やはり エジプト か。 古代エジプト

出エジプト記の内容

やはり エジプト か

どのようにして人類史上最も素晴らしくミステリアスなエジプト・ギザの大ピラミッドが建築されたのかという問いに対し、やはり別の星から来た宇宙人が手助けをしたと陰謀論者たちは主張する。 ギザの大ピラミッドは世界の七不思議で唯一現存する建造物で、歴史家ヘロドトスの紀元前5世紀に書かれた『歴史』に報告された時点ですでに建設から2000年経過していたと記載がある。 エジプト学者たちの中には、先進技術を利用したからこそ70トン近い重さのブロックを使って数学的に美しい黄金比で石の構造物を作り上げることができたのではないかとの述べている者もいた。 クフ王の大ピラミッドで使われているブロックの成分はほとんどが石灰岩や花崗岩で、石灰岩は現地から取り出したものだが、70トン以上の花崗岩は500マイルも離れた場所から引っ張ってきたものだ。 そうやって苦労して作ったブロックを傾斜路を使って搬入していたようだが、それらの配置はまだ謎のままだ。 地上から作業場まで長い傾斜路を建物のいたるところに作ったという者、傾斜路はピラミッドの外を囲うように螺旋状に作られていたという者、はたまたピラミッドは内側から作られたかもしれないという者など、その説はバラバラだ。 2016年、ドキュメンタリー番組ナショナルジオグラフィックは「エイリアンと失われた世界」の中で、なぜ陰謀論者たちはエイリアンが大ピラミッドの建設に関わったと考えるようになったのかをテーマに番組を放送した。 類まれなる力を持つ女性リッサ・ロイヤルさんはエイリアンが古代遺跡を作ったことを知っていると言う。 ナショナルジェオグラフィクによるとロイヤルさんは銀河間霊媒師であり「サシャ」と呼ばれている宇宙人と霊的に繋がっているというのだ。 リサ・ロイヤルさんと霊的繋がりがある「サシャ」は何十億マイルも離れた場所に住んでるが「その反応は良好」だそうだ。 するとドキュメンタリー中に彼女は催眠にかかったような様子で「私はサシャ」だとい言い出し、こう続けた「こんにちは、サシャです。 あなた方と共にあることに喜びを感じます。 そして、このことに興味を持ってもらえてワクワクしています。 地球人とこうして繋がる目的は、平和と愛と喜びのため」と。 インタビュアーがサシャに対し誰が大ピラミッドを作ったのかを尋ねると、サシャは「古代の祖先が地球に行き、定住できる場所をさがしていた。 その遺跡は実質的な科学的目的をもって宇宙人が作った」と答えた。 古代地球に、エイリアン宇宙飛行士が地球を訪れていたと主張したことで世界的に有名になったスイス人作家のエリック・フォン・デニケン氏も、宇宙人がこの古代遺跡の建造を手助けしたと主張する。 デニケン氏は「全ての古代遺跡は宇宙人に敬意を表して人間が建造したものだ。 但しその土木技術や一部の道具は宇宙人から提供されたものである可能性がある。 」と語った。 別の言い方をすれば、人間は知力を必要としない下働きをしたのだ。 もし宇宙人がここに来ていたら、彼らは自分たちが存在したという証拠を残していっているだろう。 その証拠はピラミッドの内部にこそあるのかもしれない。 ピラミッドを単なる巨大なブロック建造物だと考えるのは簡単だが、実際はそれ以上に素晴らしいものだ。 その建築そのもの以上に驚きなのが、建造物の細部だ。 ピラミッド建築プロジェクトは計り知れないほど大きなもので、クフの大ピラミッドを完成させるには20,000人の労働者が動いて約20年かかったと推測できる。 当時の人たちがこれを完遂をさせるのにとても苦労しことは想像できるだろう。 やはりこの巨大建造物は宇宙人の叡智によって建てられたものなのか? いつかこの議論に終止符が打たれる日がくるのはくるのだろうか・・・。 【】 , , , , , ,.

