橋田壽賀子。 橋田壽賀子、昭恵夫人の問題行動に喝!「私が姑ならすぐ家から追い出すのに」

橋田壽賀子の人生論「“生きる”を楽しむ」①|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

橋田壽賀子

今を心豊かに生きるコツ、そして、終 しま いの極意を伺う「わたし終いの極意」。 <おしん>をはじめ、<おんな太閤記>や<渡る世間は鬼ばかり>など数々のドラマを生み出した脚本家の橋田壽賀子さんに伺います。 5年前、90歳を目前にしたときに、自身の老いについて思いを深くしたと言います。 亡き夫、嘉一 よしかず さんの遺影が飾られた熱海のお部屋で伺いました。 橋田さん: ここは主人が亡くなってからゲストハウスとして建てたんです。 年とったときのためにバリアフリーにして、車いすで来なきゃならないからエレベーターも付けて。 主人がいるときは「ライターは裏方だから表へ出ちゃいけない」って言われたんですけど、主人が亡くなったら急にテレビのバラエティー番組に出たりして 笑。 テレビに出るようになったらお客さまが多くなったのでゲストハウスが必要になって、いずれはここで老後を送ろうと思ったんです。 主人が亡くなってから建てたので、主人がいないんです、ここには。 古い家には主人と暮らした思い出があるので、「あっ、今2階にいるな」とか、私が2階にいると「今、下にいるな」って、いつも主人と一緒なんです。 ここへ来るとよその家に来たような気がする。 だからちょっとさみしいんですね。 橋田さん: はい。 自分で作ったスイートピーに囲まれて幸せそうに。 この家がありませんときはここは畑で、畑いっぱいスイートピーを作っておりましたから。 橋田さん: 来年三十三回忌でございます。 一緒にいるよりも別れてからのほうが長いです。 結婚生活は24年でしたから。 でも、1人になったほうが幸せですね。 いい思い出だけあるから。 一緒にいると怒られてばっかりいて、今、主人が生きていたらえらいことだと思いますよ。 毎日「はい、はい」ってごはん作ってお使いして。 それが今は船旅にも行けますし、自由をもらった30年間に感謝してます。 主人に「ありがとうございます」って。 橋田さん: 95歳でございます。 橋田さん: 年って、あんまり私には関係ないんです。 ただ体はやっぱり95歳になってきますね。 以前は「これができなくなった」とイライラしましたけど、このごろは「もう年なんだ。 階段でハァハァ言うのは当たり前だ」と、のん気になりました。 体重も増やせませんしね。 そういうふうに努力しながら、それでも好きなものも食べないで長生きしてもしょうがないと思うから、このごろは好きなものを食べて好きなところに行って、嫌な人は「嫌」って言って、好きな人は「好き」って言って、勝手に暮らしております。 前は「この人に笑顔を見せなかったら今度仕事くれないんじゃないか」とか思いましたけど、そういうのもなくなりましたし、すごい今、幸せです。 橋田さん: 足が痛い、ひざが痛い。 それから背骨が狭窄症 きょうさくしょう になりまして手術を2回しましたから後遺症がだんだん出てきて、90歳を過ぎて「老化しているから手術ができない」と言われたときに、「年なんだ」と思いましたね。 橋田さん: 80代はまだ元気でした。 船旅に行き始めたのが80代の最初のころで、世界一周しましたし南極へも2度行きましたけど、90歳になったらちょっとやせてきて病気もしましたし、やっぱり「年だな」と思いますね。 本なんかも全部捨てて、ちょっとしたものですけれども市へ寄付したり、洋服もハンドバッグも何十と売りました。 売るというよりも捨てる助けをしてもらったみたいなものですけど。 今は片づける元気もなくて、残ったものは死んだあとに誰かがやってくれるだろうと思っています。 橋田さん: ただ、「80になったから」 笑。 まだ元気はあったんですけども、「年」っていうのを非常に考えまして、「80歳っていったらおばあちゃんなんだ」と思ってあわててしました。 自分が書いたもので印刷したものや手書きのものは取ってあって、それは死んだら橋田文化財団がございますからそこへ送るということで公証人もつけて言ってあります。 私、身寄りが全然ありませんのでね。 お葬式はしないとかお骨はどこへとか、そういうことは今まで家にいてくださる方にお願いして、それからこの家は売ろうと誰かが住もうと、あとのことは知りません 笑。 橋田さん: ひと月もかかんなかったですよ。 橋田さん: いつかやらなきゃいけないとは思っていましたので、80歳になったら明日死ぬかもしれないなと思って、それこそ年にせかされてやりました。 橋田さん: そうですね。 手伝ってくださる方がいないとできませんね。 私は今1人で生きてるけども、いろんな人に助けられてるなっていう気がします。 もし1人だったら、とっくに死んでたかもしれません。 今は午前中に5人来てくださって、この家のこともちゃんとしていただいています。 身寄りがないんですから、それこそ他人のお世話になるわけですから、いい方に巡り会えて、ありがたいと思ってます。 年とってから誰と巡り会えるかなんて、大変なことですもんね。 1人が好き。 橋田さん: いえ、みんな若かった。 父は私が25歳のとき、母は私が23歳のときに60歳前で亡くなりました。 それからずっと1人で生きてますから、私は1人がいいんですね。 大家族で生きてらした方は1人がさみしいかもしれませんけど、私みたいにずっと1人で、貧乏のときも1人だし、貧乏からはい上がるのも1人だし、幸せになっても1人でしたから。 お嫁に行ったら親戚ができました。 ところが、主人はお母さんと一緒のところに入りたいからというので、自分の実家、そこはお兄さんとお姉さんがいたんですけど、本家のお墓を建て直していたんです。 それで主人が亡くなったらお義兄さんに「壽賀子さんはこのお墓には入れない」って、はっきり言われたの。 「主人がいるのに……」と思いましたけど、すごいほっとしましたね。 だって赤の他人のおしゅうとめさんのところになんか入りたくない、言っちゃ悪いけど 笑。 だからそれから縁を切るような形で、親しくしている姪 めい とかはいますけど、そういう意味では1人になって、すごい幸せですね。 面倒くさくない。 大きなキーワードですね。 橋田さん: 主人が生きてるときは主人の親戚に、やれ入学だ、結婚だ、孫が生まれた、病気したって、毎年どれだけお金を使ったか。 そういう煩わしいことが全くない。 それも1人の覚悟っていうか、1人が好きだから言えることかもしれませんね。 子どもがいたら子どもにやっぱり頼りたいだろうし、私なんか残してやりたいと思うほうですから、子どもがいなくてそれもよかったです。 だから心を残す人もいないし、残される人もいない。 これがすごい爽やかなんです。 「あの子はお嫁に行ってどうするかな」と思いながら死ぬ人もいますからね。 主人が生きてるときは主人の親戚とつきあわなきゃいけなかったから大変でしたけど 笑。 橋田さん: 2人で歩いたことないですよ 笑。 嫌うんですよ。 年中怒られるんです。 一緒に出かけてちょっとでも遅れると「早くついてこい」って言われるし、早く行くと「なんで先に行くんだ」って言われるし、隣に行くと「ひっつくな」って言われるし、東京に行くときなんか先に主人を送り出してから私は時間差で1人で行ったり。 一緒に出かけたのは新婚旅行だけです。 そこでもう大げんかしました。

