瓜田 純 士 関東 連合。 関東連合の瓜田純士の現在!小指に関する伝説は本当なの?

松嶋クロス(松嶋重)の瓜田純士『遺書』での喧嘩・抗争エピソード

瓜田 純 士 関東 連合

瓜田純士のプロフィール 生年月日:1979年12月4日 出身地:東京都新宿区歌舞伎町 身長:182cm 通称:アウトローのカリスマ、キングオブアウトロー 瓜田純士さんは、国内で最も有名なアウトローの1人で、「 (元)アウトローのカリスマ」「 キング・オブ・アウトロー」の通称で知られています。 小学生の時代から札付きの不良として暴れまわり、10代で暴力団に所属、その素行の悪さで数々の伝説を残しました。 覚せい剤取締法違反で逮捕され、実刑判決を受けて服役した際にカタギに戻り、出所後に 作家デビューします。 自伝的小説や、元アウトローならではのノンフィクション作品を次々と発表して、話題になります。 その後、 格闘家デビューするなど、積極的なメディア展開を行った事でその人気はさらに上昇。 現在も作家として執筆活動を続けつつ、 YouTube、音楽活動、映画製作など、様々な分野で活躍しています。 正確な時期は不明ながら両親は離婚しており、瓜田純士さんは 母子家庭で育ちました。 小学生時代には既に不良少年として有名だった瓜田純士さん。 中学に進学すると学年の不良達をまとめ、他校との抗争を繰り返すなどし、その あまりの素行の悪さから強制的に別の学校へと転校させられるという伝説を残しています。 関東連合メンバーらと交友を深める 新宿区の中学から杉並区の中学(高南中学校)に転校させられた瓜田純士さんは、それをきっかけに関東連合のOBとして有名になる、筋金入りの不良少年達と出会います。 1学年上には、後に関東連合のナンバー2となり、AV監督として大成功を収める 松嶋重(松嶋クロス)さんがいました。 その繋がりから、後に関東連合の実質的統率者(リーダー)となる、現在「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格として指名手配され逃亡中の 見立真一さんとも知り合いになります。 その他にも、後に「いびつな絆 関東連合の真実」を出版する作家・ 工藤明男こと柴田大輔さんとも知り合っています。 また、長年に渡って関東連合との抗争を繰り広げる事になる伝説的不良・ 木村泰一郎さん、木村孔次郎さんの「木村兄弟」ともこの頃に親交を結び、親友と言える関係を築き上げます。 瓜田純士さんとこの木村兄弟の2人は、見立真一さんや柴田大輔さんら先輩達が東京の暴走族をまとめて「関東連合」として組織化する際に従わず、決別の道を選んでいます。 瓜田純士さんはその後ヤクザ者になったため揉め事には発展しませんでしたが、木村兄弟の2人はこれをきっかけにして関東連合との長年に渡る抗争を繰り広げる事になります。 この関東連合と木村兄弟の抗争の真相については、瓜田純士さんは後に自著「遺書」で詳細に語っています。 16歳の時に関東連合の傘下の暴走族「梅里スペクター」に組み入れられる事を拒み、17歳(16歳説も)で暴力団・極東会系の中核団体の一つである 桜成会長谷川組に入っています。 瓜田純士さんは極道としても頭角を現し、 覚せい剤を手がける闇ビジネスで成果を出して、18歳の若さで長谷川組の若頭補佐にまで出世しています。 同世代では1番の出世スピードで、組からの期待も大きかったようです。 暴力団時代の活躍 瓜田純士さんは暴力団員時代、厄介な揉め事や用心棒業などを請け負う組織「 供攻社」を設立しています。 「供攻社」は、在日韓国人、中国人、日系ブラジル人らを中心とする60人以上の用心棒を抱えた 武闘派組織で、後には劇画化もされています。 護衛の他、ストーカー被害やいじめなどの民間の厄介ごとに対しても、暴力を持って対応する集団として伝説化しています。 ガチンコファイトクラブ出演者をシメる 2000年頃、TOKIOがパーソナリティを務めるバラエティ番組「ガチンコ! 」の大人気企画「ガチンコファイトクラブ」の第1期生だった3人を、瓜田純士さんがシメたと話題になりました。 この事件の発端は、瓜田純士さんが所属していた暴力団「長谷川組」が仕切るカラオケ店で、ガチンコファイトクラブ1期生の3人が騒いでいるのを瓜田純士さんが注意した事でした。 