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催行停止中エジプトの現地オプショナルツアー

やはり エジプト か

「エジプトは経済危機のため古代の埋蔵品の研究はおろか、博物館を維持する余裕さえない」と、考古大臣が述べた。 ギザのピラミッドからルクソールの王家の谷まで、多くの有名な史跡を持ち、エジプト経済の頼みの綱である観光業は、ホスニ・ムバラク氏を失脚させた2011年の革命以降強い打撃を受け、外国人観光客の減少に苦しんでいる。 「私たちは1月25日の革命以後に閉館した20館以上の博物館を所有しているが、それらを運営するための財源がない」と、ハーレド・エル・エナニー氏はロイター通信社のインタビューに答えた。 考古省は自給自足で運営し、国家予算からの財源を受け取る予定はなかった。 2010年考古省の収入は年間10億3000万エジプトポンド(1億4640万USドル)であったが、2015年の収入は2億7500万ポンドに下落した。 「収入は月に2000万ポンドをわずかに超えるだけである。 私は給料だけで月に8000万ポンド支払わなければならない。 」 エナニー氏は、「観光業の復興がない限り、博物館や史跡の紹介や開館時間の延長といった新しいプロジェクトにはいずれも望ましい効果がないだろう」と述べた。 紀元前24世紀の中頃、9代目にして第五王朝最後の王、ウナスのために建設されたピラミッド複合体の再開館についても同様のことが言えるであろう。 「それでもやはりエジプトは、2017年に大エジプト博物館、すなわち大望を持って計画された、世界一大きな考古学博物館となる古代エジプト文化財博物館の部分的な開館を計画している」とエナニー氏は開館の予定日を一年後まで繰り上げて述べた。 これは単なる可能性である、なぜなら数年前には、日本による24億8000万USドルの借款が必要であったからだ。 経済難は発掘の試みにも影響を与えており、2011年以降、急激に減少している、とエナニー氏は述べた。 他にも、他国から密輸された、あるいは以前の植民地時代の国々の支配者に獲得されたエジプトの文化財の返還を主張する国際法学者が不足 しているという問題も省内で起こっている。 また、密輸に対抗するため、文化財を集約したデータベースを作る必要性や、2000年以降盗まれてきた文化財に対する努力の問題もある。 3月のエナニー氏就任前、前任者はイギリスのエジプト学者ニコラス・リーヴス氏の、ツタンカーメンの墓の後ろに存在する可能性がある女王ネフェルティティの失われた墓があると信じられている仮説調査を支持していた。 エナニー氏はこの件については冷静な立場を示している。 ネフェルティティは紀元前14世紀に亡くなり、ツタンカーメンの継母であるとされている。 彼女の墓の確認は、今世紀最も注目すべきエジプト考古学上の発見である。 先の11月に現地で終了したレーダースキャン分析はツタンカーメン王の墓にある2つの壁の後ろに2つの空間が存在することを明らかにした。 前考古大臣のマムドゥーハ・エルダマティー氏は11月に「90%の確率で壁の後ろに何かがある」と述べ、リーヴス氏は、巨大な墓は本来ネフェルティティのものであり仕切りの壁の後ろに彼女が葬られている、と考えている。 しかしながら、壁の最も小さい開口部は何年間も密閉状態にあった墓内部にダメージを与える可能性がある。 「二回目のレーダースキャンが、空間は100%存在することを示した時に限り、私は墓を公開するつもりである」と、エナニー氏は述べた。 クベット・エル・ハワ(西アスワン)のネクロポリスで実施された、アレハンドロ・ヒメメス・セラーノ氏によるスペインのハエン大学の発掘作業中に、第12王朝(中王国期)の「セトチェニ」という名の女性を中に埋葬した2つの木棺が発見された、と考古省古代エジプト部門の責任者であるマフムード・アフィーフィ博士が発表した。 博士は次のように述べている。 「本発見は歴史的な重要性を持つ。 なぜならばセトチェニは中王国時代の中でも最も重要な人物の一人であり、アメンエムハト3世治世下におけるエレファンティネ最高権力者の二人、ヘカイブ3世とアメニ・セネブの母だからである。 」 アスワンとヌビア地域の最高責任者は、遺体は当初リネンで包まれており、レバノン杉で作られた二つの木棺に収められていた、と付け加えた。 また、彼女の顔を覆っていたカルトナージュ製マスクの残骸も記録された。 木材が切られてから悠久の年月を経ても、棺の中は非常に良好な状態である。 ヒメメス博士は、セトチェニは地方の小国の重要人物であったと説明している。 彼女は州侯サレンプト2世の娘であり、一族全ての男性の死後、エレファンティネ唯一の継承権保有者となった。 スペイン(ハエン大学)の調査は2008年から行われ、その年に様々な時代の無傷の埋葬地を発見した。 中でも、注目すべき発見はセトチェニとヘカイブ3世のものである。 「ルクソールの王家の谷におけるツタンカーメンの墓においては、様々な技術的・科学的方法や他のレーダー装置といった器具を用いて、更なる捜査を実行することが重要である。 」という勧告は、大エジプト博物館で開催された第2回国際ツタンカーメン会議で採択されたうちの一つである。 最後の会合にはエジプト学やレーダーの専門家が参加し、その中にはザヒ・ハワス元考古大臣やマムドゥーハ・エルダマーティ前考古大臣、日本のレーダー専門家である渡辺博士、カイロ大学技術学科のヤーセル・エル・シュエイブ博士といった多数のエジプト人考古学者や関係者の姿もあった。 ハワス氏は講義の中で、レーダー走査はそれだけでは考古学上の発見に対して決め手に欠けると述べ、ネフェルティティの墓がツタンカーメンの墓の後ろにあるとする、イギリス人考古学者ニコラス・リーヴス氏に反対する立場を強調していた。 