでしょうし、いろいろと「大人の事情」の中で作られた映画であることが透けて見えました。 そんな状況が推察される中で、監督や脚本家は上手くまとめ上げたとは思いますが、いくら何でも80分尺の映画で描き切れる内容ではなかったですね。 あとはやっぱりアニメーションとしての見せ場がこれと言ってなかったのも大きな問題だと感じました。

次の

【ぼくらの7日間戦争】SNSの感想まとめ!名作がアニメーションに!

ぼくらの7日間戦争 感想

監督をつとめるのは、2018年7月放送のアニメ『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』などの村野佑太。 脚本は『プラネテス』『コードギアス 反逆のルルーシュ』などの、大ヒットアニメを手がけてきた大河内一楼。 高校二年生の鈴原守(すずはら まもる)は、インドア派で歴史が好きな、比較的おとなしい性格の少年。 幼馴染である千代野綾(ちよの あや)にひそかに思いを寄せていたのですが、綾は親の都合で、東京への引っ越しを迫られていました。 「せめてキミの誕生日までは一緒にいたい」そう願った守。 勇気を振り絞って踏み出した最初の一歩は『逃げよう』そんな一言。 まだ大人じゃないけど、何もできない子供でもない。 詳しいあらすじの公開はまだ行われていませんが、かつての1988年公開の、宮沢りえ主演第1作、実写版『ぼくらの七日間戦争』とは、時代背景から主人公など、全てが新しく作られたものなようですね。 当時ではなかった現代らしい文化なども登場するでしょうし、特報映像でも当たり前のようにスマホでのやり取りなどが描かれていました。 あらすじの詳細や詳しいネタバレなど、分かり次第追記したいと思います。 原作では中学生達が抑圧する環境や、大人たちと戦争をするということで、体罰で生徒を支配する教師なども登場していましたが、今の時代には難しい設定だったのかもしれません。 しかし、まったく新しい設定とストーリーということは、逆に原作を良く知っている人でも新鮮に楽しめるという利点でもあります。 1985年のオリジナル版「ぼくらの七日間戦争」を見直したい方は、こちらで無料で見ることができます。 \U-NEXTの31日間無料体験登録のみでタダで見られます!/ /無料体験登録も解約もサクッと簡単!\ *本ページの情報は2019年9月時点のものです。 最新の配信状況は U-NEXTサイトにてご確認ください。

次の

【ぼくらの7日間戦争】SNSの感想まとめ!名作がアニメーションに!