この時、1期生の1人・藤野大作さんが先に突っかかり、それにキレた瓜田純士さんが ビール瓶で藤野大作さんの頭部を殴打、続けて 割れたビール瓶で腕や肩を刺し、大怪我を負わせました。 瓜田純士さんは、覚せい剤の売人としてのシノギも手がけていたため、売り物の覚せい剤を自身で「味見」する必要があったそうです。 しかし、元々違法薬物に頼らないナチュラルパワーの信奉者で違法ドラッグ否定派だったため、決して覚せい剤には手を出さずにいたそうです。 ある時、組の上層部に強烈なヤキを入れられて骨が折れ、痛みでどうしようなくなったそうで、当時一緒に用心棒をしていた外国人の仲間が痛み止めとして覚せい剤を持ってきたんだとか。 瓜田純士さんはこの時初めて覚せい剤を使用したそうです。 そして、タイミング悪くその直後に銃刀法違反で逮捕。 体に残っていた覚せい剤が検出され、覚せい剤取締法違反で、 懲役3年4ヶ月の実刑判決を受けます。 刑務所内で作家を志しカタギに 刑務所に入った瓜田純士さんでしたが、服役中に 刑務所内で開催された文芸コンクールに挑戦。 「 mother」という小説を発表し、見事大賞を獲得します。 瓜田純士さん曰く、この時にもらったのが人生初めての「賞状」で、これをきっかけにして文章を書く楽しさに目覚め、作家を志す事を決めたそうです。 服役中に暴力団組織を脱退し「カタギ」になった瓜田純士さんは、2007年2月に刑務所から出所し、本格手に作家としてのデビューを目指す事になります。 作家デビューし話題作を多数発表 2008年9月、瓜田純士さんは太田出版からデビュー作「 ドブネズミのバラード」を発表します。 これは瓜田純士さんの 自伝的小説で、それまでの波乱に満ちた人生が赤裸々に綴られています。 ノンフィクション「遺書」がベストセラーに 作家として精力的に活動を続けていた瓜田純士さんは、2014年に関東連合と木村兄弟の抗争を中心に書かれた迫真のノンフィクション「 遺書」を発表します。 この作品は、当時世間を賑わせていた 「関東連合」の内情が詳細に書かれていたため、ベストセラーになります。 これをきっかけに、瓜田純士さんの名前は一般にも広く知られるようになりました。 瓜田純士さんはその後も、エッセイ「國殺 ~国が國を殺している~」や、自身の体験を元にしたオリジナル小説「熱帯夜」なども発表。 本物のアウトローならではの迫真の作品を次々と発表し、人気を集めています。 瓜田吉寿さんは、瓜田純士さんが誕生した頃、暴力団関係者としてアンダーグラウンドなビジネスを手がけていたようです。 瓜田吉寿さんは、ほとんど家に寄り付かなかったそうで、瓜田純士さんはほとんど 遊んでもらった記憶がないのだそうです。 瓜田純士の父・瓜田吉寿は「関東連合」創始者 1973年、この 瓜田吉寿さん率いる「ブラックエンペラー」や、世田谷区、杉並区の暴走族のメンバーらが「関東連合」を作りました。 その後、1980年頃にはこの関東連合は「有名無実化」していましたが、瓜田純士さんの1つ上の世代(昭和53年世代)が中心となって関東連合を復活させたという経緯があります。 この事から、瓜田純士さんの関東連合との関わりは父・瓜田吉寿さんにまつわる因縁であるとも言えるでしょう。 」などで活躍した元アイドル・清久レイアさんの母・瓜田麗子さんです。 この嫁・瓜田麗子さんは、瓜田純士さんのインタビュー記事でも度々登場し、その愛妻家ぶりが伝わります。 2人は 2014年頃に結婚したとされますが、付き合い始めた当初は、瓜田純士さんは女性を全く信用しておらず、瓜田麗子さんにもかなり冷たく当たっていたそうです。 女は大抵うたう(密告する)し裏切るんで、冷めた目で見ちゃってました。 内側を見せたくないし内側に入れたくない。 恋愛ごっこもたまにはしたけど、俺はいつでも仮面をかぶった状態。 女が寄ってくると、すべてがハニートラップに思えちゃう。 気が抜けない。 勘ぐってピリピリしちゃうんです。 しかし、瓜田麗子さんがそんな瓜田純士さんに粘り強く愛情を注いだ事で、次第に瓜田純士さんは心を開くようになったようです。 結婚後、1度だけ暴力を振るったそうですが、それでも自分の元を去らなかった麗子さんに心を動かされ、「責任を取らなきゃ。 こいつと一緒の墓に入るんだ」と決心したそうです。 「怖いからさよなら」と言わずに、彼女は逃げずについてきてくれた。 だから俺もその気持ちに応えて、 まともな人間になるべく、努力するようになりました。 で、こうして今も2人で一緒にいるから、ほとんど「戦友」みたいな感覚ですね。 