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橋田壽賀子の人生論「“生きる”を楽しむ」①|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

橋田壽賀子

世間から大バッシングを受けるなど、何かと首相まわりのトラブルが噴出している。 (以下は『週刊女性』4月28日号に掲載されたものです) * * * 今が桜の見ごろな季節だとうのに、新型コロナウイルスによる外出自粛と重なり、花見すらできない大変な状況にある。 実際、政府もマスコミも連日のように「密閉、密集、密接の3密を控えるように」と伝え続け、新宿御苑などの名だたる桜の名所も閉園、宴会の自粛を要請された。 ところが驚くことに、そんな世間の自粛など我関せず、華やかな芸能人など、友人知人を集めて『桜を見る会』を私的に開いてしまったのが、ご存知、安倍晋三総理夫人の昭恵さんである。 昨年から野党が追及してきた『桜を見る会』の問題も、昨今のコロナ騒動で一時中断。 今年度の開催については「予算や招待人数を見直す」として、すでに中止とされていたが、この問題の当事者でもある昭恵夫人が、あろうことかしっかり『桜を見る会』を開催していたというのだ。 まるで反省するそぶりのない厚顔無恥ぶりにも驚くが、その集まりに行く芸能人も、自らバカの証明をしているとしか思えない。 さらにもっと驚いたのは、国会で追及された際の総理の答弁だ。 「会合であって宴会ではない」 「レストランの敷地内の桜の下であり、自粛要請にあたらない」 などと、堂々と妻を擁護したのだ。 我が国の総理大臣は、きちんと謝ることさえできないようだ。 まずは「妻が大変に無自覚な行いをした。 私からも厳重に注意する」と言うべきではなかろうか。 昭恵夫人が名誉校長に就任していたという『森友学園問題』もしかりだが、不思議なのはこれほど自分の足を引っ張っている妻を、どうして総理たる人間が制御できないのか。 なぜもっと怒らないのか。 人間としての器の小ささを感じてガッカリしてしまう。 信用だってガタ落ちだ。 これはいったいどういうことだろう。 それほどまでに、この暴れん坊の妻を愛しているのだろうか。 何をしても「かわいいヤツだな」くらいにしか思っていないのか。 それとも、かなり頭にきていて夫婦仲も冷え切っているのだけれど、総理大臣として離婚はできないので偽装夫婦を続けているのか。 それについては、私にも少し思い当たる節がある。 私自身、脚本家としてホームドラマを書いているからには離婚はできない、と思っていた。 だから、絶対に夫婦ゲンカをしないように我慢して、夫に従ってきた。 人前で仲がいいふりをしたときも。 安倍さんも、もしかしたら私の心境と似ているのだろうか……。 実は私、安倍総理のお母さまである安倍洋子さんを何度かお目にかかったことがある。 もう何十年か前だけれど、女性ばかりが集まる会に洋子さんが顔を出されて、そこでお話をさせていただいた。 しっかりとした厳しい方なので、よく昭恵さんをあんなに自由にさせているな、とおせっかいながら思ってしまう。 呼び出して説教ぐらいはしているのだろうか。 私が姑だったら、あんなに息子の足を引っ張る、ミーハーで遊び好きでパーティ好きな嫁は、すぐに追い出してしまうのに。 聞くところによると、洋子さんと総理夫婦は二世帯住宅にお住まいとか。 そこにも、隠されたホームドラマがありそうだ。 〈取材・文 相川由美〉.