ぼくらの7日間戦争 感想

そして、キャラ紹介と共に映画の伴奏曲が流れ始めた瞬間、思わず声を出して笑ってしまった。 いや、さすがに狙い過ぎでしょ... 作品自体は、かなり精密に計算されており、無駄なくコンパクトに、高校生たちの「七日間」の冒険を描いている。 心情描写に併せて天候も動く。 水の描写も美しい。 言い換えれば、新海誠作品の二次創作と言われても気づかない。 それほど、新海の『君の名は』『天気の子』が意識された映像と音楽の設計である。 ここで終われば、文字通り3ケタは製作されたという「新海っぽい」作品である。 ところが、この作品はそれだけでは終わらない。 そこに監督とスタッフの意気込みを感じた。 まず「地方都市に暮らすこと」の圧倒的なリアリティである。 議員と土建屋、都会への憧憬、しかしSNS上ではフラットにつながる同期性、在日外国人の待遇問題。 北海道の限界集落直前の街で、高校生たちが一週間だけ試して戦った解放区の物語。 映像の印象、プロットには岡田麿里の「あの花」な感じが浮かぶ。 しかしアニメ・ドメスティックな作品と違うのは、圧倒的な日本社会のリアリティから救われるのが、在日外国人であることだ。 物語の舞台に選ばれたのは、北海道の赤平と夕張である。 前者は炭鉱街であり、旧・住友赤平炭鉱立坑跡がある。 後者は、言わずとしれた、あの限界地方自治体・夕張市である。 これらの地方都市での暮らしが記号化されることで、視聴者はより圧縮された現実感を印象付けられる。 そして、その大人が感じる閉塞感のリアリティに、祈りと願いとともに光を放つ子供たち。 七日間の戦いは、キレイな終わりを迎える。 リアリティに拘るからこそ、思春期の子供たちの小さな「戦争」が幻想的にノスタルジックに描かれる。 わずか88分という尺の中で「七日間」を割り振るために、徹底的に無駄なくコントラストを浮き彫りにしている。 監督と脚本の妙と言える。 加えて、最後に「宮沢りえ」が、「宗田」ナンバーの車を運転して颯爽と登場する。 親、学校、警察と今後を思って心配する子供たちに、先輩として大丈夫だと語る。 原作以来30年、指輪をはめた彼女は自身の経験から、自分たちの街に足をつけ歩き始める子供たちを励ます。 徹底的な社会のリアリティ、その間隙を縫って光を放つ思春期の子供たち。 彼らの戦いのあとに、中山ひとみ=宮沢りえ本人が現われて「大丈夫」と語る。 宮沢の経歴を見ると、納得してしまう。 思春期の終わりに出したヘアヌード写真集で物議をかもし、婚約解消、男性関係、拒食症でマスコミから追われ、世間から叩かれ、人々に噂されて、一時は活動休止するに至った。 しかし、いま彼女の名を知る人は、押しも押されもせぬ一流女優だと言うだろう。 現実とファンタジー、その境界に立って仕事してきた俳優による励ましで終幕。 大量生産された「新海っぽい」作品かとい思いきや、都市と地方の社会的地図というレイヤーを重ねて、そこに在日外国人の待遇問題を重ねてきた監督とスタッフの意気込みには、正直、恐れ入った。 宗田理への原作リスペクト、また実写映画『ぼくらの七日間戦争』へのオマージュも忘れていない。 しかし、だから「感動した」という話ではない。 たった一週間でも「解放区」を作るために戦う子供たちのように、監督とスタッフは、同作品を「解放区」として視聴者に見せている。 子供たちは大人が廃棄し忘れ去ったもので遊びながら光を放ち、自らを確立し、それぞれの道を歩もうとしている、と。 そんな時代を誰もが持っていたハズだと。 そんな思いが、徹底的に計算し尽くされた上で「新海っぽい」商業的成功を愚直にまで予定調和的に狙って、コンパクトに提出されたのが、本作品だといえよう。 ほぼ原作や映画と同じ時期に生まれたによるウェルメイドな商業作品である。 流行と経済をうまくサーフする作家性とでもいおうか。 その巧さこそが、この作品の小気味よい快感を生んでいる。 では、最後に残る疑問をいくつか。 まず、この作品への十代の反応である。 果たして、 作品の主人公たる世代は、どのように本作を観て、何を思うのだろうか。 そのあたり、非常に興味深いが、不惑の独身男には、中高生と話す機会などないので、そこは不明である。 もし誰か知っていれば、こっそり教えてほしい。 次に、これはオールドファッションな物言いであるが、いわゆる宗教・人文学やら思想・哲学やらの面倒な大人からすれば、この作品で描かれている「青春の自画像」問題を、あまりに「本当のわたし/気持ち」として描くのは、それなりに弊害があるのではないか、と思った。 中高生時分の願いや思いは移ろいやすい。 大人は誰でもそれを知っている。 もっとも、こんな話が判るのは、劇中だと議員の老秘書か、または公務員の現場責任者のおっさんくらいであろう。 このあたり、どれくらいの大人がそう思ったのか、気になるところである。 無論、製作側はこれらも折り込み済みなのだろう。 以上、書いてみれば大変凡庸な感想ではあるが、個人的に、前情報なしで、とくに期待もせずに観たので、かなり楽しめた。 観るものに迷ったら、 観てみると面白いと思うので、オススメです。

次の