彼女とだけは、深い絆的なものを感じるんですよ。 実は、瓜田純士さんは現在の嫁である麗子さんと結婚する前、 3度の離婚を経験されています。 当時を振り返って瓜田純士さんは、「 相手を人間と思っていなかった」と語っています。 それまでの壮絶な人生から染み付いた人間不信が原因だったようですが、そんな瓜田純士さんの頑なな心を解きほぐしたのが現在の嫁・麗子さんだったのです。 瓜田純士は格闘家デビューも連戦連敗で「弱い」と噂に 瓜田純士さんは、作家としての活動と並行して格闘家としてもデビューしており、 地下格闘技の世界で活躍されています。 瓜田純士さんの格闘家デビューは2008年3月、元人気プロレスラー・前田日明さんが主催する格闘技イベント「THE OUTSIDER」の初大会への出場でした。 初戦を見事勝利で飾った瓜田純士さんでしたが、同年7月の「THE OUTSIDER 第弐戦」では、大谷匡弘さんと対戦して1Rでレフェリーストップによる敗北を喫します。 同年12月26日には、地下格闘技イベント「喧王」に参戦、チョコボール金山さんと激戦を繰り広げますが、判定負けを喫しています。 2009年4月、「喧王」での2戦目としてジャックナイフ林さんと対戦しますが、これもKO負けでした。 2010年には、「KICK the ROOTS in 宇都宮」に参戦し智也さんと対戦するも1RKO負け。 2012年1月にも、地下格闘技大会「BERSERKER」にて内藤裕との引退試合を行い、地下格闘技の世界から引退しています。 以上のように、 初戦以外連戦連敗を喫した瓜田純士さんが実は「弱い」のではないか?との噂がネットで広がっています。 特に格闘技ファンからは、「 いかにもヤクザ者の喧嘩」「 弱いと言わざるを得ない」といった酷評を受けてしまいました。 その後、2018年4月には約10年ぶりに「THE OUTSIDER」のリングに立ち、「瓜田純士に勝ったら10万円」の企画もつけられるスペシャルゲスト扱いでした。 しかし、1RTKO負けを喫してしまった事で、「弱い」というイメージをさらに強めてしまいました。 特に、ネットメディア「日刊サイゾー」では毎月瓜田純士さんのインタビュー記事が掲載されており、毎回興味深くユーモアに溢れた内容が掲載され、絶大な人気を集めています。 例えば、2019年11月の記事では、覚せい剤所持の疑いで5度目の逮捕となったタレントの田代まさしさんに対して「去勢」を勧めています。 一見、無茶苦茶な意見に見えながらも、自身の経験を踏まえた非常に論理的なもので、瓜田純士さんだからこそ言える非常に濃い内容です。 また、この日刊サイゾーのインタビュー連載の中で「麻薬」や「裏社会」の話以外で人気を集めているのが、 嫁の麗子さんとのやり取りの形式をとったインタビューです。 映画「ジョーカー」を一緒に鑑賞した際、瓜田純士さんがずっと感動して泣いていた事に対して麗子さんがドン引きしたエピソードなど、微笑ましい夫婦エピソードが多数公開されています。 麗子 鑑賞中、純士がずっと横で泣いてるから、「はぁ、純士の頭の中は、やっぱこうなんや……」と再確認すると同時に、付き合い始めの頃の自分の苦労を思い出してウンザリしたわ。 純士 俺をメンヘラ扱いかよ……。 この他にも、瓜田純士さんが嫁の麗子さんとのノロケ話を披露したりもしており、 強面のアウトローイメージとのギャップにファンになってしまう読者も多いようです。 嫁が、俺に向かって笑顔でこう言ったんです。 「好きやで」と。 やっぱ家でゴロゴロしてる無能亭主より、表で戦ってる旦那のほうが好きみたい。 ノロケみたいですいませんが、それが今日イチのうれしい出来事ですね。 このYouTubeチャンネル「瓜田夫婦」に投稿される動画は、主に瓜田純士さんが街を歩きながら、裏社会の事情や未解決事件を、経験と直感を駆使して解説するという内容になっています。 瓜田純士さんの トークスキルが極めて高く、ところどころに上質なコメディ要素を組み入れるなど、かなりクオリティの高い動画が続々と発信されています。 2018年9月に開設されたばかりのチャンネルでありながら、早くも 登録者数4万人を突破しています。 瓜田純士&麗子でインスタグラム開設 瓜田純士さんは「瓜田純士&麗子」としてインスタグラムアカウントを開設、日々 カッコ良過ぎるアウトローな写真が投稿されています。 