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橋田壽賀子

日本女子大学校卒、早稲田大学中退。 1949 昭和24 年、松竹脚本部に勤務。 1959年、フリーの脚本家に。 1966年、TBSプロデューサーの岩崎嘉一氏と結婚。 1989 平成元 年、死別。 TBS東芝日曜劇場、NHK朝の連続テレビ小説、大河ドラマ、銀河テレビ小説をはじめ、手がけた脚本は数えきれない。 中でも1983年に放送されたNHK朝ドラ「おしん」は大反響を呼び、広くアジアでも放送される。 NHK放送文化賞、菊池寛賞、勲三等瑞宝章などを受賞・受勲。 1992年橋田文化財団設立、理事長に就任。 2015年、脚本家として初の文化功労者に選出される 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 『私の人生に老後はない。 「私は若くして両親を亡くしている。 一人っ子なのできょうだいもいない。 そしてたった一人の家族だった夫を、こうして(肺腺がんで)失った。 本名、岩崎壽賀子。 94歳。 脚本家。 天涯孤独」。 「私の世代は、結婚相手になりそうな年ごろの男の多くが戦争で亡くなっている。 自分の(41歳という)年齢や容姿を考えて結婚は諦めていたところに(5歳年下の岩崎)嘉一が現れた。 私の中で『嘉一と結婚したい』という想いが膨らんできた。 そんな気持ちになったのは初めてだった。 恋と尊敬が混じり合ったような感情だった」。 「テレビの世界では視聴率は絶対的なものと思われている。 しかし私はあまり気にしない。 私が書くものは辛口ドラマと呼ばれるようになるのだが、確かにドラマで問題提起をして、視聴者の共感を呼ぶのは容易ではない。 「夫から『壽賀子がお母さんのこと書いているよ』と聞かされていた義母は、自分が(『おしん』の主人公の)モデルと信じていた。 ヤオハンの和田カツさんもそうだったかもしれない。 『母たちの遺産』で取材した女性の中に、そう思っていた人がいても不思議ではない。 ヒントはいただいたが、モデルはいない。 いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた『日本の女たち』だ」。 「(『渡る世間は鬼ばかり』の)登場人物がどんどん増えて、作者の私にも誰が誰やらわからないときがある。 そこで頼りになるのが、スタッフが作ってくれる家系図だ。 登場人物も私たちと同じように年齢を重ねるので『いまは何歳で、何をしている』などとメモしてある。 これがないと書けなくなった」。 「『おしん』で、奉公先を逃げ出した幼いおしんは、雪の中から俊作(中村雅俊)という若い男に助けられる。 俊作は日露戦争で戦争のむなしさを痛感した脱走兵だった。 おしんに読み書きや計算を教える傍ら、与謝野晶子の『君死にたもうことなかれ』を読み聞かせる。 結局、俊作は憲兵に見つかって射殺されるのだが、おしんは俊作から学んだ反戦の思いを終生持ち続ける。 『戦争と平和』。 それが私が生涯追い続けたもう一つのテーマだった」。 「日本国内でも空襲で命を落とした大勢の人々がいた。 原爆で一瞬のうちに命を奪われた人々がいた。 沖縄戦で亡くなった若い男女もいた。 戦争がもたらしたものは悲しみだけではなかったか。 人は人を殺してはいけない。 だから私は殺人事件をテーマにしたドラマを書いたことがない」。 戦争は悲劇しか生まないというのです。 「この2月(2019年)、私はクルーズ船での旅の途中、大量の下血のためにベトナムの病院に運ばれ輸血を受けた。 『マロリー・ワイス症候群』という病気だった。 高齢になると、いつ何が起こるかわからない。 いわゆる終活はずっと前からやっていて、全ての財産は橋田文化財団に行くようになっている。 葬儀もしないでと言ってある。 静かに消えていき、忘れられたい」。

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