加えて彼は、考古学者やレーダーの専門家からなる科学的な委員会を設け、墓内の作業監督として遠隔探知の専門家を直ちに育成すべきであるとした。 マムドゥーハ・エルダマーティ前考古大臣もまた「ツタンカーメンの墓における再発見」と題した講義を行い、その中では黄金のファラオの墓で行われたレーダー走査の全作業工程が要約され、50%の確率で墓の壁の後ろには空洞があると指摘する結果であった、と示された。 前後に関連し、大エジプト博物館計画の最高責任者であるタレック・タウフィク氏は、本会議での推奨によって、光や振動に弱くもろい「黄金のファラオ」の工芸品を移送するためのロードマップを、海外の研究者の協力を得て作成することを目的とするエジプト考古委員会の成立に至った。 昨年設立されたツタンカーメン研究センターもまた、少年王に関連する全ての研究や調査の出版が、ホームページの開設と共に規定されるだろう。 エジプト考古省はカイロ考古博物館での撮影の許可を発表したが、数週後、撮影が禁止になった。 エジプト考古省により、平成28年1月7日が博物館で写真が撮れる最後の日となった。 博物館での撮影許可のおかげで観光客は増えた。 しかし、再び撮影が禁止にされると、観光客が減るおそれがあるため多くの人が不満に思っている。 カイロ博物館長カーレド・アナニー氏によれば、悪天候にもかかわらず、博物館を訪ねる観光客が増加した。 アナニー氏は、撮影が許可されてから、エジプト人や外国人を含め一日約2000人の観光客が訪ねたと述べた。 毎日、観光客は増える一方である。 さらに、観光の活性化のために初めて展示される遺物の特別展も開催した。 エジプト考古大臣の顧問ムハメド・エルシガー氏は、「撮影のフラッシュは遺物や絵の色に悪影響を与える。 また、写真の著作権は国のものである。 理由を明らかにした学術的な調査隊には写真を撮る許可を与え、その代わりに一定の料金を払わせる。 誰でも写真を撮ることが出来たら、国の著作権がなくなる」と述べた。 エルシガー氏によると、エジプト考古省が期間を決めて博物館での撮影を許可することには二つの目的があった。 第一は、観光を支えることで、特にロシアの飛行機墜落事件はエジプトに悪影響を与えた。 第二に、修復後に再展示されたツタンカーメンのマスクが無事だというメッセージを伝えることであった。 エルシガー氏は博物館で撮影を許可する試みが成功したため、時折博物館での撮影を許可することを検討していると述べた。 観光省のアルアシマウィ・アイマン氏は博物館で撮影を許可する試みの成功を評価し、検討した上でもう一度行う可能性があると述べた。 今回のように今後も成果を上げ続けるために新しい方法を見つけると述べた。 管理者達が今回の試みを検討する際には、様々なアイデアの選択肢がある。 例えばカメラのフラッシュが遺物に悪影響を与えない場所のみ撮影を許可したり、あるいは、時折撮影の許可を与えるなどである。 管理者達はエジプトの博物館の遺物の場合は、50%以上はカメラのフラッシュに影響されないと述べた。 行政審査機関は、最近の解体作業で台座が破壊されたセティ2世の立像の修復作業を中断し、立像と修復作業の状況を報告するために考古学者の委員会の招集を命じた。 ルクソールの政党や住民グループは客観的な報告が行えるように、ギザの考古学者による委員会を解任し、中立的なエジプト国内の大学の考古学者による委員会を招集し、解体の際に破壊された部分がある立像の状況を報告するように要請した。 同グループは、記念物保存修復中央本部本部長ガリプ・ソンブル氏の会見を批判した。 この会見は、行政審査機関の捜査中に行われ、会見の中でソンブル氏は、立像の解体や台座の破壊を否定している。 ルクソールの行政審査は、エジプト考古省の許可を得ずに古代エジプトのセティ2世の立像の解体作業を行い、台座を破壊したという報告を受けて始まり、捜査が続いている。 報告によると、2015年11月11日に考古学者が、セティ2世の立像を修復するために立像を解体し、台座を修復する代わりに破壊したとのことである。 それは破損した他の立像の断片を収集し、修復に失敗したことを隠すために行われた。 また、立像の解体作業は必要な許可を得ずに行われていた。 ルクソールと上エジプト地方の考古遺跡の監督官であるスルターン・イード氏は、報告の内容を否定した。 イード氏によると、1925年から立像の台座として使われている部分に損傷があり、立像が倒れかけていたとされる。 そして、ルクソール神殿の修復管理官から立像に危険が迫っているという報告があった。 イード氏は、考古学者や修復の専門家の委員会を設立した。 委員会はセティ2世の立像を保護するための計画を立て、立像を修復するための解体を決定した。 立像の状態は月に一度だけ開催されるエジプト考古省外国隊部門、パーマネント・コミッティーの許可を待つ猶予がなかったとしている。 オランダ、ライデン大学の考古学者、へリングの新しい研究において、世界最古の手紙(前アルファベット)が発見された。 これらの文字は発掘現場において、前8世紀にさかのぼるエジプトの陶磁器の破片から発見された。 注目すべきことに、これらの遺物は20年以上前からルクソールの西で発見され、そしてその欠片は、イギリスの考古学者ナイジェル・スタッドロークによればトトメス3世の治世に生きていたとされる、セン・イフェルの墓で発見された。 またこの研究は、壊れた陶器類にアルファベットがヒエラティックで書かれたことを示している。 それは不完全なものではあるが、これらの言葉が3,000年前にまで及ぶ一貫した筋書きがあることを示している。 考古学者のハリングは、その原文が今日まであいまいなままであるとし、象形文字を解読することで古代エジプト人のアイデンティティを見つけ出そうとしている。 彼によれば、左側の記号が言葉の省略を示すことから、これらの文字は右から左へ読むべきであり、これはアルファベットの記号の一つである。 