瓜田純士さんのインスタグラムには、妻の麗子さんとのラブラブなツーショットも多数投稿され人気を集めています。 名義は「瓜田夫婦」で嫁の麗子さんとの夫婦ユニットで、ここでも夫婦のラブラブぶりを見せつけています。 デビュー曲の「recollection」はネットで「かっこよすぎ」「心の琴線に触れた」「鳥肌が立つ」など絶賛を集めています。 2019年7月には、早くも第2弾の楽曲「Alba della Sicilia」を発表しています。 本作のミュージックビデオには瓜田純士さんの他、嫁の瓜田麗子さんも登場して話題になりました。 まとめ 今回は「アウトローのカリスマ」として知られる、伝説的不良で作家の瓜田純士さんについてまとめてみました。 瓜田純士さんは、関東連合の中核をなした伝説の暴走族「ブラックエンペラー」の2代目総長・瓜田吉寿さんを父に持つ、不良のサラブレッドともいうべき人物です。 小学生時代から札付きのワルとして知られ、中学時代には後に関東連合OBとして世間を騒がせる、見立真一容疑者、松嶋十さん、柴田大輔さんらと知り合い、共に非行に明け暮れています。 その後、暴力団に所属したりとアウトローの手本のような人生を送りますが、覚せい剤取締法違反で逮捕され服役したのをきっかけに作家を志してカタギになり、出所後に作家デビュー。 関東連合の真実に深く切り込んだ「遺書」は、ベストセラーになるなど、作家として成功を収めます。 現在は作家活動の傍ら、アウトロー的キャラクターながらも妻の麗子さんと共に夫婦仲睦じい生活をSNSなどを通じて発信し、「瓜田夫婦」の名義で歌手デビューも果たしています。 アウトローなキャラクターと、愛妻家でギャグセンスにも溢れる実体とのギャップで絶大な人気を獲得している瓜田純士さんが、今後どんな活躍を見せてくれるのか非常に楽しみです。

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瓜田純士の現在!関東連合との関係・父親や嫁・喧嘩が弱い噂も総まとめ

瓜田 純 士 関東 連合

活動期間 3月4日 - ジャンル と 登録者数 約6. 4万人 総再生回数 約1983万回 チャンネル登録者数、総再生回数は2020年5月1日時点。 瓜田 純士(うりた じゅんし 、 - )は、の。 少年の頃より東京都内では有名な不良であり、10代の頃から10年間に渡りに所属していた。 それらの過去から『アウトローのカリスマ』、『元アウトローのカリスマ』の異名をもつ。 これまで様々なトラブルを起こしており(後述)、スキャンダラスな人物としても知られ 、「半端じゃない」を意味する「パネェ」を普及させたともいわれている。 2018年4月には、過去に追放となっていた、元プロレスラーのが主催するイベント『』に10年ぶりに参戦。 『』では月一で瓜田のインタビューを掲載中。 来歴 [ ] の花屋に生まれる。 父は「」の2代目総長にあたる瓜田吉寿 (時期は不明だが両親は離婚しており、瓜田は母と暮らしていた)。 小学校当時、すでに不良少年として知られ、中学2年に進級する際にはあまりの素行の悪さから、通っていた新宿区の中学校から内の中学校(高南中学校)へ強制的に転校させられた。 そこで後の「関東連合」のメンバーであるや、「」の主犯格である人物、他には柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男)などと交流をもつ。 その後、17歳で暴力団員となり 、執行猶予期間中の2003年4月に違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となる。 刑務所に服役していた際、5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールにて『mother』と題して発表した小説が大賞を獲得。 人生初の「」獲得経験となったこの出来事をきっかけにを志すようになったという。 暴力団は服役中に脱退。 となって出所する。 出所後、作家に転身。 2008年、デビュー作『ドブネズミのバラード』()を発表。 翌2009年には『ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜』(太田出版)、2010年には3冊目となる『泥だらけのありがとう』()を上梓。 