古今著聞集 口語訳。 口語訳お願いします。「古今著聞集」です。和泉式部、保昌が妻にて丹...

古典への招待 【第35回:物語・説話と説話文学】

古今著聞集 口語訳

| | | | | 今昔物語集を読む:現代語訳と解説 今昔物語集は、平安時代末期に成立した説話集で、全三十一巻、併せて千二百余の説話を収めている。 そのいづれも、原則として、「今昔」ではじまり、「トナム語リツタヘタルトヤ」で結んでいることから、「今昔物語集」と呼ばれるようになった。 もっとも鎌倉時代の半ば頃までは、「今昔物語」と呼ばれていたようである。 今昔物語集に収録された説話の中には、「宇治拾遺物語」と共通するものが結構ある。 「宇治拾遺物語」はまた「宇治大納言物語」との共通性が指摘される。 そんなことからこの三者を、宇治大納言源隆国と関連付ける意見もあるが、今日では否定的に受け取られている。 もっとも内容的には共通なものが多いのは事実で、それらを特徴づけると、因果応報、生者必滅、会者定離といった仏教的世界観が濃厚なことである。 今昔物語集の撰者は、はっきりとはわかっていないが、その表現能力からして、貴族社会の一員ではなく、大寺に所属する無名の僧だったのではないかと思われる。 無名の僧とは言っても、相当の教養はあるわけで、でなければ今日に至るまで多くの読者をひきつけることはなかったであろう。 しかも、文学作品として読んでも面白い。 芥川龍之介や谷崎潤一郎が、今昔物語集の説話からインスピレーションを受けて、小説を書いたことはよく知られている。 今昔物語集の説話の面白さは、事実を淡々と、誇張なく描くことにあり、簡潔な表現のなかから、具体的な出来事がありありと浮かんでくるようなところにある。 美辞麗句を排して、論理的に積み上げていく文章が、ある種のリアリズムの力を以て、読者に迫ってくるようなところがある。 それがこの説話集の生命というべきものだ。 しかもその簡潔で論理的な文章が、書き手が読み手に向って呼びかけるような説話固有の口調とあいまって、独特の調子の文体となっている。 その独特の文体がこの説話集に共通の性格を付与しているのであるが、語られる説話の内容は多岐にわたっている。 その多岐の説話を、大きく三つに区分して収録している。 巻一から巻五までは天竺の部、巻六から巻十までは震旦の部、巻十一から巻三十一までが本朝の部である。 本朝の部はさらに、仏法にかかわる部分(巻廿まで)と世俗的な部分(巻二十二以降)とにわかれている。 説話として面白いのは、主として本朝世俗部のものであるが、それ以外のものにも面白いものはある。 このサイトでは、今昔物語集の本朝世俗部からとりわけ面白い話数十篇を取り上げて、テクストの現代語訳と簡単な解説を付した。 今昔物語集は、今に生きる日本人にも、尽きせぬ興味の源泉である。 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2015-2018 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである.

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古今著聞集 口語訳

質問一覧• 口語訳しなさい。 という課題が出たのですが、現代語訳しか出てきません…。 口語訳と現代語訳の違いも調べたのですが高校の教育においては同じらしい ? ので、現代語訳を書こうと思っているのですがそれで良いのでしょうか... 古今著聞集の六九〇〜六九一まで 役ができる方が居ましたらよろしくおねがい致します。... 口語訳には「うまいことを言われてしまった」となっていてどうしてこの訳になるのかわかりません 品詞分解お願いします... 〜大番役に上りける時のことなり。 です! 緊急です!お願いします!!... 写真は原文です。 同じ質問をしてすみません。... 出ましたらその中の「486段」を探してみてください。 執心のふかきゆゑにふたたび馬に生まれて志をあらはしける、いとあはれなり。 というところまでの口語 訳を教えてください。... 歌を納受ありけるにや。 の口語訳をお願いします。 出来ればきちんとしたものでお願いします。...

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宿題の口語訳をお願いします!!古今著聞集このむつるの兵衛の尉、懸矢をは...