また、彼はアルファベットの語順の基本的な概念が、すでに紀元前8世紀にはエジプトに存在したと強く主張しており、碑文がシナイ砂漠や南エジプトにあり、それらが明らかにヒエログリフの影響を受けたものであると考えている。 エジプト考古大臣、マムドゥーハ・エルダマーティー氏がツタンカーメンのマスクの修復についての今後の計画を、修復を担当する科学委員会の臨席のもとでメディアに発表した。 考古大臣は、マスクが新しい展示ケースに入った状態で再び展示される予定であると強調した。 さらに大臣は、修復プロジェクトの費用がドイツのエジプト学研究所によって、提供されていると加えた。 プロジェクトの一段階の指揮をとるドイツの修復家、エックマン氏によれば、このプロジェクトは3段階に分けられている。 すなわち修復の準備段階、技術研究と歴史研究に基づくマスクの複合的研究の段階、そして髭の再度取り付け段階である。 彼はまた、以下のように述べている。 「このプロジェクトは、個々の目的を伴う小さなグループを含んでいる。 例えば保存修復グループは、科学者と考古学者によるグループであり、彼らは材料の研究と、科学的で正しい方法によるマスクの修復についての説明を目的としている。 」 大エジプト博物館の責任者であり、プロジェクトの科学委員の1人であるタウフィーク氏は、「プロジェクトのメンバーは、完全な保護を確証づけるためのマスクの修理部分の安全な作業と、安全な移動のためのテンプレートを作った」と述べた。 約2250年前のエジプトで、今日「M1」というミイラとして知られている男が、長期に及び、苦痛を伴う、進行性の病気と闘っていた。 鈍い痛みが、彼の後背部でずきずきと痛み、大抵の動きに苦痛を生じさせながら彼の体の別の部位へと広がった。 最終的に、51歳から60歳の間にM1が不可解な病気に屈した時、彼の家族は、彼が生まれ変わり、来世の快楽を楽しめるよう、彼をミイラ化するための支払いをした。 国際的な研究チームが、何がM1を悩ましていたのかを調査分析している。 さらに、The International Journal of Paleopathology(国際古病理学雑誌)の最新の研究は、「直径1~2㎜の腫瘍の発見を可能にする高解像度のCTスキャナーが2005年に利用できるようになったばかりであるため、以前の研究者は古代の人口における癌の罹患率を過小評価したのかもしれない」と提唱している。 リスボンの国立考古学博物館の収蔵品の3体のミイラを高解像度スキャンした後、M1の下腹部や腰椎と同じように、上腕や脚骨にも、多くの小さく、丸い、高密度な腫瘍が見つかった。 これらは、一般に転移性の前立腺癌によって影響を受けた領域である。 研究に参加していないドイツの古病理学者は「転移性の前立腺癌の1つの事例であることを認めたい」、「これは立派になされた研究である」と述べた。 研究者たちは、骨格内の癌や、古代の死者の肉体をミイラ化した証拠を明らかにするために長い間苦心してきた。 しかし、古代の人々の癌の記録された事例は稀少である。 実際に、1998年にThe Journal of Paleopathology(古病理学雑誌)で発表された研究は、数万の調査された古代人の中で、たった176の骸骨の悪性腫瘍の事例が報告されたことを算出した。 その少ない事例は、発癌性物質が食品内や環境によって広まった事や、人々が長寿になった近代の産業化時代に癌が広まったという学説を生み出した。 しかし、イタリアの生物人類学者は、「古代の人々は、発癌性物質を知らないことはなかった」と述べた。 例えば、木を燃やす煙突や暖炉から煤は、人体を癌にする物質を含む。 そして、古代の船の建造者が船を密閉し、防水処理するために熱した瀝青は、呼吸器官や消化器官の腫瘍と同様に肺癌に結びつく。 彼は、「私たちが理解する以上に、癌が過去に事実上流行していたと思われる」とも述べた。 ポルトガルの放射線学者は、「形質人類学者が新型の高解像度のCTスキャナーを利用することで状況は変わるかもしれない」と述べる。 彼とその同僚がM1を研究するために使用した設備は、放射線学者に斑点大の外傷でさえ視覚化することを可能にするために、0. 33㎜のピクセル解像度を有した。 癌の原因や、病気の普及における環境、食事、遺伝子の複雑な相互作用を研究する科学者のために進歩したこのような発見は、数千年間人類を苦しめてきた病気を明らかにするかもしれない。 7月5日に考古省は、数年前不法にカルナック神殿からロンドンへ持ち出されたトトメス4世の礼拝室の砂岩製柱の一部を、カイロにある外務省から受け取った。 考古大臣マムドゥーハ・エルダマーティー氏は、「同省はロンドンにあるエジプト大使館と文化広報センターと協力して、この遺物を返還することに成功した。 エジプトの文化財で、盗難されたことを知らなかった持ち主は話し合いの末、エジプトの領土に返還すると表明した。 今後このレリーフは、タハリールにあるエジプト考古学博物館で展示するため、一旦修復ラボに預けられる」と話している。 エジプト最高評議会の理事会は、考古大臣マムドゥーハ・エルダマーティー氏主宰の前回の会合で、ポートサイド(エジプト北東部、地中海沿岸の都市)にある聖ウジェニー教会をイスラム・コプト遺跡の文化財として登録することに合意した。 」と話している。 」と付け加えた。 今月4日に、エジプト人の若者が立ち上げたボランティア団体「エジプトの遺跡保護世話キャンペーン」が活動を開始した。 この活動は、主に全国の悲惨な状態にある遺跡の周辺に不法投棄されたゴミを取り除き、場所を清掃することを目的としている。 今回その最初のターゲットとして、今では完全にゴミ山と化かしたファーティマ朝時代のハーキム(996年 - 1021年)が建てた「7つのドーム」が選ばれた。 