2014年には『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』(太田出版)を発表。 その後も2015年に『國殺 ~国が國を殺している~』(竹書房)、2017年11月には電子書籍にて「熱帯夜」を発表。 2011年からタトゥーナビにて「瓜田純士の僕の心は顔面タトゥー」を不定期連載中。 その他 [ ] 2009年に自身が主演する『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』()を全国発売。 同年には音楽イベント「新宿アースダム 〜KING OF TATTOO LIVE〜」に参加している。 地下格闘技参戦 [ ] 2008年 3月30日、前田日明のプロデュースによる格闘技大会「THE OUTSIDER」の旗揚げ大会に『新宿のカリスマ』として出場。 aym-jetと対戦し、aym-jetの負傷によるドクターストップにてTKO勝ち。 7月19日、「THE OUTSIDER 第弐戦」に出場。 大谷匡弘と対戦し、1R28秒レフェリーストップで敗北。 ストップされた後もパニック状態が続き1人で足をバタバタさせていた。 12月26日、地下格闘技イベント「喧王」Zepp Osakaに参戦。 招待戦スペシャルワンマッチでチョコボール金山と対戦し、判定により敗北。 2009年 1月18日、国立代々木第2体育館で開催された興行「」で元認定王者チャンデー・ソーパランタレーと2分2Rのエキシビションマッチを行った。 4月10日、「喧王」2戦目、ジャックナイフ林にKO負け。 2010年 「KICK the ROOTS in 宇都宮」に参戦。 智也と対戦し、1R58秒、KO負け。 2011年 11月6日、地下格闘技イベント「益荒男-MASURAO-第伍陣」に出場。 覆面選手「ミスターX」と対戦。 1ラウンド終了後、休息中のミスターXに攻撃を加え反則行為によりとなる。 2012年 1月15日、地下格闘技イベント「BERSERKER(バーサーカー)」の旗揚げ大会に出場。 この大会における内藤裕との「1分1ラウンド・ノーグローブ・判定ナシ」のをもって、地下格闘技から引退した。 2018年 10年ぶりに前田日明と和解し、4月28日「」に復帰。 「瓜田純士に勝ったら10万円」という企画も付き、ファイナルマッチにて挑戦者と対戦するも、1R2分35秒、TKO負け。 諸騒動 [ ] 自著や自作映画などによれば、として台頭した少年時代から15年間のうちにや使用などで12回もの逮捕歴があるという。 (日刊サイゾー 2012年5月8日のインタビューでは逮捕歴は23回と発言 )かつて参加していた地下格闘技界にあっても、「」から、試合以外での規則違反などから追放処分を受ける等、問題児としてその名を馳せた。 (2018年4月、OUTSIDERを主宰する前田日明と和解。 10年ぶりにOUTSIDERのリングに立った) JOYの姉、脅迫事件(2012年) [ ] 2012年には、モデルでタレントのの姉( )に対し、「家族や事務所ごと潰してやる」「芸能界から消えろ、弟がどうなっても知らないぞ」などと脅迫したとして逮捕されている。 この女性を歌手デビューさせようとして進めていたプロデュース計画が頓挫したことが事件の発端であったという。 当人いわく「つまらない痴話喧嘩」であるとのことで、結局無罪放免となり10日で釈放された。 刺傷被害事件(2013年) [ ] 2013年10月、千葉市内で何者かに腹部などを刺され重傷を負う。 この事件で最初に襲われた内藤裕(地下格闘技引退試合の相手でもあった。 瓜田は内藤を助けようとして刺された)は首などに刺傷を受け、生死の境をさまよったものの、一命を取り留めた。 「関東連合」との関係 [ ] この節のは、 や記事主題の関係者による情報源に頼っています。 とされるが求められています。 ( 2019年9月) 2007年の出所後より、自身のブログ等で「」との繋がりを示す書き込みなどを行っていた。 これは、中学校の時より関東連合の実質的統率者にあたる人物(後の「」の主犯格。 2018年5月現在、全国指名手配中))や実質的ナンバー2である松嶋重ほか、後の関東連合を形成するメンバーと親交があった為である。 また、関東連合系の暴走族「宮前愚連隊」の柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男。 