精神0 想田和弘。 想田和弘監督『精神0』を“仮設の映画館”でデジタル配信 劇場での鑑賞と同様に収入を分配 /2020年4月8日 1ページ目

仲代達矢が絶賛する想田和弘監督作「精神0」 ベルリン国際映画祭フォーラム部門選出 : 映画ニュース

精神0 想田和弘

com ニュース] 監督の最新作「」が、第70回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に選出されたことがわかった。 日本では、5月上旬の劇場公開が決定。 自ら「観察映画」と呼ぶ、台本を作らずにカメラを回し、ナレーションやBGMなどを排したドキュメンタリーの方法を提唱、実践してきた想田監督。 「」「」などを手掛け、世界の映画祭で注目を浴びてきた。 観察映画第9弾となる「」では、科診療所の患者たちをとらえた「」で出会った医師にスポットを当てる。 突然の引退宣言に戸惑う患者たちの様子や妻・芳子さんとの生活を、深い慈しみと尊敬の念をもって描き出した。 ベルリン国際映画祭に加え、米ニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催するノンフィクション映画の祭典「Doc Fortnight2020」のセンターピース(目玉作品)にも選ばれている。 作品を鑑賞した俳優のは、「素晴らしいドキュメンタリーでした。 愛おしく、やさしい気持ちになり、最後は泣きました」と印象を明かす。 「『』からだいぶ時が流れたことも思い知らされ、は年をとるもんだし、はやっぱり穏やかでいることが何よりだ、と。 資本主義に埋もれた感性に、少しでもこの慈しみが沁みれば良いなあ」とエールをおくった。 想田監督は、「」撮影時に患者たちから神か仏のように慕われ、絶大な信頼を得ている山本医師に興味を持ったことが、本作のスタートだったと語る。 「山本医師のすごさを『発見』したのは、『』の編集を進める過程においてである。 診察の様子を繰り返し観察していると、彼が発する一つひとつの言葉や仕草に、治療的な戦略が隠されていることがわかる。 そして彼のあらゆる行動が、静かで豊かな慈愛の情によって基礎づけられていることに気づかされる。 僕はいつかこの類まれなる医師を主人公にしたドキュメンタリーを撮りたいものだと、漠然と考え始めた」と述懐する。 そして想田監督は2018年に山本医師の引退を知り、撮影を決意。 「山本氏が、医師という地位や看板、役割や生きがいから離れ、一人の『』になったときに、どう生きていくのか。 同じく仕事中毒の僕には、その点が興味津々だった」と心情を吐露。 さらに、撮影を進めていくうちにもう一人の主人公・芳子さんの存在が浮かび上がってきたといい、「この映画は、個人というよりも、夫婦についての作品になっていった。 その結果、本作は期せずして『』についての映画になったのではないかと思っている」とコメントを寄せた。 「」は、5月上旬から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開。 (映画. com速報)•