「我々は考古省と協力し、周辺の住民にこれらのドームがイスラーム時代の遺物として重要なものであり、また国の文化財でもあり、ひいてはエジプト文明の一部であるという意識を高めてもらおうとしている。 またドームの周辺を清掃し、復活させ、清潔に保つことにより観光地にすることができる。 」と団体のリーダーは話している。 2008年、スペインの学術団体とエジプト考古省の共同研究による、トトメス3世時代の神殿の発掘がルクソールで始まった。 エジプト史上最も有名なファラオの1人の神殿とはいえ、この神殿はほとんど研究されず、ダレッシィ、ウェイガル、リッケといった考古学者が行った研究でも、その全体部分を発掘することはできなかった。 1938年以降には、誰もこの遺跡に関心を持たず、忘れ去られ、再び砂に覆われた。 発掘調査では、はじめにウェイガルによって1906年に建てられた倉庫が発見された。 その内部には、彼が発掘中に発見した膨大な量の遺物の断片が積み重ねられていた。 また、この倉庫はリッケによって発見された遺物の一部の保管にも使用されていた。 この神殿は、異なる高さの3つの段丘の上に建てられている。 構内は泥レンガの大規模な壁によって囲い込まれており、入口である巨大な塔門(パイロン)も泥レンガ製である。 囲い壁は、これまでに北部、南部、東部の壁が発見され、修復中である。 この修復により、これまでの遺跡の美観が完全に変化した。 また、塔門(パイロン)は「アラバスターの製作所」で作られた瓦礫によって部分的に覆われた状態で発見された。 これは数少ないアラバスター製の状態の良い塔門(パイロン)の1つであり、神殿の建築様式について膨大な情報を与え得るものである。 遺跡の重要性を高める他の要素は、2つの丘の間に位置する点である。 この遺跡は広大なネクロポリス(共同墓地)で、神殿のすぐ下に墓があり、それらの多くは中王国や第二中間期に作られた。 2010年以降、調査では1室ないし数室の埋葬室に通じるシャフトを持つ墓と、シャフトと埋葬室の他に廊下が掘られた墓の2種類の墓が発見されてきた。 これらの墓はたとえ古代の略奪を受けていたとしても、それでもなお興味深い遺物が発見された。 2014年の発掘では、装身具と共に埋葬された女性が発見された。 14番墓では、アメジスト製の円筒形の護符や金の皿、そして20g以上の立派な細工が施された金の貝殻の形のペンダントと共に埋葬された女性が発見された。 その女性は、両腕に金のバングルを、両くるぶしに銀のブレスレットを身に着けていた。 そこは高位の者たちのネクロポリスで、中王国の裕福で重要な個人や、その家族が埋葬されていた。 2013年に発掘された11番墓には、葬祭施設やイケリィという名の人物の木棺の破片が保管されていた。 また、その墓は後世に盗掘、再利用され、17本の異なる人骨、木製の模型の破片、カノポス壺、小立像といった遺物が発見された。 特に重要なものとしては、象牙製のいわゆる「魔除けの棒」の20点の破片が保管されており、それは古代エジプト人の信仰について重要な情報を伝えている。 修復はそれ以前に行われたものである。 」と述べている。 またセメントでの修復についての質問に対してムスタファー氏は、「それはあり得ないことである。 いかなる修復家でもセメントを使うことは許されない。 そこで、カイロ考古学博物館の修復総監督官を含む第三者委員会を設け、この像の現状について報告書を早急に作成するように指示を出した。 もし失態があった場合には、該当者に責任を追及し、像を元の状態に戻す」と付け加えた。 またエジプト考古省と同研究所との間に調印された協定によってアスワンにあるファーティマ朝時代のドームの修復プロジェクトも行われている。 」と発表した。 5世紀に建てられ、13世紀の半ばごろまで使われていたこの修道院は、高さが5. 5メートルで、面積が6フェッダーン(1フェダン=4200. 833㎡)にも及んでいる。 花崗岩や日干し煉瓦で建てられた建物を含んでいる非常にユニークなコプト式建築であり、唯一残されたパコミウス(修道規則)の修道院である。 この修道院は、コプト教徒の修道院でありながらイスラーム教徒の巡礼者を受け入れていた。 当時モロッコからのメッカへの巡礼者たちは西砂漠での移動中にこの聖シメオン修道院に立ち止まり、もてなしを受けていた。 ムスリムたちが修道院に泊まっている最中に壁に自分の名前を刻んでいたことから、ムスリムとコプト教徒との間には、宗教上の対立がなかったとうかがえる。 毎年12月21日になると、聖シメオンの誕生祭が3日間にわたって行われ、エジプト全国からコプト教徒が集まる。 エジプト考古大臣マムドゥーハ・エルダマーティー氏はエジプトの外務省との協力でドイツのオークションにかけられる予定の遺物の像をその販売リストから外し、確保したことにより販売を未然に防いだ」と発表した。 確保された像は、2008年にアスワンでスイスの発掘調査隊が発見したものであり、2013年に盗まれるまではエレファンティネ島の倉庫に保管されていた。 盗難が発覚してすぐに、発見次第取り返せるように考古省はインターポール(国際刑事警察機構)に通報したのである。 また他の盗難品があるかどうか、現在そのディーラーから話を詳しく聞いている」と話している。 またこの棺は、ヒクソス(異国の支配者達の意)による支配の時代、いわゆる第二中間期という遺物が少ない時代に作られた非常に貴重なものである。 長さ2メートル、幅は50㎝で、高さは42㎝である。 動物は古代エジプト人にとって崇拝対象であり、神殿への参拝者の間で動物の形で表されている神々の御利益を得るために、お金を払ってそれらの動物をミイラにする習慣があった。 その頃から動物の持ち主や神官、建設現場の人々、そして墓の管理人などを中心としてミイラ製作が始まり、時間が経つにつれて、7000万体もの動物のミイラが製作されたことが分かる。 