』の著者)などの面々とも同様に中学生の頃から交流があった。 松嶋重は杉並区立高南中学校の一年先輩にあたり、同人とともに企てた襲撃をきっかけに知り合う形となったのが近隣の、杉並区立東田中中学校に通っていた「実質的統率者」他、後の関東連合の面々であった。 松嶋と「実質的統率者」両名との親交関係は「」(2012年)の時期まで継続していたという。 松嶋らより三学年下の関東連合元リーダーである、とは過去しばらく抗争状態と言える緊張関係にあった。 石元が当事者として関与した歌舞伎俳優・の暴行被害事件、いわゆる「」に関してテレビ番組『』()に、瓜田はコメンテーターとして出演したことがあり、石元がそれに対して難癖をつけてきたことがその一連の揉め事の始まりであり、その背景は石元の芸能界進出をプロデュースしようとしていた松嶋による画策であったという 『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p. 189。 他にも「六本木クラブ襲撃事件」に関して、2013年、「(自身は)一連の事件とは一切関係ない」と断ったうえで、』と『』の取材を受け、真っ先に実行犯として出頭した2名を名指しで批判し、また、関係人物らの過去の写真を週刊誌メディアに提供してきた者を激しく批判するなどし、 自身のブログにも記事を掲載した。 しかしこの一連の流れについても「松嶋らに利用されてしまった」ものと記している 『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p. 205。 この、「六本木クラブ襲撃事件」は人違いにより起こった事件とされていたが、本来の標的であったとされる人物とその兄である関東連合と長年の抗争関係にあった兄弟については、地元新宿の幼馴染であった。 (10代当時の関東連合周辺で、連合への加入を断わったのはこの兄弟の兄と瓜田だけであった)この兄弟の兄は、10代の一時期には関東連合側として抗争に参加するなどしていたが、その後、兄弟ともに関東連合との関わりを絶ち、関東連合との抗争に突入。 弟はその後、暴力団に加入していった。 「六本木クラブ襲撃事件」のにあたる事件とされる2008年の「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」の頃には、兄弟は被害者(「新宿ジャックス」の初代メンバーで当時の関東連合の世話役でもあった)が所属していた「新宿ジャックス」の後輩という立場であったが、関東連合と敵対していた為、関東連合側からは事件への関与が疑われていたという。 同著では、この疑いから「六本木クラブ襲撃事件」が起こったとされている。 瓜田は「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」で殺害された人物とも10代の頃から交流があり p. 163-164 事件の2週間後に開催された格闘技大会「」の旗揚げに出場した際、自身の着用していたガウンにを彫り込み、出場。 これは出自がであったその人物への自身なりの餞(はなむけ)であったという 『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p. 171。 発売作品 [ ] 書籍• ドブネズミのバラード(2008年9月12日・)• ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜(2009年3月19日・太田出版)• 泥だらけのありがとう アウトローのカリスマ44のメッセージ(2010年8月19日・)• 遺書 〜関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆〜(2014年4月18日・太田出版)• 遺書 〜関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆〜(文庫/2015年10月1日・)• 國殺 ~国が國を殺している~(2015年10月30日・竹書房)• 熱帯夜 2017年11月4日・電子書籍 映画• ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜(2009年・) DVD• History 瓜田純士ドキュメント(2011年・NOTO) 