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仮設の映画館『精神0』

精神0 想田和弘

想田和弘監督作『精神0』が、劇場公開と並行して〔仮設の映画館〕にて、5月2日よりデジタル配信されることが決定した。 新型コロナウィルスの影響によって、相次ぐ新作映画の公開延期、劇場休館が余儀なくされている。 そんな状況を打破するべく、配給会社・東風と想田監督が試みたのが、〔仮設の映画館〕。 『精神0』の公開予定日であった5月2日より、Web上に上映予定だった劇場が並ぶ。 公開終了後などに行われる一般的な配信とは異なり、観客は観に行きたい映画館を選択、その劇場に料金も分配される仕組みとなる。 配給会社・東風は、「いま脅威にさらされているのは、観客、劇場、配給、製作者によってまわっている『映画の経済』です。 (中略)この認識と方法とを全国の劇場、配給会社、製作者、そして映画ファンのみなさんと広く共有することによってはじめて『仮設の映画館』は、持続可能な施策となり、ともにこの非常事態を乗り切ることができる。 そのように考えています」とコメントを寄せている。 想田監督は、「これは劇場、配給、製作、そして観客という『映画のエコシステム』を守るための苦肉の策です。 (中略)『仮設の映画館』でご覧いただいた皆さんも、お近くの劇場に足をお運びいただきたい。 そしてオンラインで観るのとは全く別の経験をして、改めて『映画館っていいもんだなあ』と、実感していただきたい。 感染リスクを気にすることなく、トークイベントなども思い切りふんだんに実施したいと考えています。 やはり人間には『集う』ことが必要なのだと、集うことが自由にできなくなった今、切実に感じています」と胸の内を明かしている。 東風、想田和弘のコメント全文は下記の通り。 配給会社・東風 ご承知のように新型コロナウイルスの影響は、映画にとっても甚大です。 劇場が休館を余儀なくされたり、たとえ上映を続けていても観客が安心して鑑賞することができなければ、いずれは劇場だけでなく配給会社も製作者も閉館や廃業ということになりかねません。 いま脅威にさらされているのは、観客、劇場、配給、製作者によってまわっている「映画の経済」です。 では、新作映画を楽しみにしている観客、劇場、配給、製作者、みんなにとって何かよいことができないか。 新作『精神0』の公開を控えた想田和弘監督と配給会社東風のスタッフで相談しました。 そこで予定していた劇場公開と並行して、インターネット上に「仮設の映画館」をつくってみることにしました。 ここには『精神0』を上映する各地の劇場が軒を連ねています。 観客は、どの映画館で作品を鑑賞するのかを選ぶことができます。 そして、その鑑賞料金(1,800円税込)は「本物の映画館」の興行収入と同じく、それぞれの劇場と配給会社、製作者に分配される仕組みです。 これは、新型コロナウイルスの脅威によって停滞している「映画の経済」を回復させるための試みの一つです。 そして、この認識と方法とを全国の劇場、配給会社、製作者、そして映画ファンのみなさんと広く共有することによってはじめて「仮設の映画館」は、持続可能な施策となり、ともにこの非常事態を乗り切ることができる。 そのように考えています。 『精神0』の「仮設の映画館」での上映期間は全国一斉、5月2日(土)〜5月22日(金)の3週間を予定しています(「本物の映画館」と同じく、ヒットしたら延長されるかもしれません)。 さてまずは最寄りの劇場へ。 そして、たまには懐かしい街の劇場を訪ねてみてください。 もちろん状況が改善したら、ぜひ「本物の映画館」に足をお運びください。 ここはあくまで「仮設の映画館」です。 想田和弘監督 新型コロナウイルス禍が深刻化するなか、映画を劇場で観て下さる方の数が激減し、全国の映画館が存続の危機に立たされています。 特に拙作が上映されるような、単館系ミニシアターの窮状には、のっぴきならないものがあります。 「封切ったばかりの新作なのにお客さんが 1 日で0だった」「このままでは劇場の家賃や人件費も払えないので廃業するしかない」といった悲鳴が聞こえてきます。 だからといって、「皆さん、ぜひ映画館へ足を運んで応援を!」と積極的にお勧めできないのが、今回の危機の辛いところです。 もちろん、厳しい換気基準をクリアした映画館で映画を鑑賞する行為は、消毒の徹底やマスクの着用、人数制限などを徹底すれば比較的感染リスクは低いと言われています。 それでも、映画館とご自宅の移動中のリスクなども考え合わせると、推奨しにくいのが現実です。 5月2日から僕の新作『精神0』も全国順次公開予定なのですが、正直、家族や友達にさえ「映画館に来てね!」とは言いづらい自分がいます。 それが本当に辛い。 特に高齢の親には言い淀んでしまいます。 したがって映画の製作者としての立場だけを考えるなら、公開を 1 年くらい、思い切って延期してもらいたいというのが本音です。 ウイルスを移し移されることを気にかけることなく、安心して映画を鑑賞いただくには、それが最良ではないか。 『精神0』の配給をしてくれる東風の皆さんにそう提案し、連日頭を突き合わせて議論してきました。 しかし公開を延期する方法には、大きな問題があります。 