しかし、果たしてこのような動物のミイラの中には外の包みと同じ動物が本当に入っていたのであろうか?イギリスのエジプト学者や放射能専門家がX線やCTスキャン装置にかけて行った調査の結果、ミイラの中にはその動物の一部しか入っていないものや、何も入っていない場合もあるということが発覚した。 イギリスのマンチェスター博物館とマンチェスター大学の研究者は、ミイラに害を与えないように子供専用のCTスキャン装置を利用した。 調査班長レディア・マクナイト氏は「これは詐欺ではなく、神聖な動物はその体の一部でも非常に重要で聖なるものであったため、とにかく手に入れ得る部分をミイラにしたと思われる」と述べている。 また専門家は、動物のミイラのおびただしい数に鑑みて、詐欺があっても不思議ではない、と考えている。 マクナイト氏は「一部しか入っていない、または何も入っていないミイラがあることに疑問を抱くのは、現代人と古代エジプト人の信仰の価値観の違いによるものである。 現代人はあらゆるものにおいてクオリティーを追求しているのに対して、古代エジプト人は、ミイラ製作に費やす富よりもそのミイラが後ほどもたらすご利益を重視していた」と話している。 またマクナイト氏は「今回の調査は気象や気候の専門家にとって当時のエジプトに生息していた動物や鳥の性質を知るきっかけになる。 水が豊富な地域にしか生息しないトト神を表す鳥、イビス(トキ)がいたことから、当時のエジプトには緑が多かったと予想される。 しかし、現在エジプトでは一切姿を現すことなく、アフリカの半砂漠地帯に生息している。 」とさらに付け加えている。 エジプト考古大臣マムドゥーハ・エルダマーティー氏は、「アスワン・ヌビアにおけるエジプト発掘調査隊が発掘の一環としてアスワン西部にあるアガハーン廟周辺で新王国時代、第26王朝の墓を発見した、と発表した。 発見されたのは、ミイラが入った木棺や石棺の他、ファイアンス製の「ホルス神の息子達」の像やホルス神の木製の像や護符(お守り)などである。 またエルダマーティー氏は、これまで古・中・新王国時代の墓が発見されたこの地域での今回の発見は、はじめて末期王朝時代の墓を発見したという点で非常に重要であり、この発見によってアスワンの古代エジプトの墓の歴史が完成する」と述べた。 一方ではアスワン・ヌビア遺跡管理責任者のナスル・サラーマ氏は、今回発見された6基の墓のほとんどが入口に通じる30段の階段があり、それぞれの墓は全くレリーフがない3,4室に分かれている。 またこれまでこの地域周辺で発見された岩窟墓と違って、今回の墓は丘のてっぺんで掘られた様式となっている、と話している。 アスワン・ヌビアにおけるエジプト発掘調査隊長のムスタファ・ハッサン・ハリール氏は、周辺地域が墓泥棒により無断で墓荒らしを受けたことがあると指摘しながら。 今回の発見によって末期王朝時代における建築様式を知るきっかけとなる、と話している。 エジプト南部のアスワン遺跡管理責任者ナスル・サラーマ氏は「アガハーン廟周辺の地域は、アスワン西岸にある古・中・新王国時代の貴族の墓の延長で、歴史的に非常に重要な地域である。 今回アガハーン廟周辺の地域で発見された6基の墓は末期王朝時代のものであり、この発見でこの地域の古代エジプトの歴史が完成する」と強調した。 またアスワン・ヌビアにおけるエジプト発掘調査隊によって発見されたこの6基の墓からエレファンティネ島の兵士だと思われる20体の保存状態が良いミイラが発見されており、この発見によって末期王朝時代におけるミイラ作りの技法が解明できると付け加えた。 歴史的に重要性があるこの地域は、かつてこの地域周辺で採れる石英を運ぶ港として栄えており、ラムセス2世の父であるセティ1世のオペリスクが発見されている。 エジプト考古大臣マムドゥーハ・エルダマーティー氏は、大エジプト博物館は6月4日にサッカラの第2号倉庫から遺物247点を迎えたと明らかにした。 考古省が抱えている最も重要なプロジェクトであり、同省の大志を集大成するこの博物館は2018年の5月に先駆けてツタンカーメンのコレクションを公開し、2022年にグランドオープンとなると指摘した。 また大エジプト博物館長ターリク・タウフィーク氏は「受け取った247点の遺物は、様々な時代に作られたものであり、その中には色彩が鮮やかに残っている古王国時代の書記座像や新王国時代と末期王朝時代の棺や石碑、その他にチェコ発掘調査団と日本発掘調査団が発見したものもある」と述べた。 一方でサッカラ遺跡管理責任者アラー・エルシャッハート氏は「大博物館に無事に到着するように、これらの247点の準備や梱包作業に5月24日から6月3日までの時間をかけた。 数日前にサッカラから搬送された185点を合わせると、これで大エジプト博物館はサッカラの倉庫から432点を受け取ったことになる」と述べた。 エジプトのメディアで修復に用いられている素材はセメントであると取り沙汰されたことに対して、ルクソール遺跡管理責任者ムスタファ・ワジーリ氏が6月3日(水曜日)に真っ向から否定し、修復には最新の材料を用いていると強調した。 またムスタファ氏は「使用されているのは、アランダイトやアセトンやパラロイドなどであり、必要に応じて石灰を使用することもある。 これらの材料は全てエジプトに揃っており、不足しているものは海外から輸入する。 確かに1990年代にこれらの材料が開発されるまではセメントが使用されていたが、エジプト考古最高評議会 SCA は、エジプトの文化財を守るために、これらの材料が登場して以来使用している」と述べた。 エジプト考古学博物館長マフムード・アルハルワギー氏は、エジプト考古学博物館から大エジプト博物館へ移動される棺という噂を否定した。 問題の発端は、数日前FBなどのSNS上でイクナートン王の棺の蓋がエジプト考古学博物館から大エジプト博物館へ担架で運ばれている写真が取り上げられたことにある。 