脚注 [ ] [] か• 『』 2012年3月30日• 20 2014年 瓜田純士• 『』 2014年7月26日 『』 -• 『』 2008年7月23日 -• 『』 2013年1月31日• 『』 2010年11月15日• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 99 2014年 瓜田純士• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 139 2014年 瓜田純士• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 138-140 2014年 瓜田純士• 『』 2010年10月4日 -• 『』 2008年3月31日• angle JAPAN 2008年3月31日• 『』 2008年7月20日• angle JAPAN 2008年7月19日• 『』 2011年11月10日• 『』 2012年1月20日• 『』 2012年1月21日• 『』 2012年3月30日• 『』 2013年2月16日• 2012年3月29日 -• 『』 2012年3月29日• 『』 2013年10月9日(2012年3月30日付)• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 188 2014年 瓜田純士• 『』 2013年10月18日• 『』 2013年12月10日• 『』 2013年1月31日 - 外部リンク [ ]• 『』 - 瓜田純士オフィシャルブログ• 『』 - タトゥーナビ• - チャンネル• Junshiurita -• junshi. reiko -•

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瓜田純士の現在!関東連合との関係・父親や嫁・喧嘩が弱い噂も総まとめ

瓜田 純 士 関東 連合

初めて明かされる真実。 関東連合が唯一敗北した、「伝説の兄弟たち」の物語。 序章 第1章 杉並区立高南中学校 M嶋くん 仮名 との出会い 杉並の不良たちは、遊びを知っていた。 「てめえ、耳に良いものぶら下げてるな」 見立くんと初めて会ったのは、阿佐ヶ谷のパールセンター商店街だった。 第2章 K村泰一郎との出逢い 暴走族VSチーマーの抗争 イラプションに襲撃されて引かなかった男 K村泰一郎はものすごいイケメンだった。 工藤明男の登場 新宿ALTA裏乱闘事件 杉並VS世田谷の最終対決 第3章 1996年2月、袂を分かつ。 交通公園には、生きる伝説みたいな先輩たちが集まっていた。 最後のタイマンを決めたのは、僕ではなくK村泰一郎だった。 工藤明男の「場面」 関東連合に入ることを断ったのは、K村兄弟と僕だけだった。 第4章 素顔のK村兄弟 「残虐王子」の矛先 ヤクザになった僕に、工藤明男が接近してきた。 工藤明男VS孔次朗 工藤明男VS泰一郎 K村泰一郎は超ナルシストだった。 正義漢・泰一郎 凶暴な男・孔次朗 僕はヤクザ道まっしぐらで、感覚が麻痺してしまっていた。 第5章 出所後 連日の放免祝い 東京最凶ヤクザ・孔次朗 泰一郎と孔次朗の血の絆 M's衝突事件 金村くん撲殺事件の真犯人 最初で最後の和解のチャンス 今とは違う僕らの現在 第6章 六本木フラワー事件発生 関東連・Nくんの逮捕 六本木CALLA襲撃事件 石元太一との抗争 嵐の前の静けさ フラワー事件直後の混乱 フラワー事件翌日、M嶋くんから電話があった。 可哀想な若い衆・石元太一 見立くんは飛び抜けて優秀な頭脳の持ち主だったはずが……。 最後に残った兄弟の絆 関東連は、終わった。 終章 瓜田純士 1979年、新宿・歌舞伎町生まれ、杉並育ち。 獄中生活を経て、文章を綴ることに目覚める。 これまでの著作『ドブネズミのバラード』『ピラニア』 弊社刊 、『泥だらけのありがとう』 武田ランダムハウスジャパン。 【著者紹介】 瓜田純士 : 1979年、新宿・歌舞伎町生まれ、杉並育ち。 獄中生活を経て、文章を綴ることに目覚める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです).

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