もしすべての映画製作者が作品の延期を決めてしまったら、映画館は当面、いったいどうなってしまうのか。 急場をしのぐために旧作を慌ててかき集めて上映を細々と続けるか、休館するしかなくなるでしょう。 コロナ禍が長引けば、ほとんどのミニシアターは廃業せざるをえなくなるのではないか。 つまり1年後に『精神0』の公開を延期したとしても、そのときには上映できる映画館が全滅した「焼け野原」になっている可能性すらあるのです。 もちろん、日本政府や自治体が休館中の映画館の家賃や人件費の補償をしてくれるなら別です。 しかし残念ながら、行政が本来取るべきそのような動きは、今のところ見受けられません。 相変わらずの無策には本当に腹立たしい限りですが、正直、行政に対して文句を言っている暇やエネルギーすらない緊急事態です。 私たち映画人や映画愛好者は知恵を振り絞り、なりふり構わず助け合って、なんとかみ・ん・なで生き残るすべを模索するしかありません。 つまりデジタル配信です。 といっても、これは劇場公開の後に行われる通常の配信とは仕組みが異なります。 観客の皆さんには、最寄りの映画館の特設ページに行っていただきます(東京圏の方は渋谷シアター・イメージフォーラムのページへ、岡山の方は岡山シネマクレールのページへ)。 そして映画館で映画を観ていただく代わりに、オンラインでご鑑賞いただきます。 料金は劇場で観ていただく一般的な当日料金の1800円です。 お支払いいただいた1800円は、通常の劇場公開の場合と同様の割合で、映画館と配給会社、製作者に分配されます。 3人のご家族でご覧いただく場合には、3回ご購入していただければ本当に助かります。 もしこれがうまく機能すれば、映画館だけでなく、配給会社や製作者にも、通常の劇場公開を行った場合と同程度の収入が見込めます。 そして『精神0』以外の作品でも同様のことが行えれば、たとえリアルな映画館が一時休館せざるをえなくなっても、収入の道が確保できます。 したがってコロナ禍が過ぎた後、劇場・配給・製作の三者が生き残っている可能性が高まります。 もちろん、このような方策に舵を切ることに、映画作家としてためらいもありました。 それは配給会社や映画館も同じ気持ちです。 僕らは常に映画館で観てもらうためにこそ、映画を作ったり届けたりしてきましたから。 本来ならば、満員の映画館でワイワイガヤガヤ、『精神0』を観ていただきたいのです。 しかし現在は非常時です。 人が集まることや、公共交通機関で移動すること自体が感染拡大リスクを高めると言われている今、そして観客の皆さんが実際に劇場に来にくくなっている今、緊急避難としての代替方法も考えなければなりません。 ここはインターネットを最大限に活用し、しのぐしかないのだと覚悟しています。 少なくとも座して死を待つつもりはありません。 『精神0』に関するインタビューや対談も、すべて対面ではなくビデオ通話に切り替えました。 観客の皆さんのなかには、インターネットに接続されていない方もおられることでしょう。 あるいは、オンライン配信の手続きを自力で行えない高齢者の方もおられることでしょう(うちの親などには無理なような気がします)。 そんななか、地域や映画館によっては、感染拡大状況を確認しながら、「仮設の映画館」と並行して劇場を営業する映画館もあるでしょう。 それは各劇場の状況判断におまかせする所存です。 いずれにせよ、これは劇場、配給、製作、そして観客という「映画のエコシステム」を守るための苦肉の策です。 ぜひとも趣旨をご理解いただき、積極的にご参加・拡散いただけると幸いです。 『精神0』は、ベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞しました。 審査員からは「人間が持つ力と愛する者へのケアの価値を描いた感動的な映画」と評していただきました。 この時期だからこそ観ていただきたい作品です。 コロナ禍が収束したあかつきには、本物の劇場で『精神0』を改めて公開することを目指しています。 そしてオンラインで観るのとは全く別の経験をして、改めて「映画館っていいもんだなあ」と、実感していただきたい。 感染リスクを気にすることなく、トークイベントなども思い切りふんだんに実施したいと考えています。 やはり人間には「集う」ことが必要なのだと、集うことが自由にできなくなった今、切実に感じています。 コロナ禍が終わり、皆さんと実際に安心してお会いできる日が来ることを、楽しみにしております。 さらに配給会社と製作者とで分配します。 なお上映を予定していた劇場が事情により休映、休館した場合も「仮設の映画館」では続映し、その収益の分配の対象となります。 鑑賞期限(予定):レンタル購入から24時間以内/ストリーミングのみ、ダウンロード不可。 7 現在。 今後増えていく予定) 『精神0』配信期間(予定):全国一斉、2020年5月2日(土)10:00〜2020年5月22日(金)21:00まで(延長の可能性あり) ロゴデザイン: 「仮設の映画館」ロゴは、この試みに賛同してくださった、ミニシアター系映画の宣伝美術を数多く手がけるデザイナー・成瀬慧(なるせ・けい)氏からの贈り物です。 公式サイト:www. temporary-cinema.