しかし、アルハルワギー氏は「話題となった写真の担架に担がれているイクナートン王の棺の蓋は、2011年1月の革命後、4年ぶりに再稼働した博物館内のCTスキャン装置や放射線測定室で蓋を分析するために一時的に移動しただけである」と話している。 またアルハルワギー氏は「この調査は、1907年にKV55号墓で発見されたこの棺の持ち主の身元を明らかにするための調査であり、様々な考古学の専門家が参加している」と付け加えた。 「そして作業に用いられた担架は、棺を移動するために抗菌加工が施された専用の担架であり、移動は専門家の指導の下で熟練した技術者の手によって行われた。 調査を終えた棺の蓋は、無事に元の展示場所に戻った」と強調している。 先日紹介した、破壊されたアピス像について詳細が明らかとなった。 アピス像の一部が、グレコ・ローマン博物館から海洋博物館への移送中に破壊されていた。 この移送はヨーロッパで開催されるアレクサンドリアの水中考古学の巡回展の準備のために行われていた。 セラペウムで発見された玄武岩製のこの像は、2世紀のハドリアヌス帝時代に作られた像であり、1. このアピス像のような極めて重要な文化財は全て、展示会を目的とした移動が、これまで法律によって禁止されていた。 しかし今回この像は、当局による承認の前に梱包され、移送された。 さらに考古省は、展示会の責任を負う会社が像に対する保険料を支払う必要がない事を報道しなかった。 その代わりに、像の修復のための資金が、展示会に携わる海外の考古学者によって支払われたのである。 結果的にアピス像は不完全に修復された。 エジプト考古学博物館のツタンカーメンの修復の件と同様の事態である。 この像はエジプト本土から離れるべきではない。 なぜならば、この像は決して水中で発見されたものではなく、さらに法律によって保護されているからである。 この法律は、元考古省博物館部門長のアフメド・サラーフ氏が他の汚職で収監されている現実にも関わらず、法律としての体裁を維持している。 首都カイロから南西に130km離れたファイユーム県のガバルッズィーナで、農家が山の麓にある洞窟の中でミイラを発見した。 より正確に言えばあの有名な童話である「白雪姫と7人の小人」に登場するピグミーに似ていると言える。 フェネック(砂漠のキツネ)の巣穴のような場所で発見されたピグミーのミイラは、身長が60㎝から80㎝の間であり、保存状態が良い。 髪の毛が残っており、両腕・両脚や足の爪から判断すると子供ではなく明らかに成人であることが分かる。 考古学の筋によれば、エジプト考古大臣マムドゥーハ・エルダマーティー氏が考古学やミイラ専門家にそのピグミーの正確な年齢やどの時代に生きていたかを詳しく調べるように命じたそうである。 報道後しばらくすると何者かから「メンフィスの博物館の警備室の前に置いておいた」と通報があり、警察が駆けつけると、確かにそこに本物の像があった。 警察はどのような経緯で像が倉庫から持ち出され、ベルギーに流出したかを、容疑者として取り調べを受けているメンフィスの総監督官と犯行を隠ぺいするために複製品を作った職人から詳しく聞いている。 石灰岩で作られたこの像は高さ10㎝、幅10㎝、奥行き7㎝の中王国時代のものであり、2011年にアメリカ発掘調査団によって発見されたものである。 ここ3年間エジプトでは手っ取り早く富を手にするための方法として墓荒らしや盗掘をする現象が話題になっている。 やがて現象から狂気に変わり、ごく最近では首都カイロから南西に130km離れたファイユーム県で覆面を被った武装団が遺跡敷地内に侵入し、警備員を脅し、強引に盗掘してしまうケースも見られるようになった。 ファイユーム遺跡区域の担当責任者は、「このような現象はエジプト中の村で多発しており、残念なことにその罠に引っ掛かる人も多く、発掘中にトンネルが崩れて命を落としてしまう人も少なくない」と話している。 墓荒らしや盗掘は、今に始まったことではなく、古代エジプトの時代から頻繁に行われたものであり、王家の墓を掘る職人が王の埋葬後にその墓の埋葬品を盗むケースが当時からあった。 その代表的な例にツタンカーメンの墓があり、未盗掘のままで発見されたと思われがちであるが、実は埋葬後にすぐ侵入されており、次のファラオであるアイがその盗品をお墓に戻し、封鎖壁に封印を示す印を押した。 ハワード・カーターに1922年に発見されるまではそのままであった。 興味深いことに1983年までは盗掘や密売を罰する法律がなかった。 1983年の法令119号によって初めて罰せられることになり、2010年の法令3号に基づき刑が禁固7年~15年まで厳罰化された。 エジプト北部、アレキサンドリア沖に眠るプトレマイオス朝時代の女王クレオパトラの宮殿跡のために建設が予定されている海底遺跡博物館の建設予定地が、駐車場にされる予定となった。 この宮殿遺跡は、プトレマイオス朝時代の唯一現存する遺跡であり、マケドニアのアレクサンドロス大王よる建設以来、アレキサンドリアの歴史を伝える重要な文化財でもある。 また、この地域は、1000年以上にわたってエジプトと世界との貿易の中心地として栄えていた東沖に位置する。 一方で、現在この付近には地方裁判所があり、そこへ出入りする来客の車によって大渋滞が発生している。 そのため、その区域の責任者によって「博物館建設予定地を一般駐車場にしよう」という提案がなされ、県庁で可決されてしまった。 はたして、最終的にこの問題がどう解決されるのか、注意深く見守っていきたい。 エジプトの砂漠に位置するエル・ワディ・エル・ギディード県にあるグレコ・ロ-マン時代の墓が盗掘の被害を受けている。 墓周辺に置き去りにされた人骨や、ミイラの残骸、容器の破片から判断すると、何者かが警備や保存を一切受けていない墓を狙って、富を手にする目的で犯行を行なっていることが分かる。 ちなみにこのエル・ワディ・エル・ギディード県周辺には、様々な時代に造られた120におよぶ文化財があるが、それらの全てが未登録のままである。 地元のガイドは「この辺りでは、あらかじめ偽物の遺跡を意図的に墓域に埋め、本物の遺跡のように見せかけ人を騙す、いわゆる「遺跡詐欺」が昔から若者たちによって盛んに行われている。 考古省による警備の不在が、そのような墓荒らしや盗掘の原因ではないか」と話している。 また、地元の資料館長は「この問題に見られるように、文化財を守る問題は、その国だけの責任ではなく一般市民の問題でもある。 市民には、自国の文化財が侵害される事がないように盗掘や遺跡の破損・被害などを通報する最低限の義務がある」と述べている。