古今著聞集 口語訳

鎌倉時代前期の1254年頃、下級役人を務めていた橘成季(たちばなのなりすえ)が編纂した『古今著聞集』。 民話や伝説など人々の間で伝承されてきた物語を集めた説話集です。 20巻30篇726話からなる大作で、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』とともに「日本三大説話集」に数えられています。 収録されている説話は、「篇」と呼ばれるジャンルごとに分類されています。 神や仏について語られている「神祇」「釈教」、公的なものに関する「政道忠臣」「公事」、文化に関する「文学」「和歌」「管絃歌舞」、笑い話や不思議な話を含めた「興言利口」「怪異」「変化」、自然に関する「草木」「魚虫禽獣」など多岐にわたっているのが特徴です。 各篇の冒頭には、説話の起源や要約が書かれ、まとめられている説話も年代順に配列されているなど、百科事典のような側面もあります。 このことから、鎌倉時代や平安時代以前の日本の世俗を伝える資料としても重宝されているのです。 編纂者である橘成季は、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経(よりつね)の父である九条道家に仕えていた人物です。 官職を引退した後に、『古今著聞集』の編纂に取り組みました。 収録されているさまざまな説話は、平安時代に公卿を務めていた藤原頼長の『台記』、藤原宗忠の『中右記』などの日記、平安時代の説話集『江談抄(ごうだんしょう)』などの記録を調べたうえで、各地を訪ね歩き、人々から聞き取ったものだとされています。 鎌倉時代のものよりも王朝時代のエピソードが多く、これは橘成季が古い時代の文物や制度を尊ぶ「尚古的」思想の強い人物だったからだそうです。 貴族の名家である橘氏に生まれ、琵琶や絵画にも精通していた成季。 武士の世である鎌倉時代を「末代」「世の末」と批判的に見ていたことが表れていると考えられるでしょう。 『古今著聞集』はもともと、優雅な物語を収集して絵にまとめようとしていたものでした。 ただ取材をするうちに興味が広がり、民間の伝承や猥雑な話も含めた説話集になっていったとされています。 『古今著聞集』の「刑部卿」の歌を、本文、現代語訳つきで解説 では、『古今著聞集』に収録されている説話のなかでも有名な「刑部卿敦兼と北の方」に登場する歌について解説していきます。 本文 「ませのうちなる白菊も 移ろふ見るこそあはれなれ われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか」 現代語訳 「垣根の内にある白菊も、色褪せていくのを見るのはしみじみと心打たれる。 私が通って結婚した人も、同じく枯れるように私の心から離れていってしまった」 ではこの歌はどのような状況で詠まれたのでしょうか。 流れを見ていきましょう。 物語の主人公である敦兼(あつかね)という人物は、とても醜い容姿をしていました。 彼の夫人は綺麗な人で、ある日、自分の主人が醜いことを不愉快に思うようになり、家では口をきかず、目も合わせなくなってしまいます。 さらには同じ空間にいることさえも嫌がるようになり、2人は家庭内別居状態になってしまいました。 ある日敦兼が仕事から帰って来ると、夫人だけでなく家に仕える女房たちも姿を見せません。 敦兼が服を脱いでも、畳んでくれる人もいません。 これは、夫人が女房たちに敦兼の世話は何もしなくていいと目配せをしていたからなのです。 どうしようもなくなった敦兼が、部屋の戸を開けてひとりで物思いに耽っていると、夜が更けて、あたりは静まり返り、月の光や風の音などのひとつひとつが身に染み入ってきました。 心を静め、篳篥(ひちりき)という管楽器を演奏しながら、歌を詠みます。 ませのうちなる白菊も 移ろふ見るこそあはれなれ われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか」 するとこの歌を聞いた夫人は、出会った当時の頃を思い出したのか心が元に戻り、夫婦仲も良くなったそうです。 『古今著聞集』「ある所に強盗入りたりけるに~」の説話から学べることとは 『古今著聞集』に収められている説話のなかには、ユーモラスなものも多くあります。 なかでも有名なのが、「ある所に強盗入りたりけるに~」という書き出しで始まる第12巻の「弓取の法師が臆病の事」。 では内容を紹介していきましょう。 あるところに、強盗たちが押し入りました。 仲間である法師に門前で見張りをさせます。 法師は門のそばで弓に矢をつがえて周囲を警戒していましたが、季節は秋で、門の傍らには柿の木があり、熟した柿が法師の頭の上に落ちてつぶれ、飛び散りました。 法師が慌てて頭を触ると、ぬるぬるしていたのですっかり気おくれしてしまい、矢で射られたと思い込んでしまいました。 そして法師は近くにいた仲間に、「やられた。 この深手では逃げ切れないからいっそのこと首を切り落としてくれ」と頼みます。 驚いた仲間が「どこをやられた」と聞くと、「頭だ」と答えます。 仲間が法師の頭を触って確認すると、たしかにぬるぬるして、手に赤いものも付きました。 確かに血だと思いつつ、「そんな様子ではたいした怪我ではないだろう。 なんとか連れて行ってやるから」と肩を貸そうとしますが、法師は聞き入れずに「いやもう助からない。 早く首を切ってくれ」と言い張るのです。 仲間は仕方なくその言葉に従い、首を切り落としました。 仲間が首を包んで山和の国にある法師の家を訪ね、事情を説明して首を渡すと、妻子は泣き悲しみながら布をほどき、首を確認します。 しかし、どこにも矢の傷がありません。 妻が「うちの人は、胴に傷を負ったのですか」と尋ねると、仲間は「そうではない。 しきりにこの頭のことを言っていた」と答えます。 妻子は、乾いた柿がこびりついた首を見ながら悲しみますが、もはやどうしようもありませんでした。 法師といえば、平安時代末期の後白河法皇が「自分の思うようにできないもの」として、「鴨川の水害」「双六の賽の目」「比叡山の山法師」と並べるほど荒くれものとされていました。 しかしこの説話に登場する法師は、臆病だったばかりにつぶれた柿の汁を血だと思い込み、命を縮めてしまうのです。 確かに感触は似ているかもしれませんが、よく見れば色も違うでしょうし、そもそも矢が刺さった痛みがないことに気づいていればこんなことにはならなかったはず。 「臆病は命取り」というのが、この説話の教訓になっています。

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