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精神0 想田和弘

私は、ドキュメンタリーがもともと好きである。 そして、劇的な効果や編集、取材意図が過剰に支配する作品よりも、偶然、見えてくるものに引き付けられる。 ドキュメンタリー映画と言っても、実にさまざまで、フィクションではないにしても、事前の打ち合わせや演出次第で、かなりドラマチックになる。 その点、事前のリサーチ、打ち合わせをせず、定点観測を深くしていく想田監督の作品は、私の好みに合っている。 私がとても好きなNHKのドキュメンタリー、「ドキュメント72時間」とも通じている。 ただ、予定調和を排しながらも、想田監督の作品には、作家性が強く出ていると思う。 だらだら撮影するわけではない。 カメラの前の事実に対して、想田監督が「選択」をする。 何にフォーカスするか。 ズームアップするか、引くか。 追いかけるか、追いかけないか。 撮影していく中、カメラの前で起こる偶然の出来事、明らかになっていく事実への想田監督という一人の人間の観察がある。 想田監督は人間的で優しく、その視線には愛がある。 そして、その作品を見るときの私たち一人一人も、映画の中で起きる出来事を観察する。 そこに見えてくる、とても生々しい現実。 必ずしも事件や悲観的な出来事を撮影しているわけではないのに、その人間が背負っているもの、世界が直面していること、社会の今が見えてくる。 懸命に生きている人間の姿があり、そこに普遍性があり、愛おしさを感じずにはいられない。 私は、今回の作品と同じ取材対象を扱った2008年のドキュメンタリー映画「精神」(2008年)も見ていない。 このとき描かれた精神科診療所の医師、山本昌知さんは、「精神0」の中で82歳となり、現役引退を決めた。 「精神0」は、そんな山本医師を追ったドキュメンタリーである。 映画の前半は、診療所で老医師の引退を惜しむ患者とのやりとりが延々と続く。 退任記念の講演会には、多くの聴衆が集まる。 患者や関係者が引退を惜しむ場面から、山本医師がいかに患者に寄り添い、信頼され、慕われていたかが分かる。 ふと、その流れの中で、高齢女性が玄関を開けられなくなるシーンがある。 山本医師の奥さん、芳子さんである。 やがて、心の中にさざなみのようなものが起こるのを感じる。 奥さんはほとんど言葉を発しない。 表情も相手の言葉への反応も乏しい。 自宅では、台所やダイニング、応接間などの片付けができず、全てが雑然と散らばっている。 映画を見ながら、ふと、今年1月に亡くなった自分の母の記憶がよみがえってきた。 認知症で、最後の何年間かはグループホームにいた。 山本医師の妻が認知症かどうかは映画の中で示されないが、表情の乏しさや、コミュニケーションの不具合、家事ができなくなった状態に、私が母の認知症に気づいた頃のことを思いだした。 映画では、途中、前作「精神」の中の生き生きとしている芳子さんの姿がモノクロ映像として挟まれる。 映画の中ほどに映された武者小路実篤の詩「この道より我を生かす道なし」が、山本医師の今を伝えている。 精神医療に身を投じた山本医師の道は続くのである。 山本医師は、元気な頃に自分を支えてくれた妻に笑顔で、静かに寄り添っている。 妻と手をつなぎ、手と手を重ねる。 可能な限り、妻の手に自分の手をからめて、互いの温かみを感じあっている。 想田監督は、「純愛」についての映画になったという。 確かにそうなのだ。 そうして、私はまた思い出した。 亡くなる少し前、40年も前に亡くなっている自分の夫(私の父)がまだ生きているように話してくれた母のことを。 「精神0」の「0」は何を意味するのだろうか。 いろいろな解釈ができるが、私は、精神の無垢な、最も本質的なもの、病んでもなお尊く、そこにある芯のようなものだと勝手に解釈した。

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