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エジプトの遺跡

やはり エジプト か

写真:Nami Kita エジプトといえば一番に訪れたいのは、やはりエジプトを象徴する「ギザの3大ピラミッド」。 それぞれメンカウラー王、カフラー王、クフ王が埋葬されたピラミッドから成りますがその並びがオリオン座の中の3つの星と配置が同じであるといった説があり、世界で最もミステリアスな建造物です。 カイロ市中心部からも市内バスが走り、比較的簡単にアクセスできるようになりましたが、現在では隣接するスフィンクスの正面にケンタッキーやピザハットが建ち不思議な光景を作りだしています。 ピラミッドのまわりには沢山のラクダ引きが観光客を待ち構えています。 うかつに近寄るとしつこく勧誘されるので注意が必要。 とはいえ、なかなかできない経験なので値段交渉をきちんとして体験してみるのもよい思い出となるでしょう。 想像よりもラクダの背は高く、速度も速いためスリル満点。 色とりどりの衣装に包まれたラクダにまたがりピラミッドを眺めれば、アラビアンナイトの世界に浸れること間違いなしです。 同様に、「ワンダラー、ワンダラー(1ドル)」としつこい物売りも観光客を待ち構えていますが、実際はそれ以上の値段のことが多いのでご注意を。 王の偉大さを感じる場所「アブシンベル神殿」 スーダンとの国境近くのアブシンベル神殿は、この地をこよなく愛したファラオ「ラムセス2世」によって建てられた巨大な岩窟神殿です。 高さ21メートルにも及ぶ4体のラムセス像が並ぶ特徴的な外観は、誰もが一度は目にしたことがあるはず。 大神殿と小神殿から成り、大神殿では太陽神ラーをはじめとした神々を、小神殿ではハトホル女神とラムセス2世の第一王妃ネフェルタリが祀られています。 1960年ユネスコによる国際的な援助がなければ今頃はダムの底に沈んでいた、世界を代表する貴重な世界遺産です。 ラムセス2世の誕生日と即位した日を記念して年に2回、神殿の奥の像に光が当たるように計算され建てられていたころからも当時の王の偉大さと建築技術を知ることができます。 保護のために1036のブロックに切断され移動をした経緯から、現在光があたる日にちは残念ながらずれてしまったそうです。 ナイル川で水上散歩! エジプトというと、砂漠のイメージが先行しますが「エジプトはナイルの賜物」という言葉がある通り、川の恵みをふんだんに受けて発展してきました。 「ファルーカ」という白い帆かけ船は青いナイル川に浮かび美しい情景を作り出すシンボル的存在。 観光用にチャーターやツアーなども販売されており、船の上では伝統の音楽やダンスを楽しむことができるなど観光客に人気です。 小さな船のため360度回りを見渡すことができ、ナイル川沿いの人々の暮らしをのぞきみることができるため貴重な体験となることでしょう。 夜はビュッフェスタイルのディナーを楽しむことができる豪華客船でのクルージングが人気。 大型の船なので揺れも少なく、ゆったりエジプトの夜を楽しむことができます。 ベリーダンスなどのショーも開催され、観光客も参加型の楽しい時間を過ごすことができます。 異国情緒漂う「スーク」でショッピング 「ハン・ハリーリスーク」は地元客と観光客が入り混じる巨大ショッピングエリアです。 14世紀後半からという長い歴史があり、ガラベイヤ(民族衣装)やエスニックな小物、スパイスなどなんでも揃います。 魔法のランプのようなアラビアンムード溢れる置物やヤシの木などをかたどった香水瓶などが人気。 旅の記念品やお土産探しに最適です。 おなじような店が沢山立ち並んでいるので迷子にはご用心。 買い物に夢中になり同行者とはぐれてしまうと、観光警察のお世話に、といったことになり得ます。 ゆっくり買い物を楽しみたいのであれば時間を決めて待ち合わせをするのがオススメ。 街中のカフェではエジプトならではのシーシャ(水たばこ)を気軽にトライすることができます。 イチゴ味やミント味など普段たばこを吸わない人でも抵抗なくチャレンジできるフレーバーが豊富。 ポコポコという水の音に、旅の疲れも癒されることでしょう。 お得なツアーを見つけよう! 他にもエジプト考古学博物館はカイロ観光で外せない場所。 誰もが知るツタンカーメンの黄金のマスクや何千年も前の本物のミイラなどが保管されていますが、じっくり見ると1か月はかかると言われるほど。 エジプトは、主に世界遺産や歴史を目的に訪れる観光客が多いですが、世界のダイバーが集まるダイビングポイント「シャルム・エル・シェイク」はエジプトのイメージを覆すような静かなビーチ・リゾート。 ヨーロッパ方面からの観光客はここをメインに訪れることもあるそうです。 エジプト国内には見どころが沢山ありますが、そのすべてを個人ツアーでめぐるのは至難の技。 普段は自由旅行を楽しんでいるという人も、ここでは歴史や地理に詳しいプロの現地ガイドなどがついているツアーに参加するのがオススメです。

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